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1-5 爺、下僕を焚きつける ~小説「女主人と下僕」~敗戦奴隷に堕ちた若者のエロ出世譚~



「実に気に喰わんな」

豪華な書斎の一室で、口火をきった葉巻をゆっくりとあぶりながら、総支配人のザレン爺は呟いた。このザレン爺は、都に数店舗あるザレン茶舗の全店舗を所有する総支配人であり社主である。

そんなザレン爺には係累が一人も居ない。どういう事情か、子も孫も居らず、連れ添った妻には数年前に先立たれている。天涯孤独だ。

「は」

書斎机のそばで片膝ひざまずいているディミトリは不思議そうな顔をした。

「どうしてお前はそんなに...こう、欲がないのか。まあ...わしにも正直、若いころはそういうぼーっとしたところがあったが...せっかく顔が似ているから拾ってきてやったのに...」

「へえ、あんときは全く地獄に仏でございました...一生感謝してもしきれねえ」

十年程前、訳も分からず少年兵として捉えられ、鉄格子の嵌った、冷たい石の上に転がされていた時に、このザレン爺がやってきて札ビラをきって、ディミトリを解放してくれた時のこと。その時の真っ暗の牢獄の中に、浮かび上がったザレン爺の大きな姿。逆光でシルエットしか見えなかったが、神様か悪魔が降臨したかのようなその真っ黒の大きな影はいまだにディミトリは夢に見る。

「違う!」

「は?」

「いっそのこと、お前、このザレン茶舗が欲しくないのか?どうせ係累もおらん...条件次第では...呉れてやろうではないか。この本店だけではなく、全部」

ディミトリは失笑したように笑って答える。

「なんという...下僕風情にありがてえご冗談を。俺には扱いきれねえですよ」

「だがお前...面倒な従業員だらけの、この本店の売り場を、ずいぶん上手に回しているではないか...お前のおかげでだいぶピンハネも減ったし、どんな下っ端でも細かい苦情を気軽に言える雰囲気をお前が作ったから、面倒な争い事もほとんど起こらんようになった。それに気難しい上客を宥めるのがお前ほど上手い男は...しかも謝りついでに次の新しい大口取引を引っ張ってくるのが...お前ほど上手い男は、そういない」

「ザレン様。人間には分というものがございます。なにより、俺が...敗戦奴隷身分の下僕風情がいま本店の売り場の頭を代理させていただいてるだけでも、いろいろと人間関係がこじれて面倒なのに...これ以上他の店まで、普通市民やら上級市民の方々を差し置いてどうこうするのは柄じゃねえ...もう充分です。ザレン様のおかげで、毎日旨い飯を腹いっぱい喰って、毎日白いシーツで寝て居ります...俺ァ充分幸せだ。...そもそも、もし奴隷上がりのこの俺が、いや、上がってもいねえ。まだ首輪も取れていない奴隷身分が、とにかく後々市民権を取った後にしたって、これ以上のことを望むのは無茶でさあ。これ以上、この茶舗で出世でもしたら、他の方の面目が丸つぶれですよ」

ザレン爺はむしろその逆転劇を想像して、痛快でならなそうに、にやりとした。

「いいじゃないか...潰してやれば。潰すなら思いっきり叩き潰してやるのも情けというものだ。もう貴族がどうとか奴隷がどうとか言える時代ではない。今からの時代は、カネだ。...社交界の自称お貴族様だって、つい最近貴族の称号をカネで買った連中が沢山混じっているのを...知っているのか?」

ザレン爺は目を細めながら視線を上に向けて葉巻の煙をふうーっと吹いて続けた。

「…そうだ、お前の出自と顔ならそんなもん、ゾーヤ帝国の貧乏貴族の家系図を買えばいいだけじゃないか!大国とはいえ、ボロ負けした敗戦国の貴族の家系図だ、そんなもんランスの貴族家系図の1/5の値段だぞ?ふ、は、はは。浅黒い肌の鼻の穴のでかいお貴族様の一丁上がりだ。お前は奴隷として連れてこられた街から一歩も出ずに、街中の全員が金で買った家系図だと周知のなかで、成金貴族に成りあがる…面白いな。街中の嫉妬深い男どものはらわたが煮えくり返るぞ。だが、お前さえガッツンガッツンに稼いで見せれば、街の誰一人、面と向かってだけは一言もケチは付けられないのさ。じつに痛快じゃないか」

「ご、ご勘弁を。そのような夢物語、冗談でもありがたきお言葉ですが、いまでもややこしいのに、これ以上の人間関係のごたごたをいまほんの一瞬想像しただけで冷汗が出ます。勿体ない話を通り越して、むしろ恐ろしゅうございます」

(酒の飲み過ぎだっつうの!ザレン様!やだやだ、勘弁してくれよ。…仮にもしそこまでやったら、おれ、徒党を組んだ街のやつらにめった刺しに刺されるんじゃねえかなぁー)

ディミトリは跪いたまま苦笑いで恐縮した。

「ふん。ほんにお前の謙遜ぶりっこは…つまらんのう。...まあ...だがなあ...確かにわしはお前には不満はあるのだ。お前には商売人として、大きく足りない部分がひとつあるからな」

