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生活に守られている

急に日記を書きたくなったので書くことにしました。大学院生なので結構流動的な生活をしていて、生活のルーティーンみたいなのがあんまりない。だから毎日は書かないと思う、大変なので。万が一知り合いにバレたらやだし…多分絶対ないけど。

人の日記を読むのが好きで結構読んでいる。フォロワーでもないのに読まれてる人とか申し訳ないと思いつつ。面白いのもそうだし、知らない誰かの生活が確かに存在することに安心するからだと思う。遥か遠い国で沢山人が殺されていて、自分の国ではあり得ない選挙ポスターが貼られて、好きな女性アイドルが最悪な歌詞の曲を歌わされる最悪な日々にじわじわ傷ついていて、そういう世界でも知らない誰かは淡々と日常を営んでいることに救われる。平穏な生活に守られているし平穏な生活を守りたい。だから都民の皆さん選挙にいってください。現状維持はいやです。現状を打破したい。打破できる人に投票して欲しい、私の代わりに。


6/23

東京都現代美術館に行きました。いちばん好きな美術館です。「翻訳できないわたしの言葉」ずっと行きたかったのでやっと来られて嬉しかった。

フランス在住の日本人アーティストである母親と彼女とフランス人の間に生まれた子の対話、アイヌにルーツを持つひとがアイヌ語を学ぶということ、在日と韓国語、聴覚言語と手話言語、身体言語、日本に移住したブラジル人の子どもたちと日本。コミュニケーションツールにとどまらないアイデンティティとなる言語、言語を通して奪った・奪われたもの。

前に国立民俗学博物館に行った時、世界中の言語の名前を記したカードが無数にあったのを思い出して、世界にはこれだけの言語を通した隔たりがあるのかと気が遠くなる思いがした。人間は一生分かり合えない。ずっと日本にいて方言のない地域で暮らし続けて、マジョリティであり続ける私が、この企画展に足を運んで学びを得たということ自体が傲慢そのものだと思った。でもやっぱり見ないふり知らないふりはできない。かけらでもいいから知ろうとする、分かろうとすることがせめてもの誠実さなんだと思いたい。

1番好きだった展示があって、それは聴覚言語と手話言語を駆使した2人で料理を作って食べる映像。生活の中で紡がれる2人だけの共通言語。私は生活を蔑ろにしがちなので良いな、と思いながら見ていた。

長くなったのでハンバーグを差し込み

帰りに一緒に行った友達に、文章を書く中で字数や伝え方の良し悪しを考えて削ったり修正した言葉たちは本当の私の言葉ではなくて、その過程で消えていったほうの言葉、本来の私の頭の中にあった言葉こそ本当の気持ちのはず。文字にすると視覚化された言葉だけが本物として残る、本来あったはずの言葉をそのまま出力できないのがもどかしい、という話をした。友達にあなたは自分の言葉に忠実であろうとしていて頭の中を正確に表現することを意識しているんだね、と言われて私ってそうなんだ。と思った。

東京都現代美術館を訪れる人たち、スタイリッシュな若者が多いのに混じっても緊張しないのは無機質だけどどこか安心感のある建物の開放感のおかげなのかなと思う。乳児向けメニューの充実したレストランや授乳室の完備、ベビーカーの貸し出し等子どもに優しい空間なのが嬉しい。政治や国が子どもを大切にしないなかでアートが子どものための場所であることの救い。


6/24

内定者面談があった。日程が割と急に決まって、染めた髪がだいぶ明るくなっていて迷ったけど親に猛反対されつつそのまま行った。結果全然大丈夫でした。なんなら入社してからもインナーいれるくらいはオッケーらしくあがった。ラッキー。

私の配属部署は新卒1名、というか新卒採用自体数名とのことで全然同期がいなくてびびった。少数精鋭の会社でキャリア採用が多く新卒が少ないことは知っていたけどまさか技術部門1人とはねぇ。面接のフィードバックで評価されたところが私にとっては当たり前だと思っていたことでそうなんだ、と思った。奢ってるとかじゃなくて就活って本当に縁とタイミングなんだと思う。学部卒のときは院進への迷いが出ていたのか全く上手くいかなかったから素直に嬉しかった。

実際のところは働いてみないと分からないのが当たり前だし先のことは分からない。まあでも(バイトとはいえ)働くのは嫌いじゃないし、お金大好きなので大丈夫な気もする。来年から、粛々と頑張ります。

ラーメン食べてから大学行った。食べてばっか

大学に戻ってどうしても今日やらないといけない実験をばばばっとやってへろへろになりながら帰った。生物相手なので生物に振り回されながら生きている。

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