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日本列島チーズ工房リレー 第8回   開田高原アイスクリーム工房

木曽路と御嶽山と開田高原と

 いにしえの時、京と江戸を結んだ中山道。道中69に及ぶ宿場町のうち11宿を擁し、長野県から岐阜県に至る木曽路は、すべからく山の中。山脈と木曽川の谷間に沿った国道19号線を塩尻から南下すると、いくつもの風情溢れる宿場町が連なる。奈良井宿、薮原宿、岐阜に至るに妻籠、馬籠宿。石畳になまこ壁の土蔵、木のぬくもりある旅籠の風景は信州きってのノスタルジックな佇まいで、遠く古い街にタイムスリップしたような気持ちになってしまう。途中、薮原宿の先を北西へ折り返し木曽川の源流に向かって登っていくと、それはそれは美しい、エメラルドグリーンの川面が深緑に映え澄んだ山の空気に内臓までも洗濯される。御嶽山麓の開田高原へ続く山道、飛騨高山方面へぐんぐんと行き、新地蔵トンネルを抜ければ、「日本で最も美しい村」のひとつ、開田高原の入り口だ。標高1100メートル、ここに至ると体感温度が2度ほど下がる。
 その昔は夏でも寒いと言われた、御嶽山麓。「開田高原へようこそ」と掲げられた看板を過ぎると白樺並木が待っている。晴れれば聳え立つ御嶽山(標高3067メートル)を仰ぎ見ることができる。

開田高原から望む晴天の日の御嶽山

 開田の小集落に入り、お蕎麦屋さん、木曽馬の里、お茶屋さんと観光スポットに並んだ開田高原アイスクリーム工房に到着する。
 夏のハイシーズンにはソフトクリーム目当てに長蛇の列が出来る「開田高原アイスクリーム工房」でバター、ナチュラルチーズ、アイスクリーム、ヨーグルトと乳製品製造を一手に担う、四代目代表取締役社長斉藤信博さんをお訪ねしよう。

アイスクリーム工房入り口

無いものは工夫してすべて創り出す、斉藤さんのチーズ仕事

 高校卒業後調理師学校に進み、調理師としてゴルフ場やホテルの調理場を長く経験した斉藤さん。松本のホテルブエナビスタでは料理に加えパン、ケーキ、デザートに至るまでなんでも作る、という立場だった。その後縁あって開田高原アイスクリーム工房に誘われ、近くの木祖村出身ということもあり転職する。1999年創業以来長らくアイスクリームを作ってきた同工房だったが、2009年に斉藤さんが参加して2年後、2011年よりヨーグルト、チーズの製造を開始した。
 チーズ造りを始めるにあたっては、蔵王酪農センターなどでモッツアレラ、ゴーダの作り方を一通り習い、その後は文字通りの「創意工夫と独学」で乳製品を作り続けてきた。

 開田高原には、蕎麦ととうもろこし、荏胡麻やブルーベリーといった特産品がある。特に夏の朝晩の寒暖差のおかげで柔らかく皮が薄く甘い甘いとうもろこしと、高原の涼やかさで育つ蕎麦は県内でも知られた存在。昨夏は斉藤さん一人で6000本のとうもろこしを手で剥き蒸し、削いで冷凍、粉末にしてソフトクリームミックスにしたというから驚きである。香りのある蕎麦は細かく粉にして、さらに炒ったものをアイスクリームに混ぜることで香ばしさが出たと笑う斉藤さん、チーズ職人でありつつもやはり料理人だ。その調子で荏胡麻、かぼちゃ、ブルーベリー、すんき乳酸菌ヨーグルト、小倉といった開田食材を使ったアイスクリームもほとんど一人で作っている。とうもろこしの優しい甘さと舌の奥の方で感じるうま味が一口ごとに「じわる」ソフトクリームは必食、ぜひ白樺の新芽が芽吹く季節から夏を経て、ブルーベリーが紅葉する秋まで、高原の風に吹かれながら召し上がっていただきたい。

開田高原の特産品を使ったアイスクリームずらり
取材中にいただきました、こちらはコーヒーソフト

 その名の通りアイスクリームで名を知られる開田高原アイスクリーム工房だが、チーズの世界では2015年の第10回オールジャパンナチュラルチーズコンテストで「大きなチーズ」(白カビ、ブリータイプ)が農林水産大臣賞を獲った隠れた実力者でもある。
 料理人、アイスクリーム職人、そしてチーズ職人でもある斉藤さんが手掛けるナチュラルチーズは瓶入りのクリームチーズとカマンベール、モッツアレラチーズの3種。すくって塗れるクリームチーズは料理人としての経験から「柔らかいクリームチーズが欲しい」と考えて生み出したものだ。テーブルに置いて、ジャムのようにささっと使える手軽さが嬉しい。
前述の「大きなチーズ」の型は、料理に使うステンレスの「濾し器」を改造したものだと見せてくださった。そして小さなカマンベールを作る型は上水道管を同じ幅に切断し、チーズ製造時のホエイ(乳清)を抜くための穴を開けたもの。それらチーズ型がきっちり入るように計算され並べられた黄色いばんじゅうにも、端にはホエイの抜ける穴が開いている。カマンベールのカード(酵素で固めたチーズの赤ちゃん)が型に入りやすいように使うのは、ぴったりハマるようカットされた漏斗。アイデアが光る手作りのチーズ道具があちらこちらに置かれている。斉藤さんのお父さんは松本民芸家具の家具職人だったそうで、様々なものを手作りするお父さんの影響で、手仕事が好きなのだと伺った。