ディミトリがちょっと緊張した顔をした。

「売り場でなにか、わたくしにそそうがありましたでしょうか?すぐ修正させて頂きます」

「違う。あまりにも欲がなさすぎると言っている...確かにこんな性格の男に継がせたら最後、ザレン茶舗はすぐ解散してしまうかもしれんなあ」

ディミトリはホッとして笑った。

「全く!仰る通りでございます」

「お前...金が要らないなら...欲しいものはないのか。お前の欲が、ぎらぎらに湧きたつようなモノが。必ず何かあるはずだ」

「欲しいもの...?」

ディミトリは困惑した。考えれば考えるほど案外思いつかない。

(まかないのスープに肉がもうちょっと入っているといいが...それを言ったら材料費をピンハネしてる料理人の首がやばいからなぁーーあいつの料理は旨いからクビにはしたくねえ)

ディミトリがくだらないことを考えている時、ザレン爺が口を切った。

「思いついたぞ...!女だ!お前、女はどうだ、欲しいだろう。隠していてもわしには解るぞ。お前はわしと似てどうしようもない好色の相だ。絶ッ対、欲しいはずだ」

ディミトリは真っ赤になってうろたえた。

「いや、いや、いや!勘弁してください!いやね、そりゃ興味ないワケないですけど、俺はそういうのバレバレになっちまう性格なんで...爺様に、毎晩毎晩、売春婦なんか斡旋されたら...茶舗の女どもにも!茶舗に来ているご婦人方にも!思いっきりつまはじきにされまさあ!ただでもこのガタイですから、女性には怖がられんように気を付けないと!いや!なんというか、仮にですよ??まさか爺様、もしももしも絶対バレない方法でも...あれば話はべつだが...いや!!ごめんなさい!何でもないです!ちょっと!何ですかそれ!いいです!!いいです!!!」

ザレン爺は、ほんの少し葉巻の煙を逆流させてむせながら、言った。

「...毎晩...。...馬鹿...違うよ。嫁が欲しくないかと聞いておるだけだ」

「は、嫁」

「茶舗の総支配人にでもなってみろ。このままなら絶対手に入らないはずの、身分違いのいい女が手に入るぞ。劇場の一番の踊り子とか...ああ...!あの娘はどうだ?」

「あの娘...?」

「街一番の肉体美の、上級市民の商人のマーヤ殿だよ。...あの、白いつや肌に、まがまがしいばかりのけしからんおっぱいの、あの娘だ。何年も何年もお前が道ならぬ悲恋をしてると評判のあの娘。…とことん惚れてるんだろう?どうだ、あの娘を、毎晩毎晩、思いっきり裸にひん剥いて、ぐっちゃぐちゃになるまで、思う存分抱いてみたくはないか...?」

「爺様!なんという...爺様でも言って良いことと駄目なことがございますよ!!あの方は亡命する前はご貴族の女性です!身分違いにもほどがある!しかも外国人の稀人だ。...だいたいですね、売春婦でもない堅気の元貴族階級の女性ですよ?!どうやって俺の嫁になるように説き伏せるんですかい!...俺が市民権を取って、茶舗の全店を切り盛り出来るくらいの男になったところで、あんな女性が俺のところに来てくれるわけはあるまいよ?!未開の野蛮人みたいに、欲しい嫁を袋に詰めてさらってくる訳にはいかないんですよ!」

ザレン爺は一瞬呆れた顔をして軽く噴き出したが、そのあとわざともう一度驚いた顔を作って言った。

「おまえ...まさか本当にわからんのか?あの女、お前に...明らかに...気があるぞ。下僕上がりでも、市民権を取って、ガツンと出世すれば、お前でもきっと、あの女を、落とせる」

「いや、いや、いや、まさか...!まさか...!」

「じゃあ聞くが仮にだ。あの娘を毎晩毎晩抱きまくれるとしたら...それだったらいっちょう、格好よくザレン茶舗の総支配人になって、茶舗をいまの二倍にだって盛り立ててみせるぞ!...みたいな助平心くらいなら...どうだ、湧いてこんか?…それだったら、元奴隷という身分なんぞ跳ね除けて、面倒な人間関係やら何やかやも全部片づけて、きっちりと人の上に立ち続ける男になってやろうじゃないか、と、そういう気はないか?」

ディミトリはうろたえて真っ赤になってうつ向いている。

「...そんなことは...そんなことは絶対にあり得ねえ...か、からかうのもいい加減にしてくださいませ!!」

「おっ...!ちょっとはその気になってきたようじゃないか。まあ、今すぐと言わんから、考えておけ。...そうだ。その気になったら...仕事のついでに、女の抱き方も教えてやる。いや口説き方が先か。んん?」

「いい加減にしてください!…し、失礼します!」

ディミトリは真っ赤になって逃げ出した。

(何を言ってるんだ...何を言ってるんだ...ザレンの爺様は!悪い冗談にもほどがある!!俺がマーヤ様にあれだけ憧れてるのを知っておいでのくせに、絶対実現する訳もない、こんな残酷な冗談なんて。からかうにも俺を虐めすぎだよ!)

ザレン爺はディミトリがいなくなった部屋で落ち着き払って葉巻をふかした。

(やはり、あやつ、似ておる...)



ーーー次回    「1-6 女主人はヨサックが解らない」に続きます。---

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