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語れないもの、感情以前、あるいはごちうさについて

n回目の寝られない夜。もちろんカフェインのせいだ。昼に食べたカレーにコーヒーがついてくるとは想定外だった。コーヒーゼリーまで!もちろん食べるほかない。よって、今こんな文章を書いている。

きっと、自分が今まで書いたものの半分ほどはカフェインによって生みだされたようなものだ。もうそのことを認めないためにはデータが溜まりすぎてしまった。そしてもう夜が明けている。朝日の眩しさを初めて知った。

なぜ今自分はごちうさについて語ろうと思ったのか?寝られないからだ。カフェインによって眠れなくなった自分はせめて少しでも身体に疲労を溜めようと自転車で夜の田向を回走していた。そのときに久々に聴いたのだ、ごちうさのキャラソンがつまったWalkmanを。

止まらなくなってしまった。自転車、爆走。踏込み、熱唱。懐かしさに焦がれた。完全ランダムで全曲から流したプレイリストには過去と過渡と今があった。5年前には入っていなかった曲。TSUTAYAで借りてたCD勢はYoutube/mp3勢に押されていたが、かれらはずっと押し入れの中でバッテリーを1メモリも減らさずに待ってくれていた。変わらぬケースの水色。ただ、歌えるようになってた曲だけが自分の成長と連続を教えてくれた。

さて、どこから話そうか。
出会い。ニコニコ動画でアニメ1期1羽を見たこと。3DSからiPadになったことでようやくアニメが見られるようになり、そこで初めて見たのがごちうさだった。
そこからは…あまり覚えていない。たしか、吉良ココなどを見たりしたんだっけ?テレビで放送されてた?一挙放送生配信?コミックスを買ったのは?あやふやなんだ。
ただひとつ覚えているのは、初めて買ったコミックスは6巻で、その完成度に衝撃を受けたこと。そしてその衝撃は自分の心に打撲を与え、成長を始めさせたこと。

ごちうさ6巻。ページがきれいなんだ。表紙、紙、コマ、イラスト、カラー、擬音、ペン入れ、センス、こだわり、配色、表情、構成、継続、成長、哲学、指針、そして関係。
ないものばかりだった。一頁ごとに、光が、キラキラで…

これを読んで君は語彙がないと嗤うだろうか?限界オタクのようだと使い古された指摘で悦に入るか?言葉にできないなら考えてない間抜けだと大同小異唱えるか?

語れないんだ。ごちうさについては。語ろうとするたびに、それを表す言葉が存在しないことに至り愕然とする。心臓を、核を抉り取って晒すことができたらどんなに手早かに済むだろう!
感情以前なんだ。言葉以前なんだ。生まれる前から世界に存在していた、いや、そこから生まれたと言ってもいい!
自分はごちうさユニバースに生まれたんだ。もう、そこ以外の記憶はどこかに行ってしまった。言葉という世界を作る過程で触れたものはその心に永久に消えない痕を残す。そこから生まれた格は原初の運動に重ならない。蒔かれた種が鉢に根を張り芽を出すように、感情が言葉にならないのではなく、言葉が感情にならないのだ。紛い物、あまりいい言葉ではないのはわかっているが、きっとこれ以上に近接する比喩はない。ココロがホンモノ、コトバがニセモノなんだ。

今まで何度も語ろうと欲して試みた。言えない。こんなものじゃない。何字尽くせば、何語語れば、何日費やせば!
…いや、そういう問題ではなかったのだ。原理的に不可能だった、それだけだ。ごちうさは自分の核なんだ。オリジナルといったらそこから生まれた自分が情けなくて死にたくなるけど、まぁ、そゆこと。あらゆる感情をそこから学んだ。世界の真実を垣間見た。あるべき姿。観察して、観察して、発見して、理解して…。
心は母なる鉢植えを超えて!周囲の世界にまでも及んだ。そこで自分は試みた。観察、観察、発見、理解…。
そうして肥大化した心が、またの名を自我が。自意識。大地の語り直しをしようとしている。核は緑の意識で覆われて大地となった。俺を育む土壌の完成だ。やがて自意識は結実し、プレートテクトニクスを発見した。即ち、語れないと語れた。

これが俺の46億年。語らず語りだ。
だが、こんなものでは満足できない。いつか、お前らにごちうさのすばらしさを布教して見せるつもりだ。それじゃ、クロワッサンでも食べて待っててくれ!