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9-2 マーヤ、爺になぶられるのを許可す ~小説「女主人と下僕」~敗戦奴隷に堕ちた若者の出世艶譚~




数日後の昼下がりのことである。

買い物ついでにマーヤがザレン茶舗に立ち寄った。

特に用はないが、また、ちょっと照れるが、マーヤは茶舗の三階のザレンの書斎にも立ち寄ってザレンと茶を飲んだ。

ザレン爺はマーヤを見て、葉巻を消し、窓から風を入れ、(爺はマーヤが来るとマーヤのためにいちいち葉巻を消してくれているようなのだ)ため息をついた。

「参ったなあ...」

女主人と下僕 爺紫


「ディミトリ様ですか」

「案外、人を信用しすぎる。捕まえて来た時は、まだ少年のくせにえらいしぶとい上に、頭も切れるなかなかの策士だと思ったのだが...この10年のぬるま湯生活と、お人好しの羊の皮の被り過ぎかな。どうも変なところがぬるくなった」

「そうでしょうか」

「あれでは将来が心配だ」

「誰かに騙されでもしたのですか?」

「わしにな。わしに心底騙され切っておる。本当の祖父のように慕いすぎておる」

「ザレン様を?素晴らしいじゃないですか」

「ダメだ。たとえばの話、わしが本物の祖父でも、100%信用しては男失格。必ず商売でも失敗する。誰をも信用せず、しかし敵の懐にしっかり飛び込まねばならん。裸で懐にがっちり抱かれるのを恐れず、だが次の一手を出すのを忘れず、そういう気概が、牙が、あいつからすっかり抜け落ちてしまっておる…なぁマーヤ、3か月後に、ディミトリが奴隷身分から下級市民どころか一足飛びに普通市民に上がって、この本店ともう一軒の新店の2件の店長を兼任させる話、もうディミトリからは聞いておるだろう?」

「はい」

「数年前にあいつをこの店の仮の売り場頭に据えた時もいろいろと揉め事があったのだ...。これから、あいつがここの正式な売り場頭とザレン珈琲舗の一号店の売り場頭を兼任し、さらに仕事を拡げ始めたら。以前の一悶着なんぞ霞むようなどえらい騒動がぞくぞくと起こり始めるのは間違いない」

「揉め事、ですか」

「そうだ。そもそも、ディミトリ自身もそういった揉め事を恐れていたからこそ、この10年間、羊の皮を被って、店でも名目だけは仮店長を名乗ってとぼけるまでして、息を潜めて生きて来たのだよ」

「ええ、言い方は悪いですが、いつも常に気の毒なくらい何歩も引いてへりくだり、わざと愚かなふりをしていらっしゃるように見えましたわ…」

「あいつの目を醒ませてやろうと思いっきりお前を焚き付けた結果、ついにやっとこさ、おっかなびっくりお前を口説き始めたのはいいが、なんだ、目醒めたのは助平魂だけと来たもんだ、全く…」

「そう仰いますが、ザレン様。あの方は、才覚も、充分なしぶとさもおありです。このデュラス街区のザレン様の商売敵のどのお店を見渡したって、ディミトリさんほどの息子さんをお持ちの同業者も、ディミトリさんほどの部下をお持ちの同業者も、一人もいらっしゃいませんわ。大丈夫ですわよ」

「違う、その話ではなく、もう、今となっては、ただ仕事さえ出来ればいいというものではない。元奴隷のあいつがどんどん成り上がるという事はつまりあいつの存在自体がこの街の男達全員に対しての『挑戦状』になったのだ。しかもそこにお前という女の争奪戦まで絡むことになった。あいつの方には誰と喧嘩をするつもりは毛頭無くても、あいつが自分から街中の男達の…とくに年頃の上級市民の男たちの顔面に面と向かって挑戦状を叩きつけている状態なのだ。…今まで通り、単純にただ羊の皮を被ってこそこそへり下り目立たないように隠れるだけの生ぬるい様子では周囲に確実に潰される。ディミトリには今までと全く違う態度が必要だ」

「まあ...!ザレン様はディミトリを本気で愛しておられるのね...そんなことを教えたがるなんて。でも、それこそ、まさにザレン様こそ、なんでディミトリさんにそこまで打ち込んでるのかしら。まるで本当の孫を心配するようなご様子だこと」

「...あいつのせいでわしの店が潰れては困るだけだ」

マーヤはザレン爺に軽口を叩いた。

「いつも思うのですけど、お顔もあまりにも似てますし、ディミトリさんはやはりザレン様の本当の隠し子なのではありませんこと?30年程前…ちょうど前の前の戦争の前後にでも…ザレン様はゾーヤ国で恋愛事件でも起こしたことがおありだったりして?…ふふ、誰にも言いませんから本当のところ、どっちなのか、わたくしにだけはこっそりお教えになってみません?」

「バカ言うな!わしには係累など一人もおらん。そもそも顔が似てるから面白がって拾ってきたんだから、似てるのは当たり前だろう」

ザレンは慌てて否定したが、実際、ディミトリがザレンの隠し子、隠し孫ではないか、という噂はあるのだ。顔も、声も、骨格も、似すぎるほどに、似ているのである。

「そうねえ...じゃあいっそのこと荒療治で、ザレン様がどれほど危険で信用ができない男か思いっきり教えておやりになるとか」

「ぶっ!どうやって」

「さぁ...」

「大体あいつは物欲もないし、本気で怒らせるような方法も・・・おお、あった。ここにあった。ひとつだけあったぞ。それも目の前に」

ザレンは立ち上がって、応接机と椅子セットに近付いてその革張りの低い3人がけ椅子の背にもたれ、そこ座るマーヤに後ろから手を伸ばして、マーヤの小さい顎をくいと指で持ち上げた。


「…お前だ」


女主人と下僕 もも挿絵


「え!」

マーヤは思わず赤面して黒い潤んだ目に動揺を浮かべた。

いつものマーヤであれば、こんな冗談をされたら普通なら腹が立つはずだし、そもそも男性にこんなずうずうしい態度を取らせるようなマーヤではない。

だが、なぜだかいつもザレン爺にだけはずうずうしい態度を許してしまうし、どういうわけか全く不愉快ではないのだ。

なぜかまったく嫌な気がしないというその事が、むしろマーヤの心をみょうにざわつかせた。

「…」

マーヤはなんと答えて良いか分からず、捕まえられて逃げる事も思いつかない仔猫のような様子で、きょとんとされるがままになっていた。

「おい悪いが、こんな汚い爺に触られて不愉快だろうが…お前の...そうだな、手、髪の毛、肩、それに首筋くらいか。ちょいと触らせてもらうぞ。いいか?」

ザレン爺はちょっとニッと笑みを浮かべつつもマーヤをじっと見た。

実はその時ザレン爺は、爺とは言え強面のいかつい自分がこんな事をして、マーヤが怖がらないかと、かなり心配しながら冗談を吐いたつもりだったが、

「え?髪の毛?…そんなの、もちろん構いませんわよ?」

対する、ザレン爺の掌に顎を乗せたマーヤは、真正面からザレン爺の視線を全く臆せずにぽかんと見つめて、そして即答でザレン爺に応じたのである。

そのあまりにキョトンとした無防備ぶりに、デュラス街区の大妖怪の方が、ギョロ目を一瞬泳がせ照れ隠しに目を伏せた。

だがザレン爺は照れて動揺した事をマーヤに悟られぬように立ち上がって、窓を開けて下の石畳が張り巡らされた中庭で作業する人々に三階の窓から大声で怒鳴った。

「おい!誰か!ディミトリを呼べ!」



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