 チーズを作る型は外国製品が多く、高価だ。カマンベールの製造が始まって以来月に数回、各150個ほど仕込むために100個以上の型を購入するのは、ハードルが高かった。身近な素材を使って手作りした道具で長年仕込んできたカマンベールだが、近々専用のチーズ型を新しく導入できる予定。手仕事人斉藤さんらしさ溢れる清潔なチーズ工房の、愛ある道具たちにこれまでありがとうの敬意を表したい。

「大きなチーズ」の型

 小さなバット内の生乳が殺菌され、100グラムのカマンベールの形になるまでを追ってみよう。
 斉藤さんは、全ての乳製品を作る際に大切にしていることは「塩梅」だと言った。これは、料理人として長く経験してきた肌感覚を大切にしているということ。
 今日の生乳の固まり具合はどんな感じか、と触りながら自身の感覚を澄ましてリズミカルに凝乳をカットし、型に入れていく。乳酸発酵しレンネット(凝乳酵素)で固めた出来立て切り立てカード(凝乳)は、ゼラチンとも寒天とも違う感触で崩れるほどに柔らかく、そしてほんのり甘い。
 型入れをして、ホエイ(水分)の抜けを待って、反転。作業の間に洗い物、タイミングを計りながらまた次の作業と洗浄、チーズ造りは想像以上にアクロバティックで、重たいものを運ぶガテンな水仕事である。チーズに塩をしたら、いよいよふわふわと白カビを纏わせるべく熟成に入る。
 カマンベール製造には、味の道筋を立てる乳酸菌のほか、奈良市のチーズ酪農酵母研究会代表河合恒彦さんが、元はフランスのカマンベール・ド・ノルマンディから起こした酵母を使用している。河合さんから定期的に届くという「お便り」がチーズ工房の片隅に丁寧にファイリングされて置かれていた。日本のナチュラルチーズを作る現場には、それを支えてきた研究者たちの軌跡がある。微生物のように見えないところで働いてきた人たちの想いがまた、チーズの味わいを膨らませているのだ。

小さく清潔な工房とチーズバット
乳酸菌や酵母を入れるところから始まるチーズ造り
外の通路から製造の様子を見ることも出来ます
時間がたち固まったミルクをカット
杏仁豆腐のような塊、ほんのり甘い
四角く切れたミルク、わかりますかしら
ホエイの色、さっきまで真っ白な生乳だったのに
ここから掬って型に入れていきます
上水道管で作ったチーズの型
漏斗を切った道具もぴったり
どんどんホエイが抜けていきます
ばんじゅうに開けた穴からしたたり落ちるホエイ
熟成庫に入れて白カビが生えてくるのを待ちます

凛として清々しさ感じる萬谷ファームの原料乳、木の香りの牛舎から

 アイスクリームの日、バターの日、チーズの日、ヨーグルトの日、社員二人とスタッフ3名の開田高原アイスクリーム工房はほぼ日替わりで、いくつかを組み合わせながら乳製品を製造している。生乳を車で5分の萬谷ファームさんまで毎日集荷に行くのも社長の斉藤さんだ。
 昔の小学校の校舎かな?とおぼしき木造の牛舎に入ると、3代目開田高原アイスクリーム工房の社長だった萬谷宏さん御歳88歳!!が「古い建物でしょう、そうそうここは昔は牛舎じゃなかった建物でね」と言いながら案内してくださった。「木曽には昔40軒は酪農家が在ったが、今はうちともう一軒だけ。みんなやめっちまったから。」とそこに奥様の秋子さんが登場、モーォモーォと鳴く母さん牛たちに颯爽と牧草をあげはじめた。さわやかに香るこの牧草はどうしているのですか?と聞くと、開田高原一帯で牧草を作っていること、昨年は良い草が沢山収穫出来て、近隣の牧場にわけてあげられる程だったとお話しくださった。輸入飼料が高騰し日本全国の酪農家さんが喘いでいる昨今、こういう牧場もあるのだと安堵する。仔牛はどこにいるのかしらと見にいくと、一輪車に乗ったおが粉が仔牛のすぐそばに。
ふとおが粉をすくってにおいを嗅ぐと、「!!桧!!」取材時一番の衝撃だった。
 木曽路はすべて山の中、木曽の木材といえばまずは桧である。高齢化などにより製材所が減り、牛たちの寝床に敷くおが粉が高騰して手に入らない話もあちこちで聞くが、萬谷ファームでは長年親交のある製材所からなんとか分けてもらっている。この桧薫るおが粉と糞を合わせ発酵させたたい肥が牧草を育て、その牧草を食べた母さん牛の生乳を用いて斉藤さんたちが乳製品に仕立てる。100%開田生まれ、萬谷印のたおやかミルク。
 2024年現在親子三代で営農している萬谷ファーム、ニカニカっと笑う萬谷さんの元気の源は自ら生み出すこの生乳と開田の食材ではなかろうか。
開田高原アイスクリーム工房のバター、クリームチーズ、ヨーグルト、チーズたちから受け取る凛とした清々しさはなんだろう?と長年感じてきた答えがそこにある気がした。
 「100gの生乳から4gしか取れない」瓶入りのバターは、さらさらっとほどけるように溶ける。脂なのにまるで山の湧き水のような印象すらある。「手間暇かかって歩留まりも少なくコスト高なんですけどね」と斉藤さんは苦笑いするバターだが、ファンが多いのも納得である。

