店の名は正直



 六十代も半ばを過ぎてしまうと、文芸誌編集長どころか、出版社の役員、社長まで年下、ベテラン編集者も我が子より若く、読者にいたっては孫世代となっては、刺さる小説など書けるはずもなく、いつしか自称がオジからオジィへと変わっていた。発注がなければ、本は出ない。華麗なる印税生活が加齢による年金暮らしに転じ、しかも自由業ゆえの国民年金のみ月額九万円と来れば、おいそれと上京もままならない。それでも何とかカネをやりくりしてやってきました。
 東京・浅草――。
 浅草寺と花やしきの間を抜け、奥浅草こと観音裏生まれ、育ちの由緒正しき地元っ子の元担当編集者がかぎりない愛情をこめて国境と揶揄する言問通りにぶつかる交差点までやって来たわたしは腹の底に溜まっていた鬱屈を大きく吐きだしてつぶやく。
「帰ってきたぁ」
 北海道生まれのわたしにとって、もちろん故郷ではないが、この十有余年、上京した際には先に挙げた由緒正しき元編集者の手引きによって、必ずやってきては心底どろどろに酔っ払える、世界中で唯一の街、それが観音裏なのだ。
 言問通りから南が浅草寺雷門を中心とする世界有数の観光地区、通りを隔てて北が観音裏と呼ばれる。さらに深奥には江戸時代からつづく桃源郷、吉原がある。この通りの南側、かろうじて国際観光地区に立地しながら、ドアをあければ、完全に国境の北側、昭和そのままなのが小さな店、正直という名のビヤホールだ。
 政治家が倫理倫理と秋の鈴虫みたいに喚き、可愛い娘――子供とペットを可愛いと思いなしているのは飼い主だけだ――の名前にやたら美だの優だの入れたがるように、とかく無いものねだりをするのが人情。だからあえて正直と看板に謳うということは……。
 そもそも本店は吉原にあった遊郭〈正直楼〉の関係者が明治時代に開いたカフェーで、言問通りの方は分店という。本店の流れを汲む店は、二〇一六年末、閉店してしまったが、分店は健在。この分店がいつの時代から営業しているのかは知らないが、昭和には確実にあったし、大正、否、ひょっとしたら明治にまでその歴史は遡れるのかも知れない。
 先ほど、ドアを開ければ昭和と書いたが、ウソだ。すみません。店に入る前から昭和の風情が濃密にただよっている。といって看板も路上の行灯もなく、灰色の曇りガラスがはまったドアはいつも閉ざされていて、営業中なのかもわからない。そもそも何屋なのか想像するのも難しいふてぶてしい面構え……、失礼、堂々とした店構えなのだ。ずいぶん昔につぶれ、なぜか建物だけ取りこわされずに残っている元美容院のようと形容したのは、浅草在住で愛犬とともに何度も店の前を往復している某銀座高級クラブに勤める美人ホステス嬢である。
 つい先日、ちょっとした発見があった。以前いっしょに訪れたことのある友達の元戦闘機パイロットが連休を利用して、昼間に奥さんと浅草デートしていて店の前で自撮りした写メを送ってくれた。一見、驚愕。入口上の看板にちゃんと〈正直〉と書いてある。それも三つも。十数年通っていて、初めて気がついた。
 ウソだと思うならストリートビューを開いてみればいい。ひさご通りを抜け、言問通りにぶつかって左に振って二軒目、正直ビヤホールはそこにあって、店名もちゃんと確認できる。
 とにかく営業しているのかどうかもわからないんだから、入るには少々勇気がいるけれど、扉を開け、いいですかと声をかけるだけで、インディ・ジョーンズ程度の冒険心は味わえる仕掛けだ。
 今どきマリリン・モンローのポスターが貼ってあり、巨人軍長嶋茂雄終身名誉監督の羽子板がカウンター正面に堂々飾られている店には、なかなかお目にかかれないだろう。
 扉を押しあけると店主スミちゃんがほどよく枯れた声をかけてくれる。
「いらっしゃあい」
 午後五時になろうとしていた。客の姿はなかった。わたしはいつものようにカウンターの左端、テレビ前に向かう。ホールと銘打ってはいるが、店内はコの字のカウンターのみ、とにかく狭い。躰を横向きにして、指定席に向かおうとするわたしは尻を壁にずるずるこすりつけて移動する。
 ガキの頃から少々太め、身も蓋もない言い方をすれば、デブであるわたしが年季の入った黒いビニール張りスツールを躱しつつ移動しようとすれば、必然的に尻を擦りつけることになる。ほかの客があれば、立ちあがってもらわなければならない。
 スツールに腰を下ろすとすぐにおしぼりが出される。
「いつ来たの?」
「さっき羽田に着いた。ホテルに荷物を置いて、すぐに出てきたんだ。とりあえず生」
 生と注文するが、生ビール以外にはお目にかかったことがない。そもそもドリンクメニューなど見たことがない。
「北海道から?」
「そう」
 家人の運転する車で自宅から帯広空港まで送ってもらい、飛行機に乗って羽田まで飛び――飛行機に乗るのだから飛ぶのは当たり前、よちよち地上滑走されたのでは羽田まで何年かかるか知れやしない――、モノレール、山手線と乗り継いで定宿にしているホテルがある神田多町まで移動、チェックインして、荷物を部屋に置き、すぐに出てきて神田駅から地下鉄銀座線に乗って終点浅草まで来た。
「ふう、やれやれ」
 独りごち、早速タバコに火を点ける。飛行機に乗りこむ直前、今生の別れとばかりに一本、否、二本、根元ぎりぎりフィルターがひと焦げするまで喫って以来、かれこれ三時間、ニコチンへの飢渇はもはや耐えきれぬレベルに達している。深々と吸いこんで、煙とともに安堵の息をつく。
 その間にスミちゃんはサーバーに少しばかりビールの入ったグラスをあて、配管に溜まっていた泡を流す。次いでカウンターの後ろに洗って伏せてあるグラスを取り、水道水でひとすすぎしてからサーバーにあてがって、レバーを押した。
 二服目の煙を吐き終わる頃、目の前に冷たく、細かい露をまとわせたグラスが差しだされ、受けとった。
「あっちはまだ寒いの?」
「よせよ、もう六月だよ。雪だって先月のうちにはすっかり消えてる」
 調子を合わせて話を盛っているわけではない。ゴールデンウィークが明けても日陰には残雪が凍りついているし、雪が降って積もることも珍しくない。
 まずはグラスに半分ほどを咽へと流しこむ。ニコチンとアルコールが血管内をめぐり、ようやく生き返った心地がする。目の前に、紙皿に盛られた定番のお通しが出てくる。6Pチーズ一つ、魚肉ソーセージ一本、都こんぶ、小袋に入った柿ピー。清潔第一をモットーとする正直ビヤホールでは一切包装を破らず、そのまま出てくる。ときにゆで卵がついた。もちろん殻のまま。食べきれなければ、どれもそのままポケットに入れて持ち帰れるというシステムが何とも親切だ。
 残り半分を飲みほし、空のグラスをスミちゃんに差しだす。
「お願いします」
「はい」
 生ビールしかなく、極薄のグラスで供されるが、グラスのサイズも一つ、大も中も小もない。多ければ残し、少なければ、お代わりをすればいい。三口目のタバコを喫いながらカウンター奥の壁に貼られた紙に目をやる。

 正直ビヤホールルール
  一杯はダメよ!
  二杯はお別れ
  三杯は身を切る
  四杯は死に損ない
  五杯はごきげんよう
  六杯目からは
  さあガンガン呑もう!

