見出し画像

15

 18時半ごろから赤ワインを飲み始める。いつもは21時に練習を終えてスコッチを飲んだりするのだが、たまにはこういう日があってもいい。「わかんのかんの菅野美穂」があるなら「好きやさかい堺雅人」とか「やる気あんの庵野秀明」があったっていいし、定住型のパラノ社会にもノマド的な人種がいたっていい。自らマイノリティになりに行ったっていい。「トランスジェンダーになりたい少女たち」あれ買ったけどまだ読んでないんよごめん。高橋源一郎の本には「失われたTOKIO求めて」があるし、ライ麦畑でつかまえて、があればブコウスキーの「ライ麦の上のハム」がある。DMTはジメチルトリプタミンだが同時にDivine Moments of Truth(神聖な真実の瞬間)でもある。スキゾ・キッズは瞬時に、すぐさま物事をパロディ化し、新しい文化をこちら側に持ってきてくれる。最近ピエロ・ピッチオーニの「ブラジル2000」という、とんでもない神曲をみつけた。ベースはずうっと無機質な完全音程のいずれかを行ったり来たりしていて、人相の悪くて無骨なピアノと(僕の友達で一番だらしないやつは、紙タバコの「チェ」を、無骨な味だと言っていた)、ボッサのパーカッション。「ノスタルジー一辺倒も大いに結構だが、あれはもともと鬱病の変種だし、冷笑家やニヒリストになってしまう危険と紙一重だ」なんていうラジオパーソナリティもいたがそんなのどうでもよくなってしまうくらい素晴らしいノスタルジー。うる星やつらで使えそうとか、千と千尋の神隠し思いだすな、宮崎駿も本当はピッチオーニの音楽使いたかったんじゃないかな、とか考えながらその曲を聴きながらそろそろちゃんとしたスニーカー買わないとな、とABCマート入って、いいのがなかったから5分くらいで出てきて家に帰る。それが昨日。ピッチオーニは映画音楽の作家なので、それつながりでゴダールの「軽蔑」を見る。最近腰に気を使っているので、立ったり座ったりしながら見る。僕が部屋で映画を見ている様子をタイムラプスで撮ると、じっと座ってられない小学生みたいになるかもしれない。ゴダールの映画は、一体だれが何のために見ているのだろう、というくらいにつまらない。あの当時ヌーヴェルヴァーグという動きがあまりに衝撃的だったのか、景気が良かったの頃のノリを未だに引きずる中年のモダンボーイ/モダンガールのごとく、その衝撃波が評価に次ぐ評価を生んでいるのかもしれない。僕には死ぬほどつまらない。もし教養的なアレのためにヌーヴェルヴァーグを見ている20代が僕のほかにいるのだとすれば同族嫌悪するか、あるいは相手からモンタージュとかリゾームとか蓮實重彦とかいうワードが出始めたら仲良くなれるかもしれない。菊地成孔は自ら「ゴダール学部マイルス学科卒業」とか相変わらずほら吹きめいたことを言っているが、そんな彼でもゴダールを見てると途中で眠くなると言っている。しいていうなら、登場人物の多くのネクタイが短すぎるという点は面白いかもしれない。あの頃の先鋭とされた映画たちは、僕たちZ世代にしてみると驚くほど凡庸だ。もしかするとインスタとかTikTokのリール動画が今一番芸術的なのかもしれない。Z世代のZというのは、ウェザーリポートのキーボーディスト、ジョー・ザヴィヌルJoe ZawinulのZだ(大嘘、大谷能生がそういう冗談を言ってただけ)。多くのジャズファンはウェザーリーポートを未だにちゃんと聴いたことがないのではないかというテーマで、DOMMUNEの配信で喋っていた。僕だって生涯でトータル2分くらいしか聴いたことがない。ドラゴンボールのアニメは生涯で3分くらいしか見たことがない。ドラゴンボールは日本人男性の義務教育だとされているが、そんな義務教育を踏んでいない僕は度々友達から「軽蔑」を受ける。ゴダールの描いたそれよりもかなり俗っぽいやり方で(笑)。ちなみに僕が生涯で一番多く聴いた(可能性のある)アルバムはフランシーボランのPlaying With the Trioだ。アルバムジャケットは綺麗な白。強迫神経症もしくは潔癖症じみていて、本当は演奏なんかしたくないんじゃないかと思えるくらいのやる気のないリック。そしてたまに突発するヒステリックなアドリブ。ラカンの精神分析によると、強迫神経症は「自分は生きてるのか?死んでるのか?」、そしてヒステリーにおいては「自分は男なのか?女なのか?」という問いをコアに置いているとされている。フランシーボランはものすごい気障男で(僕の勝手な想像だ)、写真を撮るときに素直に笑うことが出来なくて(僕の勝手な想像だ)、意中の女以外は絶対に自室に入れない男だ(僕の勝手な想像だ)。僕と同じ11月生まれ。クラーク=ボランビッグバンドには「フェリーニ712」というアルバムがあるが、このフェティッシュには唸らされるものがある。僕はもちろんフェリーニの映画も退屈だと思っているが、このアルバム以上にヨーロッパのスノッブを上手くとらえられている音楽は珍しいと思う。フランス人はアメリカの一番オイシイ所が好きで好きでたまらなくて、でもプライドが高いから素直に好きとは言えない。だから自分たちのスノッブをうずたかく積み上げる。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?