『なぜ働いていると本が読めなくなるのか』を読んでいないにもかかわらず感想を
読んでないけれど、タイトルや諸読者の感想を見て触発されたことを書き留めさせていただきたいと思います。
「なぜ働いていると本が読めなくなるのか?」と問われて、一見答えは誰の目にも明らかなように思われます。働いていると時間、体力、気力を奪われるから、という答えです。けれども、そんな自明な解答が、この本の中でくだくだしく「解き明かされ」ていくのだとしたら、この本の価値はかなり低いものとなってしまうでしょう。
そうではなく、時間、体力、気力以外の、「本が読めなくなることを説明する変数」の存在を提示しています(重ねてになりますが、読んでませんが(;^ω^))。その変数とはズバリ「仕事の役に立たないから」というもの(本書でこの言い方になっているかは分かりません)。本の価値は、もっぱら仕事に活きるか否かの物差しで測られ、趣味的に本を読む種族は絶滅危惧種、という時代状況にあっては、この変数が浮上するのはもっともだと思います。
とはいえ、ここでツッコミが浮かびました。時間、体力、気力、役に立たない、という4つの変数が本を読めなくしていること。これ自体は正しいと思います。けれども、他にも変数があるだろうということです。例えば、娯楽の豊富化が挙げられると思います。本を読むよりも脳汁出る娯楽が増大し、多くの人々の時間資源がそっちに奪われていった、という感じです。関わってくる変数をすべて網羅してくれとは言いませんが、気になりました。
しかし、これは的外れなツッコミなのかもしれません。というのも、この本のタイトルはむろん訴求力を高めて、悪く言えば「釣る」ために案出されたもので、この本の内容にぴったりと一致しているわけではないからです。内容的な眼目としては、おそらく、読書に対する人々の意識の変遷をロングスパンで辿り返すこと――仰々しく言えば、「歴史社会学」的な試みでしょうか――にあると思います。その意味では、タイトルは『なぜ働いていると本が読めなくなるのか』ではなく『いかにして本が読まれなくなったのか』というタイトルのほうが正確かもしれません。だけれどこれでは訴求力が弱まりますね。そして、皮肉にも訴求力が弱まる原因はそのまま本書の内容をなぞるものとなっています。社会から、過去を顧みず未来に向けて自己を成長させるよう呼びかけられた人々は、『いかにして本が読まれなくなったのか』という無益で辛気臭い過去志向のタイトルでは食指は動かないですが、『なぜ働いていると本が読めなくなるのか』というタイトルのほうは『働きながらも本を読んで自己啓発するには』という風に無意識に読み替えて食指が動く、ということが起こり得ます。むろん、こう読み替えて手に取ると、ミスマッチ――「思っていたのと違った」――が生まるわけですが。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?