 痛風持ちのわたしは〝身を切る〟か、〝死に損ない〟で一日分の限度いっぱいになる。それ以上飲めば、翌朝には左足の親指付け根が腫れあがる。それでも魚卵よりはましだ。明太子ならほんの一カケ、せいぜい一センチほど食べただけで、その夜のうちに足指が熱を持って激痛にのたうちまわることとなり、翌朝には歩行不能に陥ってしまう。
 ガラス製の小さな灰皿でタバコを押しつぶしているうちに二杯目が来た。

 身を切る三杯目に入ったところで6Pチーズの包装を剥いているとスミちゃんがぼやいた。
「何でもかんでも値上げ値上げでイヤになっちゃう。チーズも薄くなっちゃったでしょ」
 スミちゃんの喋りは実に歯切れいい。
「たしかに」
 チーズをかじり、ビールを飲む。五十五歳を過ぎる頃から酒が入っていかなくなった。飲めないわけではない。夢中になってお喋りし、杯を重ね、気がつけば、心地よく、白く柔らかな天上の雲を踏んづけているように足元が怪しいというレベルに達する手前で、もういいやとなってしまう。欲のレベルが下がったというか、気力に欠けるというか、とにかく気持ちがついていかない。これが還暦を過ぎると……、ま、いいか。いずれにせよ復活はない。
 羽子板に目をやった。ジャイアンツのユニフォームを着た長嶋茂雄の胸には33の文字。
「背番号33って、第二期監督時代だっけ」
「知らない」
 ないッと叩きつけるのではなく、なぁいと間延びしている。
「お客さんが持って来て、そのまま置いてあるだけだもの」
「第二期って、昭和だった? 平成に入ってたかな」
「知らなぁい」
 スマートフォンを取りだして、調べてみるのも億劫だ。ビールをグラスに二杯とちょっとで、もう酔いが回りはじめている。
 長嶋茂雄が〝栄光の巨人軍〟に入団したのは昭和三十三年、その年の夏にわたしは生まれている。デビュー戦で国鉄の大投手金田正一に四打席連続で三振を喫したとき、わたしはまだこの世にいなかった。
 その長嶋が現役を引退したとき、わたしは高校生になっていた。闇の中、スポットライトを浴びて花束を手にした長嶋の引退セレモニーは、その日のニュースなどでは見ていない。激動の昭和をふり返る番組で取りあげられているのを何度も見てきただけだ。子供の頃からそれほどプロ野球好きというわけではなく、長嶋、王といえば、テレビアニメ『巨人の星』で馴染みがあった程度だ。
 それでも大学生のとき、同級生に誘われて後楽園球場に江川卓のデビューは見にいっている。大学が水道橋にあって、球場に近かったからだ。二軍戦だったが、スタンドは満席だった。
 外野席から見る江川には、案外小っちゃいんだなという印象しかなかった。当たり前、外野席からマウンドまでは百メートル弱ある。間抜けな話だ。しかしながらさすが昭和の怪物、第一球を投じたとたん、球場全体がどよめきに揺さぶられ……、というほどでもなかった。
 たしか三回までしか投げなかった。よく憶えているのは四回始め、ピッチャーの交代がアナウンスされたとたん、客の大半が立ちあがったからだ。どれほど観客が残ったのか知らない。わたしも同級生といっしょに球場を出てしまったから。
 それから二年、大学を卒業してサラリーマンになってから観音裏の奥、吉原のソープランド街に行くようになった。その頃の名称は、某国の名を関していたが、大使館からクレームが入ったかで名称が石鹸国というわかったような、わからないような名称になった。
 しょっちゅう行けたわけではない。夏と冬のボーナスが出たときには、何をおいてもすぐに駆けつけたものの、あとは生活に追われた。それでも仕事のストレスが溜まりに溜まって、どうしようもなくなると、伝家の宝刀クレジットカードを一閃させ、飛びこんだ。背に腹はかえられないとはまさにこのことだな、と思ったのを憶えている。
 通勤に国電の山手線を利用していたので、鶯谷駅からタクシーに乗るのが定番コース、『大門を越して、交番の前まで』と運転手に告げるときには、いっぱしの遊び人にでもなった心持ちがして、胸底がきわきわしたものだ。大門はオオモンといい、ダイモンでは港区芝か、昭和の人気刑事ドラマの主人公になる。
 ぶっちゃけ鶯谷駅から徒歩ではたどり着くことができずタクシーを利用するしかなかった。歩いても行けるようになったのは、ずっと後年、浅草を舞台とする警察小説を書くようになってからだった。
 もちろん、サラリーマン時代には観音裏という、小粋な地名など知らず、雷門周辺さえ訪れたことがなかった。目的地まで一直線、用を足すとふたたびタクシーで鶯谷駅に戻った。いつも単独行だったので、ひとときの至福の余韻を、近所の居酒屋で連れと分かち合うといったおつな楽しみも知らなかったし、何より金銭的余裕がなかった。
 ソープランドに行くようになったのは、社会人になって給料をもらってからだ。親がかりで大学に通わせてもらったので、さすがにソチラ方面まで世話になるのは気が引けた。初月給で両親へのプレゼントなど考えることなく、初めて給料袋を手にした翌日、巣鴨駅裏にあった一軒に出かけていった。
 吉原に初めて行ったのは、社会人になって三年目くらいだと思う。
 昭和の終わり近く、その頃はワン・ツーの店が高級といわれていた。店の前の看板には入浴料とあり、個室に入って敵娼――アイカタと読めるようになったのは四十代も半ばを過ぎた頃だったか――にサービス料を渡すシステムになっていたのだが、これが入浴料の倍というのがジョーシキとされていた。ワン・ツーの店とは、入浴料一万円、サービス料二万円ということだ。
 低料金を売りにする店の看板には、総額とあり、フロントで七、八千円を払うとサービス料はかからない。低料金の店でも奇跡はあった。地方から出てきたばかりで右も左もわからず、仕事にも慣れていなくて、いかにもウブという若い子が相手をしてくれることもあったが、まさに奇跡だ。たった一度ながらそうした奇跡に遭遇したわたしは幸運だ。
 また、これまたたった一度だけだが、ワン・ツー店に行ったことがある。若い男性向け週刊誌のモノクログラビアで紹介されたソープ嬢に一目惚れし、予約しようとしたのである。しかし、予約はすでにいっぱい。それでも苦心惨憺の末、何とか三万円を掻き集めていたので、ワン・ツーならほかにも美人はいるだろうと出かけた。
 二番目の奇跡はここで起こった。
 わたしが訪ねる直前、ドタキャンが出たとかでお目当ての女性で入れることになったのである。ちなみにイれるではなく、ハイれるで、吉原が遊郭と呼ばれた頃は登楼ると書いてアガるといった。
 そして個室へ。そこにはグラビアで見て、一目惚れ、ぞっこん参ってしまった本人がいる。清潔感あふれる美人だった。写真に添えられていたインタビューには、舌技が得意とあった。時間はたっぷり一二〇分。天にも昇る心地とは、まさにあのときの心境だろう。
 結果、一二〇分中、六分の五にあたる一〇〇分にわたって、彼女が子供のころからどれほど可愛い、きれいだとちやほやされたかをまくし立てられて、はあ、はあと返事をしているうちに終わった。
 店を出たあと、胸の内でつぶやいた。
 舌技が得意って、そういうこと?
