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11/25 午前11時頃

 駅のコンビニでカロリーメイトとウィルキンソンの炭酸水を買う。クレジットカードで、と言ってGoogle Payをかざすと決済出来なかったので、すいませんやっぱりQuick Payで、と言う。若くて可愛い店員に嫌な顔をされる。
 電車に乗る。ホームレスのおっさんが車両内をウロウロしている。僕の前に立ち止まったか思うと今度は向こうに歩いていって、しばらく立ち止まって、また戻ってくる。しばらくそれを繰り返したあと、やっと座る。車両を移りたかったが、たまにはこういう社会に繋がっていられる安心感を根っこの方から揺すぶられる体験をしたっていい。社会に潜む社会の外側を見物する機会があるなら甘んじて受け入れる。平和ボケは打ち砕かれるに越したことはない。
 彼が座ってから数分後、立ち上がってまたこっちに歩いて来て僕の方を向いて立ち止まる。恐る恐る顔を見てみるとさっきまでしていたマスクを外して窓の外を見てめちゃくちゃ笑っている。髪は薄く、肌は浅黒く、目の焦点は曖昧で、歯はところどころ抜けかかっている。その姿は一瞬僕にAfrican Head Chargeのアルバムジャケットを思い起こさせたがそんな場合ではない。彼の右手にはクリアアサヒのロング缶。死ぬほど怖いが僕はクールを装ってペットボトルの水を飲む。彼の頭の中で何が起こってるのかは分からないが、暴力を誘発するスイッチがカチッと音をたてないことだけを切に祈る。あるいは彼の頭の中ではなーんにも起こっていないのかもしれないが。イヤホンからはキャノンボール・アダレイの「Love For Sale(売り物の愛)」が流れている。キャバクラ、風俗、パパ活、援助交際、梅毒患者数は3年連続過去最多を更新。毒々しい時間だった。また数分すると僕の席から遠ざかっていく形で別の席に座り、僕は胸をなでおろす。さっきの若くて可愛い店員にこの話を聞かせてやりたい。きっと自分と社会との断絶なんて一度たりとも考えたことがないだろうから。でもひっどい偏見だよなこれ。(笑)
 
 大学内でのマスタークラス終了。予想外に上手くいったので良かった。帰りの電車で本を読んでいると、僕のとなりに夫婦が座ろうとしてくる。2人分のスペースがなかったのでぼくが少し横に移動しなければならない。楽器のケースとカバン、それからハードカバーの本まで持っているので移動に時間がかかる。夫の方はそんな事気にせず座ろうとしてくる。半ば彼の太ももに押されるようにして僕は移動した。彼は座ると腕を組む。彼の中には理性の前に欲望、というかいかに権利を行使するかというビッグテーマがあるようだ。前頭葉の前に一枚余分な頭葉でも挟んでるんじゃねえかとか思う。できるだけ多くの数のお菓子が欲しい未就学児、それから誕生日プレゼントの数が去年は37個だったのに対して今年は36個であることに腹を立てるダドリー坊やとニュアンスがすごく近い。立派な角をはやしたサイだ。その角はもうだれにも折れない程に肥え太らされてしまっている。外に出た以上、自分にとって不快なこと、ましてや僕が移動をするのを待っている時間さえもあってはならないのだ。ずっと家の中にいるかのように生理現象と生理現象以外の時間が交互にやってくるだけの装置だ。バロウズの言うところの、水圧ジャッキ化したジャンキーのようなものだ。社会というぬるま湯にスポイルされている。彼の下半身(比喩だ。脳から遠いので)の生理現象が引き起こした汚染は誰が尻拭いするのだろうか。誰が最後に誰かにボールを押し付けるかというスポーツに彼は進んで積極的に加担している。そういう水圧ジャッキはずっとアイスクリームでも食ってればいいと思う。アイスクリームじゃなくてもいい、とにかく甘いもの。安直な刺激を長い間にわたって受け続けてもっとダメになって欲しい。この話もさっきの若くて可愛い店員に話して聞かせたい。もしかすると彼女のほうが僕より多くこういった経験をしているかもしれない。
 僕の真ん前では眼鏡をかけて長いブーツを履いた化粧の濃い女がスマホを片手に足を組んで座っている。ここまで「ヴィークル」に「動かされている」感をどストレートに体現している自己アイロニー的な光景はなかなかお目にかかれない。両脇にキューピーのマヨネーズなんか置いたらいい画になるだろうな、と思った。決してディスっているわけではない。人には、その人にあったパッケージというものがあるので。そして自分の思う自分に似合ったパッケージと他人の思うそれは、大体において乖離している。悲しいことだ。

11/26 夜

 特に何も言うことはない。バイト終わって帰ってきて、山形浩生の「たかがバロウズ本。」を読んでいる。バロウズの翻訳をしているということから、この著者はロクな人ではないのだろうと最初こそナメてかかっていたものの、調べてみるととんでもない経歴だったので戦慄する。バロウズという強い権威に寄せられる無条件な崇拝を爽快に打ち破ろうとする山形浩生の姿勢はかっこいい。だけれどハーバード大学を出て定職にもつかず、アメリカ中を放浪し、誰にも読めない奇妙な本を書き散らしながらもカルト的人気を誇るビートニク作家として名をはせたバロウズもそれに劣らずかっこいい。


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