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 ジェイコブ・コリアーの「Djesse Vol. 3」を聴きながらパンを焼いてコーヒーを淹れる。最近何聴いてんの、という問いに対してジェイコブ・コリアーと答えることの多い人生だったので、へぇジェイコブ・コリアー聴いてるんだ、という返事をする人を別にすれば、「コリア」という部分だけを抜き出して不思議な顔をする人々に対して散々腹を立ててきたのだな、という所までは容易に想像がつくだろう。同情してほしい。同情された上で金も欲しい。いや、やっぱり同情のオプションはいいので金だけ欲しい。(笑)
 過去に一度飛行機内で「All Night Long」を聴いていると涙が噴き出してきて自分でもびっくりしたことがあったのだが、アレは何だったのか。この曲の、一種中南米的な溢れんばかりのセロトニンと、ほとんど無いに等しい不安物質と、これから沖縄に行くんだという高揚感がそうさせたのだろうか。だとしたらジェイコブ・コリアーすげえよ。だってこの音楽に一つ個人的な要素を足すだけで泣かせるんだもん。何処からともなく自動生成的に吐き出される流行りのポップソングとはワケが違う。僕は以前から音楽がもたらす快感を、食による快感、アルコールによる快感、ニコチンによる快感、幻覚物質による快感の4つに例えるきらいがあるが(平たく言えばハイ・アートの順番かもしれない)、ジェイコブ・コリアーに関しては2つ3つダブっている。サイケデリックトランスは言うまでもなく上記の4つ目に当てはまるが、コリアーの音楽はあくまでポップであるという体裁を保ったまま幻覚作用やニコチンの作用をもたらす時があるので、これは本当に乱用注意だ(嘘だ、いくら乱用して依存したって良い)。音楽におけるあからさまなクロスオーバーというのは僕が真剣に忌み嫌っている文化で、あまり聴かないようにしているのだが、ことジェイコブ・コリアーはあからさまなクロスオーバーから嫌でも滲み出てしまう下心を上手いこと匂い消ししているので素晴らしい。比喩なんかではなくほんとに手品を思わせるところがある。

 電車で窓の外を眺める人もめっきり減ったなと思う。窓の外を眺めてる人が多い時代を経験したことがあるのかと問われると若干返答に詰まるところはあるが、ところで嫌味なんかではなくみんなスマートフォンで何をしてるんだろう。旧ツイッターでデスマフィンと私人逮捕について暴言じみたコメントをしてるか、メルカリでチケット高額転売の作業をしてるか、上司もしくはキモい男からのメッセージを旧ツイッターで暴露してるか、不安に押しつぶされそうになりながら「会社 横領 バレる」とかでググってるか、知恵袋でメンタルヘルスのトピックを眺めてるか、電車内の床を撮影してるか、違法アップロードのアダルトビデオを眺めてるかのどれかに違いない(そんなことはない)。物騒だし何より下世話が過ぎる。もしそれが本当だったとして、それに比べたこの車内の静けさはちょっと狂ってる。電波の上でドンパチしたバトルを繰り広げながらリアルでは何も起きていないというのはこれは島国の民族性かもしくはヒト科の種族性なのか。電車内の床を撮影している人に関しては物騒でもないし、もしかしたら世間の良識を片っ端から疑い始めた結果電車内の床を撮影するというのが最も崇高で素晴らしい遊びなのかもしれない。マセた大学生わざわざ背伸びして麻雀や花札のルールを覚えたりするのも完全な遠回りなのである。電車に乗ってごらんなさい、そしてお持ちのスマートフォンで床を撮影してごらんなさい、飛ぶような快感とアヤワスカの倍ヤバいシャーマニズムが待っておりますよ、と。

 22時からバイトがあるのでそれまで2時間の仮眠をとる。自分にとっていい光景を想像しながら眠りなさいとはよく言ったもので、僕に想像しうるあらゆる良い光景を思い浮かべた。僕の結婚式、友達の結婚式、人生で最も尊いデート、帝国ホテルで演奏した日のこと、それからゴダール、ウディ・アレン、極めつけにはワイルド・ターキー12年を大人買い、何かしらのIPA箱買い…一向に眠れない。都合の良いときに眠れなくて、都合の悪いときに限って眠くなる。これじゃまるで男女のゴタゴタみたいだ。体だけでも休めなければならないのでしばらくそのままの格好でいることにする。 20時50分に起き上がって「今世界中で起きてる♪あらゆる問題すべてに♪俺が関係している♪」などとオシリペンペンズのキマりきった歌詞を口ずさみながらズボンを履いてセーターを着る。作詞をした人はこれ書いたときはキマっていたのだろうか。だとしたら相当なアヴァンギャルドだ。イスラエルもパレスチナも台湾有事も岸田の増税もインボイス制度もすべて僕が関係しているのかと思うと、テラバイトがデカすぎてすべて読み込むまでに丸一日掛かりそうな画像フォルダを抱え込んでいるような気がしてくる。実感がわかない限りそれは認識していないも同然なのだ。ただCPUは大幅に消費しているかもしれない。

 バイトからの帰り道、バド・パウエルが聴きたかったが、魔が差してアート・ブレイキーとジャズ・メッセンジャーズの「ペンサディーヴァ」を再生する。誰がどこからどう聴いたって冬に聞くべ曲ではない。アンバランスだ。しかし一方で、まるで季節外れの音楽を聴くというのは時として人を異様に興奮させる。上手く行けばいろいろ試していくうちに自分の中にベストマッチなアンバランスを見出すことができるかもしれない。 アート・ブレイキー&ジャズ・メッセンジャーズの「Free For All」それからジョー・ヘンダーソンの「Page One」は我々にダイレクトに夏をイメージさせる数少ないアルバムのうちの2枚だ。


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