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1-9 女主人、下僕のプレイが斜め上過ぎて困惑す 小説「女主人と下僕」 ~敗戦奴隷に堕ちた若者の出世艶譚~




マーヤは何かに憑りつかれたようになって、ただ頬を染め白い肌をふるふると震わせながらも、ひたすらディミトリの言うなりになって手を引かれていった。

ジャリン、ジャリン。

ディミトリが歩くたびに、ディミトリのこげ茶の下履きの筋肉質に固く盛り上がった堂々とした尻のあたりの鍵束が揺れる。

ディミトリはマーヤの方に振り返ることもせず、マーヤを掴んだ手でマーヤをほとんど持ち上げて引きずるくらいにして階段を登らせ、商談室の前に立たせた。

ディミトリは焦るようにして鍵束を探り、商談室の重厚なチークの扉の、金色の鍵穴に、ガチャリ!と乱暴に鍵を差し込んで、マーヤの背中をぐいと押してマーヤを中に入れた。

昼間であるが分厚いカーテンをしたままで灯りもない商談室はかなり薄暗い。

しかもディミトリは扉をしっかり締め、さらには再び内側から鍵を乱暴に閉めたのだ!

薄暗い部屋でディミトリは向き直って爛々とした目でマーヤを見つめている。

「ディ、ディミトリさん...?」

さすがにマーヤは怖くなってきて声を掛ける。

「マーヤ様...そこのソファーにお座りください。」

「ディミトリさん?ちょ?ちょっと...?ひっ!」

その瞬間、ディミトリがマーヤにずい!と近寄ってマーヤの柔らかい腰をがっちり両手で掴んでまるで父親が赤子を「高い高い」でもするかのようにすううっと30センチほど持ち上げて革張りのソファーにそっと下した。

そしてディミトリはソファーテーブルと、向かい側のソファーのふたつを、馬鹿力で、片手で一気に、ザザザザズズズ!と押しのけ、マーヤの真正面、まさにソファーテーブルがあった場所にひざまずいた。

(この人は今からあたくしをどこまで料理する気だろう?愛の告白だけのつもりか。いますぐ口づけの雨を降らしながらわたくしの全身を揉みくちゃにでもする気か。それともまさかこんな場所でいますぐいきなりわたくしに襲い掛かって処女を散らしてしまう気かしら?こんな場所で!?もうほとんど怖いけれども、でも!嫌なんだけど、嫌じゃない、もう何でもいいの、どうにでも好きにして下さるがいいわ、…来て欲しい)

「...もしもマーヤ様が...この後で...頭にきて...敗戦奴隷の習わしに則って、俺を処刑すると仰ったら、何の証拠も証人も一人もなくても、俺は甘んじて処刑されましょう」

暗い部屋で、ディミトリの両目が爛々と光っている。目が慣れてやっとはっきりものが見えるようになると、ひざまずいたままのディミトリがマーヤを射るような瞳で見上げているのがはっきり見えて、マーヤは恐怖なのか期待なのかさっぱりわからない感情に絡めとられながら座ったままわずかに後ずさった。マーヤの白いねっとりとした腕に鳥肌が立っているのがはっきりと見えた。

「ま、待って!ディミトリさん?お、お願い、どうか、あまり乱暴にだけはしないで…いいのよ、好きになさっていいんだけど、一体、いまから何を、ど、どこまでする気なの…?」

女主人と下僕 もも3


「何って、決まってんだろ、お説教でさ!」

ディミトリが暗い瞳を光らせ床を見つめ、床に吐き出すように力を込めて言い放った。

「はあ?????」

(えっ?私は今すぐここでこの人にこの革張りの椅子に押し倒されていやその決して嫌ではないけどぞっとするくらい強引に処女を散らされる…のではなく?えっ?はっ?)

