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コレクティブハウス本町田 新生活、はじめました #2(1/2)〜ガーデニングが意味するもの〜

私がここ、まちのもり本町田に引っ越したことの1つに、敷地内に思いのほか土の地面が多いことがあけげられる。「何のこっちゃ。知ってるけれど、それが何か?」と言う人が大半であろうと思う。しかし、私にとって、土と緑はまさに「癒し」なのである。

それは少し前からのガーデニングブームにハマったからではない。それは遥か昔のおそらく生まれつきとしか言いようがない。母は今思うと、いわゆるグリーンフィンガーの持ち主であった(失礼、まだ存命だ)。緑の指、つまり植物を育てるのがとても上手なのだ。

私の実家は一軒家だが、私が小学4年生になるまではこじんまりとしたマンションのこじんまりとしたべランダで母はプランターや鉢で様々な植物を育てていた。しかも苗を買うというよりは、既にあるべコニアやゼラニウムを挿し木して増やしていた。一時期はセントポーリアにハマったのか、室内の窓辺はセントポーリアの鉢だらけだった記憶がある。 

 それを見て育った私は、自然に植物を育てるのが好きな子供になっていた。当時「学習と科学」という毎月届く教材のようなもの?があり、毎月付録が付いてきた。その付録にへちまと千成ひょうたんの種のセットが付いてきたことがある。私は喜んで小さなプランターに種を蒔いてその成長を見守っていた。芽が出て花が咲き、実が成り、それが少しずつ大きく育つ様をワクワクしてしながら見ていた日々。それが私の「癒し」の原点である。

ウン十年ぶりにそんな昔のことを思い出したのは、コレクティブハウスの住民でこの夏、ゴーヤとヘチマと琉球朝顔のグリーンカーテンを共同で育てたからだ。日常生活に疲れたとき私を癒してくれるのは、身近な植物をはじめとする自然である。まず無言なのがよい。いや木々を渡る風のざわめきなどは、耳を澄ますと冗舌ですらあると思う。

私はここの土で実の成る花木であったり、ツル性の花だったり、野菜だったりがお互いにお互いを引き立て合う、そんなガーデンを皆で作れたらと願う。それはまさにコレクティブに共鳴する暮らしにも繋がるのではないだろうか?(居住者M)             

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