 奇跡は二度ないという貴重な教訓を得た。というわけで、わたしがもっぱら利用していたのは入浴料五千円の中級店である。総額一万五千円ならば、はっとするほどの美人も、ウブな若い子もいない代わり大きな外れもない。気張らず、気取らず、本来の目的を堪能できた。
 ソープランド通いも五、六年となった頃、ナースコスプレを売りにする中級店に馴染みができた。敵娼はすでに三十代半ばだったが……。

 そうしてうつらうつら回想にふけっていると正直ビヤホールのドアが開き、一人の女性客が入ってきて、わたしの顔をまっすぐ見るなりいった。
「お待たせえ」
 丸顔で、年の頃なら三十五、六、目鼻立ちは、どちらかといえば地味だ。わたしのとなりのスツールに腰を下ろすなりまくしたてる。
「正直っていうからさ、本店の方に行っちゃったじゃない。分店なら、ちゃんと分店といってよね」
 いやいや本店はかれこれ六年前に閉店しているし、そもそも丸顔の女こそ、ナースコスプレを売りにしていた中級店で馴染みだった敵娼だが、それはもう四十年近く前の話で……。
 何が何だかわからない。わたしは一瞬にして混沌の渦に巻きこまれていた。まだ三杯目の途中で心底酔っ払うというにはほど遠いはずだが。
 こんなこと、起こるはずがない、と現実じゃないと自分にいい聞かせる。あり得ない事態だが、万が一、億が一、一京が一、彼女があのときの敵娼だとしてもとっくに古稀を過ぎているはずだ。だが、目の前にいる女性はあの当時のまま、目尻に笑いじわがあるにしても三十半ばにしか見えない。
「生、一つね」
 彼女がスミちゃんに告げる。わたしはあわててグラスのビールを飲みほし、シニゾコナイの四杯目を注文した。心臓がバクバクしている。
「こっちも」

「乾杯」
 たがいにグラスを持ちあげたが、こそりとも打ちあわせはしなかった。正直ビヤホールのグラスはしゃれた極薄口なのだ。縁を噛めば、パリンと割れるだろうし、親指で押しただけでも潰れてしまうのは確実だ。
 さすがに四杯目、わたしはひと口飲んだだけでグラスを下ろしてしまったが、彼女は小さく、丸いあごを持ちあげ、飲んでいる。喉が渇いていたのか、小気味いい飲みっぷりではある。やわらかそうな白い喉が動いていた。半分以上を飲んで、ふうと息を吐いた。
 タイミングよくスミちゃんが紙皿を差しだす。
「はい、どうぞ。召し上がれ」
「ありがとう」
 彼女は受けとった皿を目の前に置き、6Pチーズ、都こんぶ、魚肉ソーセージを取りだしてわきに並べ、柿ピーの小袋を手にした。指先で破り、中身をざっと皿に広げて、わたしとの間に押しだしておいて、柿の種を一粒つまんで口に入れた。
 ほおが動き、ぼりっと音がする。
「なるほど」
「何が?」
「皿、そんな風に使うんだ」
 二人の間に置かれた紙皿に目をやった。白地に優しい朱色とベージュが散っている様子はどこか長谷川利行の絵を思わせる。
「変?」
「変じゃないけど」
「あんたはふだんどうやってるの?」
 一つうなずき、目の前の小袋を取って破ると中身を手のひらにあけ、そのまま大きく口を開けて、ぽんと放りこむ。にぎやかな音を立てて噛みながら彼女に目を向けた。彼女は苦笑いして、小さく首を振る。彼女にしてみれば、呆れて笑うしかなかったのだが、わたしはウケたと単純に喜んだ。あの頃と同じだ。
 ビールをひと口、口いっぱいの柿ピーを流しこんでいう。
「この方が面倒がない」
 出会った頃は毎晩のように電話していた。たいていは午前〇時過ぎ。実は電話をかける前にはいつも思っていた。今夜は我慢しよう、毎晩では迷惑だ、と。
 仕事が終わって、自宅最寄りの国鉄山手線駒込駅東口北側、ガード下にある二十四時間営業の立ち食いそば屋でセットメニューの夕食を済ませ、賃貸ワンルームに帰ってきて、シャワーを浴び、マグカップにウィスキーを注いで水道水で割り、シンクの前に立ったまま、とりあえずぐっとひと口、半分ほどを飲む。ベッドに移動して縁に座り、もう少しウィスキーを足して、二口目、三口目と飲む頃にはアルコールが全身に広がり、独りであることが猛烈に染みてきて、落ちつかなくなり、受話器を持ちあげ、軽やかに、流れるようにボタンを押していく人差し指を眺めているときには日付が変わっている。
 唇を嘗め、呼び出し音を数える。七回鳴れば、留守番電話に切り替わるが、たいてい二度目には受話器が持ちあげられる音が聞こえた。
「はい」
 彼女の声はしっとり落ちついていた。いつでも。
 二杯目を飲むと誰かとお喋りしたくなるのは、まもなく六十六になろうとしている今も変わりない。しかし、相手が見当たらない。街中華でザーサイを肴にビールを飲む玉袋筋太郎を相手に飲むのは、三百五十ミリリットルの発泡酒、それも一缶でいっぱいいっぱいになる。
 右隣に座った彼女が顔を仰向かせ、ビールを飲みほした。空になったグラスをスミちゃんに差しだす。きれいに化粧をして、極上の笑みを浮かべたスミちゃんは白い割烹着姿だ。
「はいよ」
 受けとったグラスをざっと洗い、注ぎ口にあてがってサーバーのレバーを押すスミちゃんを眺める彼女の横顔を見ていた。ちんまりとした鼻の形が好きだった。化粧っ気はなく、水色の薄いニットアンサンブルを着ていた。
 彼女がわたしのタバコに手を伸ばし、一本を抜いて吸いつけた。そういえば、タバコを喫う女にも滅多にお目にかからなくなった。男の喫煙者はもっと見かけない。ご時世か、寄る年波のせいか、タバコをやめた友達も多い。
 細く煙を吐いた彼女が眉間にしわをきざんで指に挟んだタバコを見た。
「メンソール?」
「ああ」
「インポになるっていってなかった?」
「俗説。そんなのウソだ」
 インポという言葉を久しぶりに聞いた。この頃はED、勃起不全という。
 さて、彼女を何と呼んだものだろうと思いをめぐらす。ソープランドで使っていた源氏名も本名もちゃんと憶えている。だが、まったく違う呼び方をしていた。
 二杯目を受けとり、三分の一ほどを流しこんで嬉しそうな顔をした彼女に訊いた。
「いくつんなった?」
 さっと真顔になって、わたしをまじまじと見る。
「知ってるでしょ? ウシ年よ」
 笑みはない。答え方もいつもと同じだ。干支はウシ年、イヌ年生まれのわたしより九歳上になる。だから名前ではなく、こう呼んでいた。
 おっ母。
 きらきらした目でまっすぐにわたしを見つめる。
「どうしたのよ、急に」
「いや、変わらず若いなと思って」
 へんとでもいうように鼻にしわを寄せる。
「バカ。若くないよ。もうじき四十だもの」
 心臓がけっつまずく。
 彼女がつと手を伸ばしてきて、左の人差し指でわたしの鼻の下の髭に触れる。
「真っ白ね」
 世の中がぐるぐると回って、どんどん加速していくような気がして、あわててビールを飲みほし、ゴキゲンヨウの五杯目を注文した。わたしは今年、六十六歳になる。髭が真っ白になるのも無理はない。そして彼女はわたしより九つ年上のウシ年で……、だが、もうじき四十になるという。ちょうどあの頃の年齢だ。