「マーヤ様は...頭もいいのにどうしてそう変な所がこどもっぽいんですか!?まったくもう…どうしてあんな、ヨサックみたいなアホに向かってマトモに正論を吹っ掛けてキャンキャンとケンカを売るんですか!」

「...え?」

「そもそもマーヤ様は上級市民の…男の…男のメンツというものを…男の心を…踏みつけにしすぎなんですよ。ヨサックがあんまりにも可哀想ですよ…!」

「はあぁ?!」

「ヨサックをいじめすぎです…」

「え...?わたくしがヨサックに虐められたのではなく?!?私がヨサックをいじめたですって?ええ...?」

「いやね、たとえば、俺には何言っても大丈夫でさぁ。俺はどういうわけか、割とそういうの平気なたちで…女性に叱られても別になんとも。俺はマーヤ様にメチャクチャに怒鳴られたって平気です。むしろ俺なんかの為に本気で怒って叱ってくださるなんて心底ありがてえなぁとしか思いませんよ。そして、俺よりずっと身分の低い女…たとえば炊事女の婆あ連中やら、なんなら近所の物乞いの婆あに怒鳴られたって、あー俺なんかしたのかなぁー、悪かったなぁーとしか思わねぇ。俺は罵声には慣れてるしよ。だが!…ふつうの男にはあんな言い方は!絶対してはいけねえ!危険すぎます!とにかく、マーヤ様、お控えなせえ。男には面子を立てておやりなせえ」

マーヤはまたカチンときて火のようになって怒りはじめる。

「なんだと!なぜ私があんなクズの面子を立ててやる必要があるのかえ!...!まさかお前、私が女だからあんな下郎にも控えろと言うのかえ!」

「違うんだよ、あべこべさ…あんたのような綺麗で…あのその…色っぽい…女に、無視されるだけでもたまが縮ん、いや、心臓が縮んで、さらに面と向かって侮辱なんかされたら、悔しくて悔しくて心臓から血を流す連中が…その…この世にはたくさんいるんですよ…。なんというか…ものすごく…可哀想なやつらなんです…う、うーん…マーヤ様はびっくりするほど鈍いからなぁー…理解できないだろうなー。参ったな…とにかく!!!絶対に!!!絶対におやめなさい!!!下手すると月の出ない夜に、寄ってたかって輪姦されますぜ。マーヤ様はそれくらい相手を傷つけてるんです。つまりですね、あんたの方が、ヨサックより、よっぽど強いんです...とにかく勘弁しておやりなせえ。本当に...どうか、どうか!....危険な真似はお止しくだせえ!…ま、これからは、男を頭ごなしに叱り付けたくなったらよ、どうぞ全部俺に向かって気が済むまで蹴るなり怒鳴るなり叱って下せえよ」

ディミトリはその可哀想なヨサックをギタギタに痛めつけたくせに偉そうに説教した。

「……は?…ヨサックが傷つく…?ヨサックが可哀そう...????いやヨサックは私のことが嫌いでしょう…好きでもない女に罵倒されて…男が…傷つく?…はっ?はぁ?なぜ…?」

マーヤにはディミトリのこの部分の話は実はほとんど理解出来なかったし、納得もいかず腹も立ったが、しかしディミトリがマーヤを護ろうと本気で言ってくれているものすごく大切な教えだという事だけは解った。

ちなみに、マーヤが、自分ごときの若い盛りの肉体なんぞにまさかそんな男同士で取り合いになるようなとてつもない値打ちがあったのかと悟るのも、女の人格を完全無視した場所でではあるが、若い男達は女の肉体を巡る争奪戦を命がけで闘っており、それは男にとっては人生かけた誇りにも絡むような命がけのどえらい重要案件らしいと悟るのも、男とは案外に可愛らしくも哀れで繊細な生き物かもしれないといつのまにか悟るのも、この日から、何十年も経った後の事である。

