江戸時代の藍染めを見ることができる
渋沢栄一を取り上げた“青天を衝く”がはじまりました。
生家渋沢家は藍を栽培して染料になる藍玉を製造しており、家の2階では養蚕もしていました。
乾燥させた藍の葉に水を打ち100日ほどかけて発酵させます。そうしてできた蒅(すくも)が布を青く染める染料となります。蒅を突いて丸めたものが藍玉です。
当時の藍染めの様子がよくわかります。風になびく染め物の青の美しさ、とりわけうすい青から濃い青まで無数にある藍染の色が出ています。
藍染めの回数を増やせば増やすほど藍色が濃くなり、色名も変化するのです。
感動した青
ラフカディオ・ハーン(小泉八雲)が1890年4月に初来日した東洋の第一日目で、青いのれんのかかった小さな店舗、その前で青い着物姿の小柄な売り子が微笑んでいる。と「日本の面影」で著しています。
渋沢家で働く人たちもみな青い着物姿を着ているので、この藍染めの風景でハーンの目に映った青い世界が思い出されました。
栄一の着物には麻の葉模様で子どもが元気に育つように思いを込めた様が伝わってきます。
正藍染の技術
大河ドラマの十二回までは藍染のことが出るようです。こちらの藍染め指導をされているのは大川先生のお弟子さんです。2年前に先生から大河ドラマで渋沢栄一が取り上げられることを聞いていました。
先生は大河を見ることは叶わなかったですが、日本全国に正藍染を伝えられて喜んでいるでしょう。
いつ見ても美しい青、実際に身に着けると落ち着きます。自分で染められるようになって、肌に近いところにつけることができ手放せなくなっています。
そばにおいておくと心が安らぐ藍こそ、今の時代に我が身のお守りとして身につけていきたいです。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?