6月10日は、ペトロパブロフスク大聖堂が完成した日
1712年6月10日に、ペトロパブロフスク大聖堂が完成しました。
エルミタージュ美術館の中から見た、ペトロパブロフスク要塞です。
これは、12月の日の出前です。
ライトアップがきれいです。
この鐘楼は、ロシアで一番の高さです。
夜が明けた冬はこんな感じです。もし、冬に観光する場合は、暗い時間から動くといいです。
修復中の時はこんなでしたが、今は修復が終わっています。
やはりこちらも冬の昼間です。
そして、夏の晴天だとこうなります。
サンクト・ペテルブルクは海が近いので風があって、雲がどんどん流れます。
これを撮っているときは、雲の動きによって、この鐘楼が倒れてくるのではないかと思うくらいでした。そんなふうに見えました。
鐘楼のてっぺんです。
このペトロパブロフスク聖堂の向かいには、造幣局があります。
夏は、聖堂の周りを歩いてみました。ピョートル大帝の銅像もあります。
ペトロパブロフスク聖堂の後ろから見るとこうです。
この辺りは、うさぎ島とも言われていて、うさぎもたくさんいたようです。そして、洪水のときに、助け合っているうさぎの銅像があります。これは、2015年にできたので、2016年に行ったときに初めて見ました。
散歩を終えて、ペトロパブロフスク聖堂の前に戻ってきました。中に入ります。ここには、ピョートル大帝から、ロマノフ王朝最後の皇帝のニコライ2世までの棺があります。
中に入って、すぐの左の所に、ロマノフ王朝最後の皇帝ニコライ2世一家のお墓があります。
ニコライ2世の一家は、ロシア革命後、エカテリンブルクに幽閉されました。
そして、「家族写真を撮るよ」と地下室へ連れていかれ、並んだところで、銃殺されたとガイドさんから聞きました。
ガイドさんの話によると、その後、顔が分からないように、硫酸をかけられ、埋められたそうです。
同じ場所に埋めたままだと誰かに見つけられるかもしれないということで、遺骨を移動したりしたので、ニコライ2世一家の遺骨は長い間行方不明のままでした。
ソビエトが崩壊して、ロシアになったエリツィン大統領の時代にDNA鑑定の結果、ニコライ2世の遺骨が見つかりました。
ニコライ2世は、日本に来たことがあり、大津事件にあいました。
その時のニコライ2世の血痕がこのDNA鑑定に役立ったそうです。
1998年7月17日にやっとここに埋葬されました。
アナスターシヤのお墓です。
私が行った、2012年頃は、修復中でした。
そして、2013年7月に行ったときは、修復が完了したので、今は、修復作業をしていません。
修復後なので、金色がピカピカしています。
こちらは、ピョートル大帝の棺です。
たしか、懺悔をするところだったと思います。
彫刻も細かいです。
ピョートル大帝のお墓です。
エカテリーナ1世のお墓です。
アレクサンドル1世のお墓です。
ニコライ1世のお墓です。
皇帝がお祈りに来た時は、ここの場所でお祈りしたようです。
エカテリーナ1世のお墓です。
ピョートル大帝のお墓です。
ペトロパブロフスク要塞には、刑務所もあり、ドストエフスキーが投獄された場所も残っています。そこへは、まだ行ったことがないです。
そして、このペトロパブロフスク要塞は島になっているので、橋を渡ります。
【6月10日の過去記事】
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