「とにかく。マーヤ様、いいですか。クズどもに正論をぶつけてぎゃふんと言わせて、だからどうなります?…逆恨みされてますます絡まれるだけですよ」

マーヤは、ぽかーん。である。

「今後はちっとは我慢しなせえ。少々嫌な目に遭っても、笑顔でさらっと流して済ませるんです。...たとえば俺がよくやってるみたいによ」

「えっ、えっ、えっ......」

「マーヤ様がどんなにか凄いお人なのは知ってまさあ。元お貴族様なんかで商売のいろはも全く知らねえはずの女が、裸一貫で貿易商をはじめて、この若さでちゃんと稼いで何年も生き残ってるなんてよ、たいしたたまだぜ。こんな女は、はじめて見たよ。俺ァ、マーヤ様の事は身分のことなんかなくても尊敬してるんでさ。だがな。男あしらいの下手さと、たまに出るこの、こどもっぽい無駄なけんかっ早さは最ッ悪もいいところ、いや、こどもどころか赤ちゃん並みです…!あのようなふるまいは即刻、いますぐに、改めなさいませ。そらな、貴女のおっしゃる話は正論だろうよ、だがこの世界は幼稚園じゃない。山奥の森のケダモノからこのランスの街の人間関係まで、この世のありとあらゆる世界はただ喰ったり喰われたりしてるだけの、正論なんて一切機能してねえ世界なんだよ…貴女がどんな世論を言おうが、幼稚園の園長先生がやってきて正しい方を庇ってくれる事なんて、ないんだ…」

カーテンがひかれた暗い鍵のかけられた密室で、好いた男に襲われるかと思ったら、説教。

「じ、じゃあ...言い返しますけど..…あたくしにだってプライドってものがありますわ!心底耐えられないような酷い目に遭って...誇りを失う思いをしたら...それでも、それでも誇りを棄てて、相手の言いなりになれっていうのッ?」

「そういう時はただ、尻尾巻いて逃げりゃいいだろ。そいつの居ない所までな」

「な!?」

「いいじゃねえか。いったい、逃げるのの、何が恥ずかしいってんだ。クソみたいなプライドを振りかざして無駄に潰される方がよっぽと恥ずかしいでしょう。ちょいと泥水を啜っても、嫌な奴より、利巧に立ちまわって、そいつより長生きして幸せになってくだせえ。生き残るのが本当に勝つってことだ。...マーヤ様はお貴族様出身だが、苦労なさっていらっしゃるから..…きっと...きっと...解りなさるはずだ...どうです、俺の話、解りますか...?」

マーヤは想像の斜め上の展開に付いていけなくなっていたが、それでも元々鼻っ柱の強い娘であったからまだまだ食い下がった。

「…まだ頭がついて行ってないけど…仰りたいことはかなり解って来たと思う…負ける喧嘩で我を張るより生き残って幸せになれって仰りたいのね...でも!解るけれども、でも!そんなこと言ってディミトリあなた、まさについさっき、ヨサックに面と向かって怒ってくれて、ヨサックをぎゃふんといわせて...真っ向から正々堂々闘って、大人しくさせてくれたじゃないの!そのっ...男らしかったわ…あたくしあなたに守って頂けて本当に本当に嬉しくて...」

「バカげたことを...それが大間違いだって申しているんですよ」

「...はっ?」

「...だから!たしかに...怒鳴りつけたり殴りつけたりすれば1か月ぐらいは相手は大人しくなりますよ?...でも本当のところ、腕っぷしなんかには本当は何の意味もねえよ」

「腕っぷしには意味がない…ですって?」

「もちろんさ。たとえばマーヤ様みたいな華奢なお人だって、俺を本気でやっつけたかったら、いますぐだって俺が後ろ向いてるときに鉄砲かなんかでズドンと一発撃つとか、後で毒でも盛るとかすれば、いとも簡単に勝てるじゃぁありませんか」

「そんな…」

「そんなことより、怒鳴りつけたくなるようなクズどもに限って、メンツを潰されればされるほど、逆恨みして10年後でも20年後でも、卑怯な手で何度も仕返しをしてきますぜ?…だから相手の面子を立てて済む話なら立てときゃいいんだよ」

