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子どもに対するプーチンの戦争

プーチンは、想像の中にしかない過去の栄光を取り戻すためねの戦争の中で、ウクライナの未来の希望も攻撃している。これは世代間の戦争でもある。
オリビア・ウォード

2022年12月11日(日)

 色あせた写真の中で、子どもたちが列車の窓から見慣れない風景を見つめている。 半笑いをしている子もいれば、ぼんやりとした迷子のような子もいる。これらは、第一次チェチェン戦争の時の「鉄道の子どもたち」だ。家もなく、使われなくなった鉄道車両に避難する孤児たちのことだ。 彼らの家は爆撃されて廃墟となり、両親は死んでいる。

 あれから四半世紀が過ぎた今、何千人ものウクライナの子どもたちが、行き先のわからない列車にのり、ロシアの攻撃から逃れている。

 プーチン大統領がウクライナ侵攻を命じて以来、何百人もの子どもたちがロシア軍によって殺害された。爆撃によって殺された子もいる。家族と一緒に逃げる最中に殺された子もいる。怪我の治療ができなくて死んだ子も。人権団体によると、実際の数は数百人どころではない。

 これから、ロシアがウクライナで勝利を逸して反撃を受け、プーチンが絶望を強めるにつれて、子どもの犠牲はさらに増加するだろう。

 プーチン大統領は焦土政策を加速させ、ミサイルやイラン製ドローン爆弾を発射し、住宅やウクライナの電気・水道インフラを攻撃している。 冬が近づけば、最初に低体温症で犠牲になるのは、乳幼児だ。

 これは、チェチェンとシリアでプーチンが起こしてきた戦争の最新版だ。これまでの戦争では、無差別爆撃により、入院患者や子供を含む何万人もの民間人が死亡した。

 しかし、子どもたちに対するプーチンの戦争はそれよりもずっと前から始まっていた。2012年12月、米国議会が制定したマグニツキー法(内部告発を行ったために刑務所に収監されていた税理士セルゲイ・マグニツキーの殺害に関与した者への制裁法)に対するプーチンの怒りは、障害のあるロシアの孤児を養子に取ることを希望したアメリカ人への復讐にまで波及した。

 ロシアがアメリカでの養子縁組を禁止したのは、公式には孤児を保護するためだった。アメリカの家庭で孤児が死ぬケースがあったためである。後にカナダもロシアでの汚職と人権侵害に制裁する法律を可決した。しかし、カナダが国内での同性結婚を認めたことで、ロシアはここでも障害児の養子縁組を禁止した。ロシア人の異性婚カップルが、子を同性婚カップルに引き渡す可能性があるという口実で、障害児の養子縁組を禁止した。このロシアの決定は、カナダだけでなく、同性婚が合法であるすべての国を対象にしている。

 ヒューマン・ライツ・ウォッチの大規模な調査によると、孤児の養子縁組中止の影響は悲惨なものである。ロシアの孤児院では、障害のある子どもたちが暴力とネグレクトにさらされている。ベビーベッドに拘束されたり、家具に縛られたり、薬を飲まされて拘束室に入れられたりし、最終的に手足が動かなくなった人もいた。

 過去、ロシアの子どもを求める外国人は、障害のある子どもしか養子縁組できなかった。今まで何千人もの人々が、早死していく孤児たちを救ったが、これらの道はほとんど閉鎖された。

 今日、ウクライナでは、プーチン大統領が再び子どもたちを人質として使って国を破壊し、人口削減を図り、産科病院を含む子どもたちを保護する建物を爆撃した。

 ニューヨークタイムズは、壊滅的な被害を受けたマリウポリ市の子どもたちの運命を追跡した。ロシアの攻撃から逃れてきた孤児や全寮制の学校に通う人々が検問所で誘拐され、バスに乗せられて「養子縁組」のためにロシアに連れて行かれたことが分かった。

 侵略の直後、ロシア当局は2,000人の子どもをロシアに移送したと発表した。ロシアは、最近のウクライナの攻撃のまえに、占領していたヘルソンの町から民間人を避難させた後は、子どもを含む何万人もの人々が、労働力が不足し、逃げるのが難しいロシアの辺鄙な過疎地域に移住させられた。

 強制的に移住させられた子どもたちは、同意なしにロシア市民にさせられる。この違法な「連れ去り養子」政策は戦争犯罪だ。しかし、想像上のものでしかない過去の栄光を取り戻そうとするプーチンの戦争努力の中で、彼はウクライナの現在だけでなく、未来への希望も攻撃している。これは世代間の戦争でもある。 もちろん、最も大きな代償を払うのは、子どもたちだ。

https://www.thestar.com/opinion/contributors/2022/12/11/vladimir-putins-war-against-children.html

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