 頭蓋骨の中でぐるぐる渦巻くビールの海から、三十数年も前の、ある光景が浮上してきた。
 当時、彼女が借りていた小さな一戸建ての、長年風雨にさらされ、色あせ、波打っていた合板のドアの前に黒いギターケースと、二人で観に行った思い出の映画、『トップガン』のサウンドトラックを収めたLPレコードが置かれていた。
『トップガン』が公開されたのは、一九八六年。わたしが彼女と有楽町の映画館に行ったのは、公開から半年ほどした頃だったろうか。見たのは、オールナイト上映で午前一時過ぎから始まる回だ。昼間仕事をしていたわたしはずっと居眠りをしていた。憶えているのは、二機編隊のトムキャットがそろって左に翼をかたむけ、雲間を降下していくシーンだけでしかない。
 小さく首を振り、映画館での情景を頭から追いだす。
 彼女の家の前に立ち尽くしていたのは、いっしょに映画を見てから二年以上もあと、一九八九年、ちょうど梅雨時のことだ。二、三ヵ月くらい前から彼女が電話に出なくなっていた。理由はわからない。店に予約を入れようとしたが、辞めたといわれた。
 わたしには、どうしても彼女に知らせたいことがあった。電話はつながり、留守番電話が応答する。何度電話したか、今となってはよく憶えていない。だが、直接伝えたくて……、いや、彼女と話をしたくてメッセージを吹きこまなかった。
 だが、彼女は出ない。ある日、決心して留守番電話に吹きこんだ。
 初めて鳴海章というペンネームが文芸誌に載ることになった、と。

 話はふたたび彼女と『トップガン』を観に行った頃に戻る。行ったり来たり、まことにややこしくて申し訳ない。
 わたしは総合出版S社の文芸編集者とひょんなことから知り合い、小説家になるためのアドバイスをもらうようになっていた。中学生の頃から小説らしきものを書き、大学生のときには新人賞に応募したこともあったが、いわゆる箸にも棒にもかからないという奴で、大学を卒業、社会人になったときにすっぱり諦めていたのである。
 ふたたび書きだしたのは、彼女がきっかけだった。
 彼女は熊本の生まれで、親との折り合いが悪く――元憲兵だった父親が厳格に過ぎたという――、中学二年生で家出、十六、七のときには長崎で暴力団組長の内縁の妻になっていた。不始末をしでかした子分が詰めた小指を汚れたハンカチにくるんで持って来たのを見たという話も聞いた。その幹部とも別れ、東京に流れついて、夜の街で働くようになり、三十を過ぎる頃には六本木に小さいながらも自分の店を持つに至っていた。
 しかし、経営がうまくいかず、店は潰れ、多額の借金を背負った彼女は吉原で働くことを決めたのである。その辺の事情を彼女は詳しく語らなかったし、わたしもあえて掘りさげようとはしなかった。彼女を思いやったからではなく、卑怯に目を背けただけ、と今ならわかる。
 店を潰したときの借金がどれほどなのかは聞かなかったが、出会った頃には残債六百五十万円ほどといっていた。サラリーマンのわたしには、とても手の届かない金額だ。だが、何とかしたいと思った。いくつかカネを稼ぐ方法を相談するうち、大学生の頃まで小説を書いていたといったら、彼女がすかさず小説家になって大儲けして、借金返済を手伝ってよといった。新人賞に二度応募し、てんで相手にされなかったレベルにもかかわらず彼女がそばにいてくれて、彼女を救うためなら、何とかなりそうな気がした。
 髪の毛一筋も根拠はない。
 彼女に乗せられたわたしは、半年ほどで四百字詰め原稿用紙七百枚ほどのハイジャックをテーマとするサスペンスを書きあげた。だが、それから先どうすればいいのかわからず途方に暮れてしまった。
 ある日の深夜、ワープロ打ちした原稿を前に、いつものようにウィスキーで泥酔したわたしは床に散らばっていた男性向けの娯楽月刊誌を手にした。それこそS社が版元で、背表紙に編集部の直通電話の番号が記載されているのを見つけ、電話をかけた。酔った勢いにほかならない。午前一時か、二時か。電話がつながった。
『はい、月刊P編集部です』
 男性の声で、若そうな感じがした。わたしは怪しい呂律でいった。
『小説を書きあげたんです』
『お疲れさまです』
『いや、そうじゃなく、どうしたものかと思ってまして』
『ああ』相手は話はすべて了解したという口調になった。『それなら志仁田という者がおりますので、そちらに送ってください』
『死にたい?』
『いえ、シ、ニ、タ、です。寸志の志に、仁義に欠けるの仁、荒れ果てた田んぼの田、志仁田です』
『変わった名字ですね』
『それでは、よろしくお願いします』
 相手は受話器をガツンと置いた。
 その後、志仁田さんがわたしを小説家へと導いてくれる。ウソみたいな話だが、本当のことだ。縁など案外、その程度の偶然でつながるのかも知れない。翌日、原稿を志仁田さん宛に送付したが、その後どうなるかなど想像もつかない。ところが、原稿を送って、二、三日した頃、留守電にメッセージが入っていた。
『S社の志仁田と申します。原稿を拝受しました。読ませていただきたいと思いますが、こちらも業務多忙でありまして、半年ほどかかるかも知れません。気長にお待ちください。それでは失礼します』
 電子音につづき、その日二番目のメッセージが再生される。
『S社の志仁田と申します。原稿、三分の二ほど拝読しました。面白い。ぜひお目にかかりましょう。一度ご連絡ください』
 付き合いが始まったのはそこからだ。
 たまたまだが、志仁田さんがその時期だけ、月刊P編集部に配属されていて、編集部に馴染めずクサっていて、早い話が暇を持てあましていた。知ったのは後々のことだが。もっともそのおかげで、アメリカ版本誌に載ったドナルド・トランプ――ときは一九八〇年代の終わり、のちにアメリカ合衆国大統領になるといわれても信じられなかったろう――、トム・クルーズ、エディ・マーフィーのインタビューを下訳した原稿をリライトするアルバイトをさせてもらい、小遣い銭を稼ぐという余録もあった。わたし自身、会社勤めをしている関係で本名を出すわけにはいかず、適当なペンネームをでっち上げて書いていた。
 そうこうしているうちに、志仁田さんがS社の文芸誌に働きかけ、エッセイを書くチャンスを作ってくれた。今度ばかりはちゃんとしたペンネームを付けろといわれ、ひねり出したのが鳴海章だ。由来も経緯もまったく憶えていない。
 とにかく新たなペンネームでエッセイがちゃんとした文芸誌に載ることを彼女に知らせたかった。ところが、その頃には電話がまるでつながらなくなっていた。
 いよいよ来月発売となったとき、わたしは禁を破って留守番電話にメッセージを吹きこんだ、とこういう次第である。だが、その後もつながらない状態がつづき、折り返し電話が来ることもなかったのだが、半月ほどしたとき、いつものように酔っ払い、九十九パーセント諦めの気持ちでかけた電話に受話器の持ちあがる音が聞こえた。