「何言ってるのよ!...ついさっき思いっきり暴力であっさり解決してたくせに!」

ディミトリはマーヤをちょっとびっくりした顔で見つめ、苦笑した。

「ちょっと...まさか、まさかマーヤ様、さっき俺がヨサックをただ怒鳴ったり殴ったりしたから大人しくできたみたいに勘違いしてるんですね?...ったく、この人ったら!どうしようもねえ、ねんねちゃんだな...」

「はっ??」

「俺は暴力なんかでヨサックを黙らせたんじゃないですよ。そもそも一発も殴ってませんしね。…種明かししましょう。ヨサックはうちの茶舗の取引の時に、こっそり金を使い込みしてんのさ。…その金で毎晩のように遊び歩いているんだよ。あいつはうちの取引先の会長の実の息子じゃなくて娘婿だ。だからもし使い込みがあいつの会社の会長にバレたら、ヨサックは地位も、嫁も、女も、金も、何もかも全てを失う。...んで、ヨサックの横流しのことを昔っから知ってて、完全に証拠も握ってるのは、俺ぐらいなもんです。...つまりさっき俺は、それを匂わせて脅してやったのさ!俺に歯向かうとそのあたりのことが全部バレて路頭に迷うぜ?ってな。…えーとまあ、ついでに怒鳴ったのにも、そりゃ多少はこわがらせる効果はあるけんども。...だがな、暴力っつうのはよ、よっほどの特殊な条件が揃わねえ限りは、肉にかけるじゃこう草の価値もねえわな。つまりよ、ハーブなしの肉ならまあまあ喰えるが、ハーブだけ喰っても腹は減ったままだろ。…解るか?…なぜってよ。...もし俺にこういう切り札がなきゃあ、あいつはちんぴらを金で雇って俺にすぐ仕返しして俺が夜道で歯か骨でも折るか、骨どころでないような、手酷いしかえしに遭うだけの事じゃねえか」

「...!」

「もっと言っちまうと。証拠ははっきりしないが、ザレン茶舗以外でも、他にもあいつの取引先は沢山あるし、俺はその辺の顔も広い。だから町中の茶問屋の爺さんどもに、もしも俺が『ヨサックのところの帳簿をいっぺんきっちり計算しなおしてみてはいかがでしょう?』なーんてよ、もし進言したら、ヨサックは下手すると監獄行きだ」

「ザ、ザレン茶舗以外でも?!?!」

「いんや。もちろん俺はその辺のことはひとっつも知らねえよ?なにひとつ証拠も握ってねえよ?だが。うちの店でこのザマなんだし、あいつの金遣いから想像すれば確定だろ。…どうせあんな卑怯者、叩けばホコリがわんさか出て来るに決まってらあ。だから、勝手にあっちで勘違いするようによ、ふんわりと、こう、俺は証拠まで何もかも全部知ってるぜ、みたいにカマをかけて、騙して、びびらせてやったんです」

「...ザレン爺様にも、他の茶問屋の爺様たちにも、ヨサックの事、教えないの...?」

「だから!それがいけねえって言ってるんでさ。ほんとにねんねだよ、マーヤ様は。敵は壁際まで追い詰めちゃいけねえ。小鼠一匹でも、死ぬ気で歯向かわれたら大怪我いたしますぜ。いいか、マーヤ様、万一、どうしても敵を追い詰めたいなら。肚を決めて、本気で、息の根を完全に止めるまでとことんやり切れ。仲間もろとも一匹残らずとどめを刺して、深く土に埋めるまで確実にやり切るんだ。そんだけやり切れる自信が無い時は、必ずしっぽを巻いてお逃げなさい。…今回の切り札はヨサックを封じ込める大切な物なんだから、ばらさないでそのまま泳がせといた方が良ろしいでしょう?...ザレンの爺様には、今回のついでに、あいつをちょいと頑張らせて、かなり有利な取引にでも持ち込んで、ほくほくに喜ばして差し上げってやっから、爺が今まで損した分はそれで戻ってきまさァ。俺ァ、ザレンの爺様には長いこと世話ンなってるから…ヨサックを生かさず殺さずのちょうどいい塩梅を見極めてよ、ちょいと爺孝行して差し上げるつもりさ…」

