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作曲家 スヴィリードフ 1973年

スヴィリードフが作曲した映画を検索した後、「スヴィリードフ」と検索してみた。

すると、コンサートやドキュメンタリー番組などが見つかった。

ドキュメンタリー番組の一つの「作曲家 スヴィリードフ」という1973年のソビエトが制作した番組を見た。


1970年くらいのモスクワやペテルブルクの風景を見られたり、当時の人々の生活を見られたりできていいなあと思って見始めた。
映画の始めのスズダリあたりの風景は、まさに私が大好きなロシアの風景。そして、ロシアで生きていく覚悟を決めた風景。
そんなのも見ながら、いい映画だと思って見ていた。
さらに、作曲家の仕事部屋も映り、本がたくさんあったというのは、いろんな文献を読んで知っていたが、本当にたくさんの蔵書。
作曲家自身の肉声も聴けるし、ピアノの演奏も聴ける。
この番組は、スヴィリードフが作曲した曲がBGMで流れた。

とても興味深い映像である。

さらに、驚いたことは、私が初めてのロシア旅行で訪れたキジ島で買ったCDの中にあった曲が流れた場面だ。その曲は、48分40秒くらいで流れる。キジ島で買ったCDは21曲入っていたのだが、その中の1曲が特に気に入って、繰り返し聞いていたのだ。その曲が突然、ドキュメンタリー番組で流れた。それまで、流れた音楽は、すべてスヴィリードフの作曲だったから、「もしかしてこれも?」と思った。すぐに検索をしようとしたが、曲名を覚えていなかったため、少し大変だったが、ついに音源を見つけた。

曲名は「Любовь Святая」。アレクセイ・トルストイの詩のようだ。キジ島で買ったものと同じ音源をここから聞ける。日によって曲の順番が入れ替わっているようなので、3:01の曲が「Любовь Святая」。


このゆったりとした流れが、癒されると思って何度も聞いていた。その曲を、まさかスヴィリードフが作曲していたとは心底驚いた。スヴィリードフは女性用に楽譜を書いたため、この映画では、女性の高声が響くが、私は男声の方が好きだ。


夫からスヴィリードフの楽譜をプレゼントされたのは、2013年7月。
その楽譜の中の数曲が気に入り、私は作曲家のスヴィリードフに興味をもった。それが、始まりだと思っていた。
しかし、実は違った。その事実に気づき、興奮しすぎて、感動してしまった。
2010年12月に初めてロシアへ行こうとしたときは、モスクワ大停電で飛行機が飛ばず、成田空港まで行ったのに、引き返した。
2011年8月、ロシア連邦が好きになってから13年。初めてロシア連邦の大地を踏んだ。
そして、初めてのロシア連邦で一番初めに観光したのが、キジ島だった。
そのキジ島の木造の教会で男性のアンサンブルを聴いた。ものすごくいい声で、気に入り、迷わずCDを購入した。
帰国後、そのCDを繰り返し聞き、特に気に入った曲を繰り返し聞いていた。その曲がスヴィリードフの作曲だったとは。

ということは、2013年7月以前の2011年8月に私は、スヴィリードフの音楽が気に入っていたことになる。
スヴィリードフの音楽とはある意味、運命的なものを感じた。

こんな出会いがあり、私は、スヴィリードフのことを日本に伝えることが使命であると感じるようになった。
そのため、このnoteでも、スヴィリードフに関する記事を書くことが増えると思う。

スヴィリードフは、1915年12月16日に生まれているため、2020年の今年は、生誕105周年である。
105周年に向けてスヴィリードフの音楽学校の先生方も準備をしていらっしゃるから、私もできる範囲でスヴィリードフのことを日本へ広める。

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