雑感

ご無沙汰しております。どてさんぽです。

本年もよろしくお願い致します。
私は、昨年まで介護事業所の管理者として、介護現場で感じたこと、考えたことを、言葉にしてnoteで表現させていただきました。

その中で、たどたどしい文章に目を通してくださる方々がおられることをしりました。
まずそのことに驚き、更にnoteを超えた交流をさせていただける方まで与えられたことに感謝しています。

世の中には、温かい人もおられるのです。


さて、今日は2024年度を目前にしての雑感です。
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人の悩みの大部分は人間関係によるものであると言いますが、私の悩みも例外ではなく、さらに地方に暮らしていることから日常の中で出会う人々も限られています。

自分のことを積極的に語ることは怖いものです。
一つの言葉も、受取る方の背景によっては全く異なった視点で捉えられたとしても、発信者にはすべてを慮ることはできません。

とはいえ、表現することをためらうと、自分の持っている基準、筋、節度、分…といったものまでよくわからなくなります。

(必ずしも尊敬できるとは言えない)目の前の相手の価値観の方が、その時その場所では適切であることを、此方は全力で肯定しなければならないかのように振舞うことを促されるような感覚です。
誰もそんなことを強制してはいないのに、そのように感じてしまうのです。

結果として、良いと言われている考えであっても、その時の自分が思ってもいない提案に軽々しく同調し、そのくせ行動が伴わない有言不実行な人間ができあがります。

そういう自分が嫌でした。
できるだけ、他者がこちらに向ける期待を含めた、大きな理想の枠組みを作ってゴール設定をして、でもその枠組みの片隅に足をひっかけているかいないか程度の行動しかしていない(それ以上のことをする気がない!)ことを自覚しているからです。
誰にとっても不誠実です。

ならば、表現するしかないのです。
自分にとって何が大切で重要なのか、そして何を好まず優先しないのか。
そして、ちっぽけなゴール設定であっても自分が表現したことに対しては、行動するのです。

事実をよく見つめないと、その事実を傷めずに取り扱うことは難しく、
同様に、自分が何を考えているのかをまず明らかにしておかないと、その考えの良い所を伸ばしたり、修正が必要な部分に手を加えるなどといったこともできません。

では、表現します。
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私のいる世界は、20年以上介護者と要介護者の関係が生活の糧になるような場所でした。

その中でも、私は現場実務が苦手でした。
ならば、違う仕事に移ればよいものを、とどまり続けました。

その中に居るにも関わらす、実務においては技術も職業人としての意欲も磨く気持ちが無いまま、ずるずると年月だけが過ぎていくような感覚から抜け出せず、またそのような甘い態度を周囲の者が見逃すはずもありません。

なんとか、医療福祉の世界に居場所を見つけようとしました。
大学に行きました。医療系の国家資格をいくつか取得しました。
現場の悩みを解決するために、知識と説明する力が必要だと思い、修士課程では社会保障法を学びました。

学んだことは現場に持ち帰り、共有しようとしました。
相談を受けた悩みに対しては解決策を提案しました。

しかし、今振り返ると、
特に私の持ち帰った知識が無くても現場はきちんと日常を進めることができました。

私が助言者として解決したかった対象とはいったい何だったのか?

ただ気持ちを聞いて欲しかった、受け止めてくれる相手が欲しかっただけの相手に対して必要なのは解決策ではないですし、

介護計画の立て方、ハラスメントへの対応など重要ではあってもその時点では困っているわけでもなく、現場に直接役立たない情報を提供されたところで、迷惑であることにしばらく気が付かなかったのです。

自然な感覚に任せるのならば、介護の世界の中で(他の世界でもそうでしょうが)実務のできない人間など軽んじられても当然です。

周囲が求めていることに対して的確な対応ができない。自分の伝えたいことを一方的に伝えてくる相手がそばにいるのは迷惑です。

そのような人間の居場所は、
愚痴を聞く要員になるか
イライラした時の気持ちのはけ口になるか
表では作り笑い、陰では批判の対象になるか 
といったところ

自分が今までしてきたことに意味はなかったと痛感していました。
悔しいやら、悲しいやら、虚しいやら…

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そこで、相手を見つめても先には全く進めないことに気づきまして。
自分の基準を見つけたいと思いました。

どんな相手であっても、そこから学ぶことはできます。
まず、周囲の方たちは職業人として何を評価されているのだろうか
どんなに陰口を言っていても、裏表があっても、
なぜ、仕事を続けられているのだろうか?

すると、いくつかの発見がありました。
①目の前の方が訴える必要に応えることができています。
②自分の基準をあまり動かしません。(動かしたふりをしているだけです)
③その基準を一貫させることで、自分のふるまいかたを安定させ(裏表があっても)周囲に安心感を与えています。

…なるほど!

善人かどうかではないようです。
皆さんには、それぞれの世界がありその中で生き続けている。
だから、そこが居場所になります。

と、いうことで、私も善人にはならずに居場所を探すことにしました。
医療福祉の世界…ではなく、今自分が生活しているこの場所で
周囲を見れば介護者と要介護者が大部分である環境の中で

医療福祉支援に限らず、その地域に暮らす住民に目を向けて、自分の基準をもって、関わる姿勢も一貫させつつ、相手の必要に応えること。

そこに私の役割を作っていきたいと思っています。

2024年度は、その役割を具体的に見つけることのできる年にしたいと思います。

ここまでお目通しいただきありがとうございました。

いつも記事を読んでいただきありがとうございます。 ご支援本当にありがたいです。 記事のテーマについてご要望があればどうぞお知らせ下さい。