「え、あの...」

「つまり! 笑って流す! 敵は追い詰めない! 弱みはしっかり握っとく!ハイっ、唱えてください」

「.....わ、笑って流す、敵は追い詰めない、弱みはしっかり握っておく...わ、解りましたわ...い、いま、動転して混乱してるけど、でも...私が愚かだったって...なんとなく解ってきましたわ...」

「よかった…ぁぁ…マーヤ様…!どうか、下らん事で不幸にならないで下せえ…お願いだ...お願いだから…」

ディミトリは片膝跪いたまま、感極まったように、マーヤの柔らかくしっとりした白い手を、自分の浅く焼けた大きな骨太な片手でがっしりと掴み、その小さな白い手を、自分の額と閉じた目にぐりぐりと押し付けた。そのまましばらく押し付けていたが、再びディミトリは真顔になってそのマーヤの手を握ったまま、またマーヤを真っ直ぐに見つめて続けた。

「あと…ついでにもう一つお説教ですが、ヨサック程度ならともかく、ヨサックの仲間に万が一、メチャクチャに頭の切れる奴がいたら?万が一、そいつが全力で俺に100倍返しでやり返して来たら?ちょっとしたことで、とんでもないいちゃもんを付けられて、敗戦奴隷の定めに従った処刑にでも掛けられたら?...堪らねえすよ。俺はそれなりには気を付けて生きてっからよ、さすがにどうやっても何も出来ねえとは思うけども...万が一、俺がヨサック絡みで処刑でもされたらそれはマーヤ様のせいですぜ?それはちょいと反省して下せえ」

「!ご、ごめんなさい...!それは...本当に浅はかでしたわ!本当に浅はかでしたわ!…許して下さいとは申しません!万が一にでも何かあればあたくしどんな手段を使っても命がけでディミトリさんを庇います…」

マーヤは涙目になって謝った。

「解って下さればいいんです。ま、俺...それで処刑されるんならそれでも別に良かったんで」

ディミトリはマーヤに、もう、触れんばかりに、にじり寄って、熱くも包み込むような瞳でマーヤをじっと見つめた。

「えっ…?」

「それでも、どうしても、どうしても、俺はこの3つの事をマーヤ様にお伝えしたかったんです...」

「ど、どうして..?なんでそんな」

「なぜってそりゃマーヤ様には幸せになって欲しいからですよ...」

ディミトリの黒髪が、マーヤの頬に掛かるほどに、ディミトリににじり寄られ、黒い瞳で見つめられ、ディミトリの熱い息が、マーヤの細く白い滑らかな喉元に当たり、マーヤの体中から熱いさざ波のような甘い、痛みのようで痛みではない、甘い痛みが沸き上がった。

ディミトリは喉をごくりと鳴らし、いつもよりも一層黒く瞳孔を開いたような熱っぽい甘い瞳で、熱い息を吐きながら幾分掠れた声でマーヤに囁いた。

「そんでよ、マーヤ様...今回みたいな小っちぇえ事はもうご勘弁願いますが、本当に困ったことがあったら、どうか、必ず、この俺を頼ってみてくだせえ。…そん時は、マーヤ様、俺のことを…そうだな、古代のギリシアかどっかのよ、マーヤ様が殺すも生かすも自由の、法律もなにもねぇ時代のモノホンの奴隷かなんかみたいによ、どうか遠慮なく、俺にガツンと命令してくれ。この数年、マーヤ様には本当に親切にして頂きました。身分不相応なお褒めの言葉を繰り返し頂きました。ま、まさか、ランスでこんな責任のある仕事を任さられ、しょっちゅうマーヤ様のようなお方に、毎回のように仕事ぶりをお褒めいただくとは思わなかったです。俺、戦争で負けてランスの地で敗戦奴隷になった時は、俺はこれから死んだほうがましなくらいの目に遭うんだと覚悟してたのに、ザレン様には拾われるし、そして数年前から貴女様がザレン様の取引先になってからというもの、おれ、毎日が、茶舗の仕事が楽しくてしょうがないんです。マーヤ様はこんな身分の俺をちっとも嫌がらず、なんの差別もせず、いつもいつも皆んなの前で俺の仕事ぶりの細かい事までいつも大袈裟なくらいにお褒め下さり、ザレン様や周囲の人に、何度も俺の良い評判を繰り返し広めて下さり、時には心無い人から俺を庇って下さったり…いままで貴女様が俺にして下さったさまざまなお情けの数々、俺は、全部!全部!覚えております。そういう貴女様のお力あってこその今の俺です。マーヤ様。俺の事は、ザレン様の下僕であると同時に、俺は貴女のもの、貴女の下僕とお思い下さいませ。どうかどんどんと御命令下さい。多少の無茶なら、心底嬉しいくらいなんだ」

