作曲家スヴィリードフの家の除幕式
2年前の9月19日の夜、なんとなくネットを見ていて、偶然見つけた。
「9月20日に作曲家のスヴィリードフが住んでいた家でプレートの除幕式がある」と。
たくさんある情報の中からこの記事を見つけたことがまず奇跡。
何時からなの?場所はどこ?という肝心な情報は何度読んでも書いていなかったが、とりあえず、そういうセレモニーは10時か11時に始まるだろう。場所は分からないけれども、通りの名前は書いてあるから、その通りを端から端まで歩いていれば、途中に人だかりでもあって分かるだろう。
というかなり適当な情報と勘で出かけてみた。
予定より遅くなってしまって、10時半くらいに最寄り駅に着いたので10時に始まっていれば、もうセレモニーは終わっているなあと思いながら、記事に書いてあった通りを歩いて行った。
そして、入り口の所に警官が立っていて、人だかりができている建物を見つけた。
テレビカメラも何台もきているので間違いないと思い、敷地に入った。
知っている人などいるわけではないので、プレートとステージがよく見える場所で待つ。
音楽界の有名な人たちが来ているのか、お互い挨拶をしあっている。
しばらく観察していると、スヴィリードフのカレンダーを見せている重鎮らしい女性がいた。
スヴィリードフのカレンダーがあるなんて、初めて知ったし、見たいと思った。
それで、少しずつそのカレンダーを持っている人に近づいて、話しかけてみた。
「日本人で、スヴィリードフのことが大好きで、スヴィリードフの曲を弾いたことがある。そして、いつかスヴィリードフの本を日本語に訳したい。」と言ってみました。
すると、何を思ったか、私は日本人のピアニストと思われ、カレンダーを後でプレゼントすると言われた。
この重鎮と思った女性は、スヴィリードフの名の音楽学校の校長先生だった。
その後も、指揮者のフェドセーエフさんも到着し、ポスターなどで見かけたオペラ歌手の女性もきた。
ソビエトの作家同盟のバッチをつけた人や、モスクワ音楽院の人など、私が知らないだけで、ロシア連邦の音楽界の有名な人が集まっていた。
セレモニーは11時に始まり、有名な人たちが順番に挨拶をした。
スヴィリードフの合唱曲もきくことができ、何部合唱なのか分からないくらいパートが分かれている曲で、途中森の木々の葉音のような部分があり、自然の音を取り入れた作法というのを聞いたことがあったが、生でスヴィリードフの合唱曲を聞けて感動した。
日本に住んでいたスヴィリードフの息子さんが生きていてこのセレモニーに参加できればもっと良かったのにと思った。
偶然にもセレモニーの情報を見つけ、その中途半端な情報と勘を頼りにセレモニーに参加でき、知り合いができた奇跡。
やはり、私はスヴィリードフのことを日本へ知らせるためにできることをしようと思った。現在、スヴィリードフに関するロシア語の文献を翻訳中。日本に住んでいた息子さんが父親の作品が日本で広がるのを願っていたという話を以前に聞いたので、その意思を引き継ぎたい。
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