 もしもしといったが、返事はない。すすり上げ、くぐもった呻きが聞こえた。とにかくすぐそっちへ行くと伝え、アパートを飛びだしてタクシーを拾い、彼女の家に向かった。
 彼女が一軒家を借りていたのにはワケがある。猫と暮らすためだ。いずれも拾い猫だったが、都合七匹いた。初めて彼女に家に行ったとき、目がちかちかするほどの糞尿の臭気に面食らったが、三十分もすると慣れた。泊めさせてもらった日には、白猫がわたしの布団に潜りこんで寝ていたこともある。七匹の内で一番人見知りしない猫だった。
 さて、久しぶりに電話がつながった夜、タクシーを奮発して駆けつけてみると、彼女は泥酔し、泣き腫らした顔をしていた。そして家の中が奇妙に静まりかえっていた。
 彼女がかすれた声でいった。
『処分したの。七匹、全部』
 重篤な糖尿病にかかり、仕事をつづけられなくなったとつづけた。出会ってから三年以上の月日が流れていた。四十歳になった彼女は太り……、いや、全身が浮腫んでいた。
 近づこうとして、怒鳴られた。
『来るな、帰れ』
 目が据わっていて、怖かった。彼女の家にいたのは、結局一時間か、二時間か。あとから思えば、罵詈雑言を浴びながら彼女がくたびれ果てて眠ってしまうまで待ち、さらに目を覚ますまでそばにいてやれば……、いや、当時のわたしにはそんな度胸も根性もなかった。気になっていたのは、あと数時間もすれば出勤しなくてはならないとそれだけだったのだ。
 ついに鳴海章の名前が載った文芸誌が刊行されたとき、わたしはふたたび留守電にメッセージを入れた。
 次の日曜、午後一時頃に行く、と。
 そしてやってきたらギターケースとLPレコードがドアの前に置かれていた。玄関に近づき、呼び鈴を押したが、返事はなかった。ノックにも答えはなかった。耳を澄ませたが、何も聞こえなかった。とりあえずギターケースとLPレコードを取り、ドアの前に文芸誌を置いた。
 一時間ほど近所をぶらつき、ふたたび戻ってみると文芸誌はなくなっていた。
 駆けよって、呼び鈴、ノック……。しかし、返事はなかった。
 次の日曜日、ふたたび訪れたとき、人の気配がなかった。隣家の人に訊ねると引っ越したといわれた。引っ越し先はわからないという。
 以来、彼女との音信は途絶えた。

 どっと笑い声が聞こえ、はっと目を開いた。
 声のした方――左に目を向ける。二十インチの液晶テレビには、かつてお笑い第七世代といわれたコンビが映っている。最近テレビで見ないなと思った。どうやらコマーシャルらしく、わざとらしい笑い声はアフレコのようだ。羽子板の長嶋茂雄が胸に33を付け、その斜め上にダイヤル式の黒電話――立派な現役で、正直ビヤホール名物――があっても時代は変わっている。
 わたしがデビューした二十世紀の終わりなら原稿の冒頭に2024・ASAKUSAと書けば、近未来SFになったものだが、今では現在進行形だ。
 どうやら白昼夢を見ていたようだ。胸の底がすっぽり抜け、うつろな気分だが、どこかほっとしてもいた。ビール六杯で、たとえ夢であれ、あの頃の彼女に会えたなら幸せだ。右足親指の付け根が熱を持ち、じくじく痛みだしたことこそほろ苦い現実である。
 右の二の腕に柔らかなものが押しつけられ、ふり返った。鼻と鼻が触れそうな距離に彼女の顔があった。
「ひょっとして、寝てた?」
 彼女の息がふわりとかかってきて、リンゴ酒のような匂いがした。彼女とキスをすると不思議な匂いがしたことを思いだした。プラスチックじみているような、薄めたシンナーのような、それでいて甘く、わたしの身のうちの深いところで官能に火を点ける。コワクという単語が脳裏を過ぎる。漢字は思いだせない。
 出会った頃から感じていた匂い。嫌いではない。むしろたまらなく好きだった。キスをするたび、あるいは鼻先を触れんばかりに話をするたび、胸いっぱいに吸いこんだ。
 今では匂いの正体がわかっている。糖尿病患者は、体内でブドウ糖をうまく分解できず、その代わり脂肪をエネルギー源とする。その際に使われるのがアセトンという化学物質で、甘酸っぱいリンゴに似た香りを放つ。
 出会ったとき、彼女はすでに糖尿病を抱えていたのだろう。口臭ではない。肺の底、いや、細胞の一つひとつから立ちのぼってくる彼女の命の証だ。不快になるはずがない。
 笑みを返す。
「ごめん」
「ダメよ」彼女がきっぱりいう。「謝っちゃうのはズルい。重い荷物を相手の背中にのっけて、自分は楽になろうってんだから」
 思いだした。ごめんで済めば、ケーサツは要らないと彼女はよくいっていた。
 彼女が引っ越して一年半後、わたしは江戸川乱歩賞を受賞し、ついに念願の作家デビューを果たした。一九九一年、年号は平成と変わっていたが、まだ前世紀だ。のちにバブル崩壊と名指しされる年だが、まだまだ余熱は残っていて、出版業界もカネ回りがよかった。さらに架空戦記ブームとやらに乗っかり、日本が原子力空母を持ち、実在するF‐4ファントム飛行隊が乗るというシリーズがあたって、わたしの年収はサラリーマン時代のざっと七倍になった。
 彼女が背負っていた借金など楽に返済できるようになり、そもそも小説家を目指した理由がそこにあったにもかかわらず、音信が絶えたのをいいことにわたしは頬被りした。あの頃ならまだ彼女が勤めていた店には、よく名前を聞かされていた仲良しのソープ嬢が在籍しており、客として入れば、会うことができた。たとえ彼女の消息がつかめなかったとしても一万五千円で済んだことなのだ。
 デビュー後のわたしは銀座の文壇バーに入り浸り、夜な夜な飲みまくっていた。書店でしか名前を見たことのない小説家が出入りし、時おりプロ野球の選手や芸能人も見かける店で、文芸担当の編集者たちに囲まれ、酒に、憧れの世界に、着物やドレスをまとった女性たちに酔い痴れていた。
 とにかく夢中で飲みまくり、彼女のことも、彼女の病気や借金のことも忘れてしまっていた。
 連絡の取りようがないんだからしようがないだろ……。
 正直ビヤホールのカウンターで肩を寄せていた彼女が右手を上げ、人差し指でわたしの眉間を押す。
「何、考えてんの? しわなんか寄せて」
 ひんやりした指先が心地いい。コワクの香が混じる息を肺腑の底まで吸いこむ。
 ごめんな、といいそうになるのを必死でこらえる。重荷を彼女の背中に移してはならない。卑怯すぎる。
 それにしても、と思う。目の前にいる彼女は初めて出会った頃のまま、病が重くなる前のほっそりした姿をしている。わたしは、全身が浮腫んだ、四十過ぎの彼女も見ている。幽霊なのか、と思う。幽霊ならこの世に戻ってくるときに、自分が望む姿になれるのか。しかし、病が重くなっていないとはいえ、吉原にいた日々を望むだろうか。
 夢にしてはリアルに過ぎた。地下鉄銀座線浅草駅を出て、ひさご通りを抜け、言問通りにぶつかって左へ二軒目、正直ビヤホールの黒いビニール張りのスツールに腰かけ、極薄のグラスでビールを飲んでいる。
 酔夢? それとも幻?