萬谷さんと斉藤さん
自前の自慢の牧草ロール
萬谷牧場の舞台裏
檜の香るおが粉
母さん牛たちに草をあげる秋子さん
かっこよすぎるフォルムのイタリア製のバターチャーン、機能美

「すんき漬け」と共に開田高原の‘NEO CHEESE’を開発中

 開田高原そのものを乳製品の形にして、強いブランド力を打ち出していきたい。そんな思いから「すんき漬け」という木曽ならではの漬物から起こした直物由来の乳酸菌を用いて「ほとんど開田、ほとんど日本」のチーズが出来ないか?と模索中の斉藤さん。
 スンキ乳酸菌は長野県工業技術総合センターと開田高原アイスクリーム工房の共同開発(研究)で、およそ4年もの歳月をかけて開発された。現在は、木曽町の木曽地球資源研究所所長である東京農業大学の岡田早苗先生にお願いをして培養して頂いたものを使用し、すんき菌ヨーグルトを作っている。
 「すんき漬け」とは木曽の伝統発酵食品で、地元の赤かぶの茎で作られた‘無塩’のお漬物のことである。「すんき」として、2017年5月、「特定農林水産物等の名称の保護に関する法律」(地理的表示法)に基づいて、地理的表示(GIマーク)産品として登録されている。
 このスンキ乳酸菌と、日本獣医生命学科大学応用生命科学科 食品化学科 乳肉利用学教室、佐藤薫教授のプロジェクトチームが研究開発した麴菌で醸す、NEO CHEESEを近年斉藤さんはこつこつと試作している。
 出来上がれば、凝乳酵素以外は国産、ほとんど開田高原産の白いナチュラルチーズが誕生することになる。
 はてさて、料理人斉藤さん自身が納得できる味わいのチーズが出来るかどうか、ハードルはいくつもあるが「こんなことやあんなこともやってみたいんですよね」と楽しそうだ。
 開田高原の四季折々を乳製品に現わし、手を動かし、斉藤さんは今日も萬谷ファームから生乳を運ぶ。

 この夏も多くの観光客が開田高原アイスクリーム工房でソフトクリームを食べるだろう。
 そのとうもろこしソフト、斉藤さんの丸ごと手仕事ですよ(ソフトクリームマシーンはカルピジャーニ!)バターもヨーグルトも、クリームチーズもオススメですよとお客様の耳元で囁きたい気持ちでこの記事をしたため、開田高原から仰ぎ見た、噴火から10年の御嶽山へ鎮魂の祈りを。

木曽馬と御嶽山

お話を聞いた人

「白カビチーズなら開田高原もと名乗りを上げたい」
開田高原アイスクリーム工房 代表取締役社長 斉藤信博さん(写真)

開田高原アイスクリーム工房に行ってみよう

〒397-0301
長野県木曽郡木曽町開田高原4411-9
電話 0264-42-1133
(混雑時はお電話に出られないことがあります)
定休日 火曜日(1月第3週から2月末まで火曜日、水曜日定休)
営業時間 平日10時~16時30分(詳しくはHPお知らせをご覧ください)
*車で行くには
  ・中央道塩尻インターを降りてR19号を名古屋方面、途中木曽大橋を右折
   R361号より約30分計約60分
  ・中央道中津川インターを降りてR19号松本方面、途中木曽大橋を左折
   R361号より約30分計約90分

取材担当・ライター プロフィール

大和田 百合香さん

サロン・ド・テ・チーズ王国本店勤務
⚪︎チーズプロフェッショナル
⚪︎ギルドデフロマジェアンテルナショナル ギャルドエジュレ
⚪︎シュヴァリエデュタストフロマージュ

故郷信州のチーズ工房さんの記事を主に担当させていただきます。

ヨーロッパのナチュラルチーズを扱う専門店に勤務しつつ、20年ほど日本のチーズ工房さんを勝手に応援する旅を続けて来ました。
その中で出会った沢山の人、家畜たちと風景、そして暮らしの中で生まれる土地土地のチーズたち。
私なりの精一杯の誠意を持って、チーズ工房の皆様の物語をお伝えして参りたいと思います。





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