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12-1 腹立たしいプレゼント ~小説「女主人と下僕」~




夜明け前。まだ夜明けまで2時間はあるだろう。

豪華な天蓋付きのベッド。

大きな窓から射す月明りでほんのりと室内が見える。

ディミトリが徹底的に深い所までマーヤを鳴かしに鳴かせ、そして自分も呆れるほど達した後。

ひと眠りしてから、ディミトリはマーヤより先に目覚め、くったりと寝入っているマーヤの髪をそっと繰り返し撫ぜていた。

本来ならひたすら喜びでいっぱいのはずのディミトリだが、切ない表情であった。

さっきは情欲の喜びでうやむやになっていたいろいろな複雑な感情が今になってドッと戻って来たのだ。

天蓋の豪奢なベッドの中に身分知らずにも潜り込んでいる自分がいたたまれない気分だった。

そしてそこに来て、ディミトリはいまさら、たった今になってようやくもうひとつの事に気づいた。

今日のマーヤの家の中はどこもかしこも、むせ返るような、清涼な白薔薇の香りが立ち込めている事に。

ディミトリが見廻すと、この、マーヤの寝室兼書斎の部屋の中の至る所に尋常でない量の白や薄ピンクの薔薇が生けてある。

よくよく見てみると、この部屋だけでも至る所に何ヵ所も、しかも花瓶どころか、近所から借りてきたらしい大きな桶まで使って、とてつもない量の薔薇が活けてあるのだ。

集めればちいさな風呂桶一杯分はあろうかと言う程だ。

(とてつもない量の立派な薔薇だ…どうしたんだろう…?大きな結婚式か会合にでも参列なさったのか?でも、それにしたってこんなに貰うだろうか?多すぎる…)

まどろむマーヤにディミトリはそっと尋ねた。

「この…薔薇は?」

「ああ!ザレン様からよ、詫びのしるしですって」

マーヤはこともなげに返事したがディミトリはその瞬間、天蓋のベッドから跳ねるように立ち上がって、驚くマーヤを残して、階段を飛ぶようにして降り、さっきは暗闇でよく見えて無かった一階の応接間やら玄関の方に走って行った。

「ディミトリ様?!」

昨晩遅く、家に入るときはそれどころではなかったし、灯りが灯っていたのは2階だけで1階はほとんど真っ暗だったので、気づきもせずに通り過ぎたが、あの時もディミトリは部屋の中のむせかえるような香りや白い影に一瞬の違和感を感じていたのだ。

いま、ディミトリが階段を降りて暗闇で目を凝らすと一階にもさらに風呂桶一杯分ほどの大量の薔薇の花が見える。

そして玄関脇に畳まれたパールピンクの大きな化粧箱が積み重なって山をなしている。

それが街一番の最高級の花屋の箱なのはディミトリにも解った。

マーヤが、薄すみれ色のシルクのガウンを急いで羽織って、ランプを掴んで階段を降りて追いかけてきて、一階がマーヤのランプで照らされると、部屋中に真っ白とピンクのとてつもない量の薔薇が、ばぁっ、と浮かび上がった。

そして、応接テーブルには、金色に塗られた平たい大きな箱。街一番の店のチョコレート店の箱だ。特注かもしれない、見たこともない大箱だ。

まだチョコレートなんて特別な奢侈品の時代の話である。

ディミトリの背筋に嫌な汗が走った。

「…このチョコレートもザレンからの品か…!!」

マーヤもすっかり慌てて焦って言った。

「ごめんなさい!すぐに棄てますわ」

「違う!そう言う意味じゃ無いんです!待って!待てったら!」

ディミトリはマーヤの手のひらを捕まえて止めた。

「でも怒ってらっしゃる…」

「違うッ。俺がこんな事で貴女に怒る筋合いなどありますか!前回にもキッパリ申した筈です!くだらない遠慮で俺なんぞのために無用な我慢なんか絶対しないで下さいと!」

「でも」

「違うんだよ…ひたすら驚いたんだ…すげえな…」

「あっあの、ザレン様はね、ほら、先日の件で『あまりに無礼を働いてしまい申し訳なかった』ってそういう詫び状を寄越して下さっただけよ?確かにちょっと困るくらいに過剰なプレゼントですけれども…。そうだわ、手紙の文面も全部お見せしますね」

マーヤがチョコレートの横に置いてあったザレンからの詫び状をディミトリに手渡した。

「わたくし、未来の夫に他の男性からの手紙を隠し立てする気などけっしてございません」

ディミトリはそのいかにも高級そうな厚みのある立派な真っ白の紙に紅い封蝋のついた大きな封筒を読んだ。そして当然のごとく、古今東西の詩句をさりげなく散りばめ、機知にも富んだ、それはそれは見事なザレン爺の手紙の文面に、更に打ちのめされた。

(まるで御伽噺の王様からのラブレターだ…)

明らかにザレン爺はこれをディミトリへの見せつけとしてやっている。これはザレン爺からマーヤへのプレゼントなどではなく、ザレン爺からディミトリへのメッセージなのだ。

ディミトリにはこの薔薇と手紙から、ザレン爺のあの妙に力強い、粘っこい声で

『どうだ、ディミトリ?解るか?ようっく見ろ。これが金の力だ。権力の力だ。金は使いようでは人間の心など平気で曲げるし、お前の女を盗み取る事にも使えるのだ。今のお前には無い力だ。確かに、元々のお前が歩むはずだった人生には金も権力も不要だったがな。だが。わしが用意したマーヤという餌にお前が喰いついてしまったからには、もう遅い。もうお前はわしの手で【金と権力を得ざるを得ない、そういう道】に突然堕とされてしまったのだよ。なあ、ディミトリ、わしの傀儡よ。どうだ、わしの持っているものが、喉から手が出るほど欲しかろう?』

という声がいやらしく耳元に囁きかけてくるように思えた。

だが、緊張した表情のディミトリと反対に、マーヤはのんきな態度でディミトリに向き直ってニッコリしていった。

「でもわたくし、ディミトリ様に頂いたプレゼントの方がよほど嬉しかったな」

「はぁっ?俺が貴女にプレゼントですと???」

ディミトリは思い当たる節が無くポカンとした顔でマーヤに言い返した

「何度もいろいろ下すってるじゃぁございませんか」

「えっ…?」

「来て」

マーヤはディミトリの手を引いて、階段をふたたび上がっていった。

【次回】

【おススメ回】




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