 身のうちを巡るアルコールが大波を打ち、白い泡となって全身を駆けぬける。彼女を見ていた。じっと見ていた。
「何よぉ」
「好きだ」
「ババァ、からかうもんじゃないよ」
「ガキ、ナメんなよ」
 純情一途がガキの特権だ。たとえそれが無知ゆえの甘えに過ぎないにしても。二人の会話を聞いていたスミちゃんがぎょっとしたように目を見開いている。ババァとガキ――見た目は完全に逆だ。
 わたしはいった。
「ちゃんこの出ないちゃんこ屋に行こう」

 二〇五三年、千葉市美浜区――。
 高精細ディスプレイに映しだされる、二十九年前の言問通りを見ていたハンナはわずかに目を細めた。コンピューターグラフィックス映像だが、どこまでズームアップしても細部をきっちり見ることができる。ほぼ当時のままだ。視点は思い通りに切り替えられ、移動できた。まるで、今まさに言問通りのわきに立っているように……。
 ハンナは、世界最大のプラットフォーマー〝カナン〟日本支社の開発部門で助手として働いていた。左側にあるもう一台のディスプレイには、別室でベッドに寝かされている老人が映っている。全身に各種計測用のコードや生命維持に最低限必要な生理的循環を支えるチューブにつながれ、頭部は球形の機器――通称ブレインドームにすっぽり覆われていた。
 ブレインドームをかぶった被験者は、VRゴーグルとヘッドセットを装着している。鼻にさしたチューブには供給される酸素に匂いの素となる化合物を混ぜる機能があり、唇の端には甘味、塩味、酸味、苦味、うま味を感じさせる水溶液を噴霧するスプレーが挿入されている。
 また、剃りあげた頭部には脳内の血流によって、大脳の活動を測定する端子が貼りつけられていた。ドームにしてあるのは、測定機器を定位置に保持すると同時に外部からのよけいな刺激を極力遮断するためだ。
 二十一世紀に入って、脳科学は飛躍的な進歩を遂げていた。しかし、たとえば視覚、聴覚、嗅覚、味覚、触覚のいわゆる五感からの刺激を直接大脳に送りこむには至っていない。実用化され、世界中に普及している人工内耳にしてもマイクで拾った音を電気信号に変換し、耳の奥の聴神経に伝えるのであって、大脳聴覚野へ信号を送るわけではない。それゆえ被験者はドームに取りつけられたスピーカーから流れる音を自分の耳で聞き、内蔵されたディスプレイに映しだされる映像を肉眼で見る必要があった。
 それでも脳活動をモニターする機器とつなぐことで視線や身体の動き――正確にいえば、動かそうとする意志の信号――に連動した高精度な映像を提供し、高度な人工現実感を実現できるまでになっていた。
 ハンナと椅子を並べている同僚のケインが感心したようにつぶやく。
「なるほど糖尿病ねぇ、それでアセトンの希釈溶液を入れた容器をブレインドームに追加設置したのか。ま、糖尿病自体が今は昔の物語になってるけどね」
 遺伝子治療の進化により疾病のほとんどは絶滅されていた。もっとも発症してから治療するのではなく、受精卵のときに将来発生する疾病リスクを遺伝子レベルで調べあげ、遺伝子操作を行うのだが。もし、操作不能なレベルであれば、出生の可否を親と医者、行政側の担当部署との話し合いで決めている。
 疾病を治療するより患者を作らない方がコストが少なくて済む。だが、ここに大きな問題がある。まだ胎児にさえなっていなくとも、たとえ親であったとしても生殺与奪が赦されるか、だ。この点については、世論操作を行い、倫理観そのものを変更することで対処した。何ごとにおいてもコストが最優先であり、意味があるという言葉はカネになると同義になっている。
 ケインがハンナを見た。
「この検体って、君のお祖父さんなんだって?」
「イエス」
 ハンナは素っ気なくうなずいた。戸籍に記載されている名前は花だが、国外での生活が長く、子供の頃から多国籍の人々と暮らす環境に育ってきたので、ハンナの方が通りがよかった。
 生的検体XLe85791nS――元小説家を実験用としてカナン社に提供したのはハンナである。もっとも祖父とはいっても血のつながりはない。母が中学生のとき、祖母がディスプレイの中で寝ている元小説家と結婚し、連れ子だった母はそのまま養子になった。
 ハンナの勤める会社は、二〇二〇年代からメタバース――漢字なら超宇宙とでも書くのか、とにかく便利な造語で、具体的にはコンピューターグラフィックスで作られた仮想空間を指す――を利用したビジネスを展開して急成長し、創業から十年後にカナン社に買収された。今ハンナとケインが取り組んでいるのは、〝人生最後の一食〟をメタバースで提供しようという新規サービスの開発だった。歳をとりすぎて、飲食や歩行などができなくなってもメタバースでなら希望がかなう。
 ディスプレイに映しだされている二十九年前の浅草はどこまでもリアルで、まるでタイムマシンに乗って眺めているようだが、当時の画像、映像、地図、さらに一般人がネットにアップロードした画像や動画などをもとに、あとはデザイナーの想像力を加えて作られている。
 実写とCGの組み合わせは、一九七〇年代から映画業界で取り組みが始まった。当初は特殊撮影の一つと見られていたが、技術の進化にともない、二十一世紀に入ると屋内外を問わず背景はCGで作られることが多くなった。一度の撮影コストだけを考えるならスタジオにセットを組むか、ロケに出かけた方が安上がりだったが、セットは手間がかかる上、どうしても古びるし、時代劇ともなれば、出かけていくべきロケ地がどんどんなくなっていった。
 CGで作りあげた背景はストックしておくことができ、映像に求められるクオリティにもよるが、古びた感じを出したり、光線の具合を調整したりするのもエンジニアがパソコンの前に座っているだけでできるようになった。年を追うごとにストックの量は増えつづけ、二〇一〇年代には世界中のあらゆる都市のデータベースが出来上がりつつあった。背景だけでなく、登場人物のCG化も進んでいった。当初はスタントマンの顔を俳優のものに入れ替え、一瞬だけ見せる方式だったが、だんだんと時間が延び、精度も向上していった。
 そして二〇二〇年代、生成AIの登場によってコンピューターグラフィックス映像は劇的に進化する。ネット空間を漂う膨大な画像、映像、音声などをデータベースとして、誰もが比較的手軽に自らの望む世界を可視化できるようになった。
 商業誌のグラビアやテレビ、インターネットのコマーシャルではデジタルモデルが主流を占めるようになった。実在するモデルで撮影したあと、カメラマンがコンピューター上で加工したり、生成AIで作成するようになった。要は広告代理店がカメラマンとコンピューター技術者に依頼して、クライアント好みの顔、体型、肌の色、性別を選んで、架空のモデルを製作する。そうしたモデルたちが大判のポスターどころか、繁華街に建つビルの一角を占める立体スクリーンで跳梁跋扈するようになった。実在とAIによるデジタル生成の区別はつかなくなり、また、分けることの意味もなくなった。一般大衆受けして、カネさえ稼げれば、それでいいのだ。
 三十秒から長くても一分間しか使わない上、しかもくり返し使用されるコマーシャルの分野では動画の修正が行われ、技術が大きく進歩した。化粧品のコマーシャルに登場する女優のシミを消すなど二十一世紀初頭には常識になっていた。こうした技術が一般化し、さらにインターネット上で有名人のセックス動画がフェイクで使われるようになると闇マーケットが急拡大する。表であれ、裏であれ、カネさえ集まれば、技術は急速に進歩する。
 儲かるのが善、儲からないのは悪、いやいや、悪だから儲からないのだと世間の見方が変わっていく。
 そのうち映画の世界でもデジタルアクターが使われるようになってきた。素材ともいうべき生身の俳優がいても、たいていは売れていない役者で、デジタルアクターに対する権利を一切放棄するという契約を結ばされた。
 完璧な容姿、図抜けた演技力を持つデジタルアクターが技術の進化にともなって映画に違和感なく溶けこむようになるとだんだんと生身の俳優を駆逐していくようになる。
 デジタルアクターは歳を取らず、ケガもしないし、爆破シーンで五体バラバラになっても死なない。何よりスキャンダルを起こさない点がスポンサーのお気に召した。
 転機は二〇三一年にアメリカで起こった。肖像権が対象者の死後、五十年で消滅すると法律で定められのである。もちろん名誉を毀損したり、公序良俗に反するような使用には制限がくわえられたが、かつての名作が本人主演でリメイクできるようになったのだ。今年は二〇〇三年に死去したチャールズ・ブロンソン、キャサリンの方のヘップバーンの肖像権が消滅したと報じられたが、ハンナはどちらも知らなかった。
