死にたくなったら誰でも安楽死が許される世界

「死にたくなったら誰でも安楽死が許される世界」を希求する人は多いでしょうし、私もそれを希求しています。個人的には天国ですらあると思います。
ふと思いつきではありますが、積極的安楽死のカジュアル化――積極的安楽死が容認される範囲を健康的な個人にまで押し広げることとしておきます――について考えてみました。以下メモ程度にまとめておきます。

積極的安楽死のカジュアル化は、個人に「自発的に安らかな死を選び取る権利」を付与するため、個人の権利の保護・拡大を推進するリベラルな価値観に適合的であるうえに、社会的諸問題解消(極論、あらゆる問題は死ぬことですべて解消される。一例として、将来的な年金受給が薄いことが確実となっている若者が苛酷な老後を迎える前に安楽死を選び取ることで年金問題自体が消え去る)のラジカルな万能策でもある。他方で、社会的諸問題が降りかかった個人に対してその人に積極的安楽死を選び取らせることで社会的諸問題を解消させることの悪辣性や社会的諸問題の背景となる歪な社会構造は無傷のまま温存されたままになることを糾弾する方向もまたリベラルな価値観に適合的である。つまり、これからも世界中で拡大の一途を辿るであろうリベラルな価値観に照らしてみただけでも、積極的安楽死のカジュアル化は多分に論争的であると考えられる。

リベラルな価値観からのみ眺める、という一面的な見方ではありますが、多くの賛同と反発が見込まれそうです。

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