そう言ってディミトリはまたマーヤの白い片手をこんどは痛いくらい強く自分の胸ぐらに押し付けて、そして白い手を離し、マーヤからちょっと離れて、片膝ついたまま、頭を垂れて礼をした。

「ディミトリさん...!なんという...ダメよそんなそんな勿体ない事を仰っちゃ!...あなたは本当に立派な方なのに…あぁもう…なんて勿体ないことを仰るの...!」

感極まったマーヤが、ぽろりと1粒、2粒と、3粒と、4粒と、涙を流して、震える白い手をそっと差し出して、ディミトリに抱きつこうとした瞬間。ディミトリはマーヤの涙を骨ばった太い指でぬぐいながら続けた。

「あと、マーヤ様が…俺のためにあそこまで火のようにお怒りになって、ヨサックを叩き潰して欲しいとまで仰ったこと…ふふ、愛らしいお顔が中々ひでえ形相になっていたけれども…『私の気に入りのお前』とまで仰って下すって…!ああ!ああ!なんと言っていいのか…お、俺の心の臓が…この胸が熱うなりました…!」

ディミトリは自分の粗末な白いシャツの胸のあたりをぐしゃりと掴みながら指し示し、赤面した頬と、潤んだ瞳でマーヤをじっと見つめ…そしてさっと立ち上がった。

そう、ディミトリはさっと立ち上がったのだ。

「ええと、話はこれで終わりです。俺...その、あの...俺なんかが、その、憧れのマーヤ様とこんなにまでお話しできて..なんていうか...嬉しかったです。今日のことは俺にとって一生の想い出です!一生忘れません!...ほんじゃっ、俺、仕事に戻ります。」

「…えっ…?」

「....で、出来たら、その、また、ザレン茶舗になるべくお立ち寄りください...ッ!あぁ…ま、ま、待ってます...!」

ディミトリは、はにかんだ表情で、満足げな熱いため息を吐き、マーヤから目を背け赤面しながら、商談室の鍵をガチャガチャやって開け放し、そのまま階段を飛ぶように駆け下りていった。

「えっ」

(えっ、それだけ...?えっ...はぁ?何それ?) 

マーヤは、ディミトリに、おぞましいほど強引に無理やりに貞操を散らされることもなく。また、抱きつかれることも、手の甲にすらあいさつ程度の口づけひとつされることもなく。いっさい口説かれることもなかった。

(ここで私に付け込まないなんて!なんて誠実なひと...!)

(だがここで付け込まないということは、どう考えても、私なんぞには気がない、脈なし、ということよね...!)

マーヤは、自分の頬の涙が乾いていく感触と、身体に満ち満ちた甘く熱いさざなみがゆっくり冷えてくるのを感じながら、ただ自分からディミトリを抱きしめようとした形に白い腕を少しだけ前に差し出したまま、ソファーの上にぽつんと空しく取り残されたのであった。

次回↓






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昔々ロシアっぽい架空の国=ゾーヤ帝国の混血羊飼い少年=ディミトリは徴兵されすぐ敵の捕虜となりフランスっぽい架空の敵国=ランスで敗戦奴隷に堕…

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