 人物のCG表現が進化し、よりリアルに、動きも滑らかになるとメタバースにも大きく影響した。誰でもアバターを自作し、仮想空間に自由に出入りできるというのがメタバース最大のセールスポイントだが、ポリゴンの組み合わせで、かくかくした動きしかできなかったアバターがどんどんと実写と見分けがつかなくなり、動きも自然になっていった。化粧も自在にできた。ファンデーションとは自分の望む顔立ちに変更することであり、これは顔だけでなく身長、体型、性別にまで及んだ。実体を知っているのは本人だけとなり、その姿で仮想空間で暮らす時間が長くなると、現実の自分――たいていはアバターよりほんのちょっぴり醜い――こそ仮の姿と考える人間が増えてきた。
 どこででも、誰とでも、二十四時間いつでもコミュニケーションが取れるのだから現実世界など色あせて見えても不思議ではない。
 映画業界が生き残りを賭けてインターネットの世界に進出したのは背に腹はかえられない事情があった。当初はあくまでも本流は劇場公開としていたが、やがて公開と同時にネット配信するようになり、やがて逆転していく。
 その頃の映画業界では、すでに背景から俳優までフルCGで制作されるようになっていただけにメタバースとの親和性も高かった。しかも現在、過去、未来と舞台の蓄積は莫大だったのである。メタバースで楽しもうという顧客は、地球上――ときには地球外――のどこへ行くかだけでなく、どの時代へ行くかも、その日の気分で選択できた。
 歴史学者がメタバースで描かれる背景がデタラメで、参加者に悪影響を与えかねないと批判したが、あくまでもエンターテインメントの世界であり、架空の物語を楽しむものだとして、参加者はもちろんのこと、主宰する政府、地方公共団体、企業のいずれもまったく気にしなかった。
 また、人間にはメタバースライフを楽しむ能力が生まれつき備わっていた。
 俗に人は生まれた瞬間から現在に至るまで、目にした光景のすべてを記憶しているといわれるが、誤りだ。図書館のように記憶を保存してある部位など、脳のどこにもない。記憶とは、思いだそうとするたびに、脳内に散らばっている信号伝達のパターンを寄せ集めているに過ぎない。
 つまり記憶とは、記録が再生されるのではなく、思いだそうとするたびに新たに生成されるのだ。
 しかも当事者によって都合よく、美しいとか気持ちいいとか正の感情だけでなく、恨みや怒りといった負の感情さえも、方向が逆というだけで、盛ってくれるという点は変わりなく、こまやかな微調整までしてくれる。実際の光景や人物が自分の抱いている印象と違うような場合、すみやかに記憶の方を改変して腑に落ちるようにしてしまう。
 メタバースの話ではなく、生身の脳内で起こっていることだ。
 祖父の場合、本になった作品以外に膨大な量の日記やメモなどを残していた。ハンナはすべてを読むことで祖父の記憶に沿ったエピソードを構成できたのである。
 ただし、限界はあった。祖父の彼女の外見がその一つ。古い写真が三枚あっただけで、インタラクティブに動作するアバターとするにはAIに類推させるしかなかった。音声データにいたっては録音、動画のいずれもなく、体格、骨格、年齢、喫煙者であること等々様々な条件をインプットした上で、これまたAIに類推させた。
 実際の彼女と、祖父のいるメタバースに現れた彼女との間にどれほどの差があるか、ハンナには判断のしようもなかったが、魚心あれば水心というか、祖父が彼女にもう一度会いたいという願いが記憶をアジャストした。
 肝心なのは、実際の彼女がどうだったかではなく、祖父にどう見えるか、なのだ。
 人は現実世界を見て、聞いて、嗅いで、触れているように考えているが、すべては大脳が外部からの刺激を統合して作りだした表象――誤解を恐れずにいえば、脳がリアルタイムで再構成した幻視――に過ぎない。実物をストレートに認識するのはそもそも不可能であり、認識のためには脳が現実世界のアバターを脳内に作りあげる必要がある。
 表象の世界を構築するのも、認識するのも、大脳の中で作られる〈わたし〉に他ならない。目に見えるからといって、存在の証明にはならない。般若心経でいう色即是空は、こうした構造をひと言で表している。
 ハンナは目を瞠った。祖父は千束通りを北上していて、ちゃんこ料理屋の位置もわかっている。正直ビヤホールからだと距離にして八百メートルほど、のんびり歩けば十分ほどかかる。だが、その間を祖父が移動するのに要した時間は二秒でしかない。
 脳内で時間を認識する部位が衰弱し、祖父が感じている時間が間延びしている。つまり時間そのものも表象に過ぎない。祖父の認識上では十分か、それ以上の時間をかけて歩いているのだが、外側にいるハンナの時間に換算すると二秒でしかない。
 このことが何を意味するか。
「血圧の低下が始まった」
 モニターを見たケインが告げる。
「了解」
 ハンナはディスプレイを見たまま、答えた。言問通りからちゃんこ屋まで移動する間の風景は高速すぎて建物の一つひとつを見分けることは不可能になったのは、祖父が死にかかっていることを表している。画面中央、やや右を流れ星の速度で黄色い線が流れていったのは、千束通り浅草四丁目交差点に建つパチンコ店だったのかも知れない。
 祖父を生的検体として提供したのは、人生最後の旅をメタバースで提供するという新規事業の担当者に抜擢され、ちょうどうまい具合に死にかかっている祖父がいたことが理由だが、もう一つ、別の理由もあった。
 祖父と、祖父の彼女さんにお礼がしたくて、二人を仮想空間で引きあわせることにしたのだ。
 ケインがディスプレイに目をやったまま、ぼやく。
「君のお祖父ちゃんは三十一年前の浅草を選べたけど、ぼくたちが死に臨んだとき、どんな場所を選ぶんだろうね。君なら、どう?」
 死に臨むという言い回しに、冷たい手で胃袋の底を撫でられたような気がした。
「さあ、考えたことない」
「現在の浅草は、今お祖父さんがいる辺りも含めてすっかり再開発されてて、昔の面影なんかない。ぼくはロンドン生まれだけど、あっちでも事情は変わらない。ヨーロッパ伝統の建築物も百二十億を超えた地球人口の前では邪魔でしかないわけだ」
「そうなんだ」
 ハンナは上の空で答えた。
 彼女は祖父に、世界中のすべてを敵に回しても、たった一人の味方、相棒がいるだけで立ち向かえるし、絶対に負けない方法を教えた。祖父は、その言葉を頼りとして九十六年十ヵ月を生きぬいてきた。同じ言葉は今、ハンナにとっても支えになっている。
「思い出の土地がなくなるって、怖くない?」
 ケインの声を無視し、ハンナは間もなくやってくる祖父最期の瞬間を待った。時間感覚だけでいえば、間延びして、永遠に近づき、すべての動きはかぎりなく光速に近づいて、早い話が計測不能になるのだが、ディスプレイには〝NO SIGNAL〟と表示される。ハンナはコンピューターの負けず嫌いと思いなしている。
 祖父はどんな世界で永遠に立ちどまるのだろう。
 ちっとも科学的ではないが、ハンナにはロマンチックに感じられた。

 千束通りを北に向かってだらだら歩いていた。ビールの酔いでふくらはぎがだるい。わたしの左腕を抱えこんでいる彼女の乳房を薄いニット越しに感じる、どこまでも柔らかく、さほど大きくはないが、温かく、優しく、とにかく心地よい。
「この間、ツィゴイネルワイゼンを観たんだ」
「何、それ?」
「映画。昭和五十五年公開だったかな」
「面白かった?」
「よくわからなかった。映画の舞台が昭和十年代で、その時代の雰囲気というか、空気感を知りたくて、それで観た。だけど、おれはドンパチ物が好きだからさ。ピストルを撃ちあったり、ジェット戦闘機が出てきたりするのしか観ない」
「へえ、ジェット戦闘機の映画を観たときは、ずっとイビキかいてたけどね。あたしの腕をしっかり抱えこんで」
 有楽町の映画館の狭い椅子で、尻を右にずらし、左に寄せた頭を彼女の肩に載せ、そう、たしかに彼女の腕を両腕に抱いていた。
「ツィゴイネルワイゼンにはピストルもジェット戦闘機も出てこない。難しそうな文芸作品だからハンちゃんにまず観てよっていったんだ」
「誰?」
「S社の担当編集者」
「S社、へえ」
 彼女が感心したという顔でいった。S社は有名な出版社だ。わたしとしても志仁田さんと出会った頃には、その後S社と四十年近くも付き合いがつづくとは夢にも思わなかった。
「偉そうか」
「いや、あたしの男やもん、武者よかでいいよ」
 そういってぎゅっとわたしの腕を抱いた。
 あたしの男――何度、その響きにしびれたことか。そういってくれた女性に初めて会ったのが彼女で、最後の女性になった。
「それで、おれ向きじゃないだろうと思って、まずハンちゃんが観て、そんで感想だけ送ってっていった」
「ズルい」
「認める」
「送ってくれた?」
「DVDを、ね。観たけど、よくわかりませんでしたってお手紙付きで。ちょっと時間があったんで、最初だけでも観てみっかと思ってプレーヤーに入れたんだよね。そうしたら流れ者の琵琶弾きの女が川守の男の前でパカッ、パカッって股開くところに惹きつけられて、そのまま最後まで観ちゃった。着物姿だからパンツは穿いてなかっただろ」
「スケベ」
「認める。見終わったあと、ハンちゃんと感想メールをやり取りした。あそこがわからなかったとか、あそこはこんな風に解釈するんじゃないかとか、全体の緊張感が半端なかったとか。そうしたらハンちゃんからも反論や解釈が送りかえされてきた。同じ映画を観て、感想を言い合うなんて、何年ぶりかな。もし、わかりやすい映画だったら、話題にもしてないね。それ考えるとちょっと怖いなと思った」
「どうして?」
 訊きかえしてくる彼女の声を聞いて、ああ、あの頃もこうだったと思う。真夜中でも、毎晩でも、彼女はこうしてわたしの話を聞いてくれた。東京でひとり暮らしを初めて十年くらい経っていた。まわりには何十万、何百万、あるいはそれ以上の人が住んでいるのに、誰もわたしを気にかけてはくれないし、そもそもわたしがそこにいることすら知らない。知ったことじゃない。わたしだって、となりにどんな人が住んでいるか知らないのだから行って来い、そんなもんかと諦めていたとき、彼女は真夜中の電話に出て、ナニ? ではなくナァン? といってくれた。熊本弁の名残りか、イントネーションが優しい。
「今の時代、誰にでもわかりやすくないと映画にならないんだって。誰もが公平に泣けて、笑えないとカネが集められないんだってさ。観客も、皆が泣いているんだから、自分が泣けないのはおかしいって強迫観念にとらわれて不安になるって。食い物にしてもそうだ。ネットの評価で星4・5だから美味しいんだって、うまいか、まずいかなんて、自分の舌の問題だろ。他人は関係ないはずだ。だけど星五つを食って、まずいと感じてしまったら……」
「自分が変なんじゃないかって不安になる」
「うまいか、まずいかなんて、単純に自分の好みの問題だろ。それを他人まかせにして、その挙げ句自分の味覚を疑う。星が五つだろうと、五十だろうと、まずいものはまずいし、腹が減ってりゃ、何食ってもうまいさ。うまい、まずいの判断すらできないなんて、お前はゾンビかっての」
 ふと思いだした。
「そういえば、昔、ゾンビを撃ち殺して、最後にゴールにたどり着くってテレビゲームにはまってた。これが結構難しくてさ、何度もゾンビに食い殺される。悔しくてねぇ。最初の頃なんか、三十時間くらいぶっ通しでプレーした」
「寝ないで?」
「そう。飯も食わないで」
 ふーんと彼女はうなずいた。わたしは言葉を継いだ。
「そのうちにコツがわかってくる。ある部屋でゾンビが近づいてきたとき、そいつが二歩目を踏みだした瞬間に撃てばいいとかね。そうすれば、一発で倒せる。射撃位置もきっちり決まってる。部屋のどこらへんとかさ。だけど、そこに行くためには部屋に入ってすぐ左側の暗がりにうずくまってる犬ゾンビをまず倒さなきゃならない。だから部屋に入って、すぐに右へ移動して犬ゾンビとの距離を取る必要がある。その部屋に入る前には、廊下で鍵を拾わなくちゃならない。それがないと次の部屋を出ようにもドアを開けられないんだ。ゲームを始めてからゴールするまで、正解の位置に立って、正解の武器で、正解の弾数を撃って、ところどころで正解のアイテムをゲットしなきゃならない。そうしないとゴールに到達できない。シリーズの新作が出るとさらに難易度が増して、だから攻略本を買って、まずは勉強しなくちゃならなくなる。そのうちネットで攻略サイトを見つけて、ゲームを始める前に正解のルートを暗記してから始めるようになった。そのときに思ったよ」
「何て?」
「受験勉強みたいだなって。で、熱が冷めた」
 彼女が笑った。
 あらためて周囲を見まわす。千束通りを歩くようになって十二、三年か。その間にさえわたしの見知った店が入れ替わったり、あるいは取りこわされ、マンションが並ぶようになっている。
 観音裏なのに。
 永井荷風は『日和下駄』で、明治期に入って江戸の情緒が次々失われ、西欧風の建物が作られることに憤り、哀しんだ。大正十二年には関東大震災で荷風が憎んだ明治の建物が消失し、昭和二十年三月の東京大空襲で一面真っ平らな焼け野原になった。
 それでも人々は街を再生した。何があろうと、とりあえず腹は減るからだ。その後、昭和三十九年のオリンピックでふたたび東京の姿は一変する。だが、もっとも大きな変貌は一九八〇年代のバブル景気の頃に起こった。その後も東京は変わりつづけ、今ではどこに行ってもタバコの匂いのしないご清潔な街とあいなった。観音裏からでさえ、ヤニ臭さが一掃されつつある。
 それが正解のルートなのだろう。
「本は売れなくってさぁ。出版不況っていわれてんだ。この二十年で出版業界の売上げは七割減だよ。三割減って七割になったわけじゃなく、三分の一になっちまった。でも、おれには関係ないか。業界のせいじゃない。単におれの書くものが面倒くさくて、わかりにくい上に……、まあ、早い話、おれの小説がつまんないから売れないんだろう。でもさ、正解がただ一つってのがイヤなんだよね。正解はあると思う。だけどそれは攻略本に、これだ! って書かれているようなもんじゃないと思う。だから立場の違う登場人物をいろいろ書いて、それぞれのルートを書いて、それぞれの結末を書いて……、あとは放りだす。それが正解か、間違っているかは書かない」
「無責任だね」
「そう。読者の感想にも誰が主人公かわかりにくいってのが多い。だけどさ、このおれが正解を示すなんておこがましいよ。味わっているのは読者なんだから、読んだ人、一人ひとりがこれが正解って思えばいいと思う。たぶん、おれが間違ってるんだろうな。いや、そもそも鳴海章なんて小説家、誰も知っちゃいないか」
 ふいに彼女が立ちどまった。
「どうしたの? ちゃんこ屋は、もうすぐそこ、目の前の交差点を左に曲がったところ……」
 語尾を嚥みこんでしまった。彼女がまっすぐにわたしを見つめる目が据わっている。顔からは血の気が引いていた。
「あんたはいっつもそうね。いくつんなっても、ナァンも変わっとらんね。どんなに情けなかろうと、どんなにへそ曲がりだろうと、どんなにバカだろうと、それがあんたでしょ、自分でしょ? 違う? どんなにしたって自分からは逃れられないの。その自分が、自分をあるがままに認めてやらんで、ほかに誰があんたのことば認めっと? まずは自分が自分を認めてやらんで、どうすっと? あるがままに認めて……、でも、そのままでいいわけじゃない。こうしようとか、ああしようとか考える。その前に、まず鏡に映る自分にいってやらなきゃ。世界中でただ一人、おれだけはお前の味方だって」
「そうすれば、世界中を敵に回しても」
「負けない」
「最強のバディ」
「唯一のね」
 交差点の角を左に曲がった。すぐ先に出ている看板を指さす。
「さん、なな、さん?」
「ミナミって読むんだ。ここがちゃんこの出ないちゃんこ屋」
「はあ? ちゃんとちゃんこって看板に書いてあるじゃない。どうして出ないのよ」
「注文したことないから」
 馬鹿とつぶやいた彼女がわたしの肩越しに通りの先を見た。
「あら、あたしの店の目と鼻の先じゃない」
「そうだっけ」
 彼女の表情は元のようにおだやかになっている。
「なあ、おっ母」
「何よ」
「キスしていいか」
「ここで? 昼間なのに?」
「もう夕方だ」
「えー……、まだ明るいし……、お店の近くだし……、知ってる人が通るかも知れないし……、いいよ」
 いつでも彼女はわたしを相手にしてくれる。彼女の肩に手をまわし、引きよせた。わたしの腕の中に身を投げながら小さなあごを上げた。わたしは顔を近づけた。甘いリンゴの香を思いきり吸いこむ。
 この瞬間、永遠につづけ……。
(終わり)



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