見出し画像

第二の母

母が20歳の時に私は生まれました。
当時アパートの下に住んでいた 独身女性ひろちゃんは、母の6つ上で母がお姉ちゃんと呼んでた大親友です。
若く頼りない泣き虫の母を支え、赤ちゃんちゃつみを一緒に育ててた第二の母といえる人。

私が幼稚園ぐらいにもなると、何日もひろちゃんのところに泊まりに行ったまま帰らなかったり、一緒に銭湯に行ったり2人でTDLに行ったりも。
ひろちゃんが作る朝ごはんのサンドイッチは美味しかった〜子どものいないひろちゃんにとって私は我が子のような存在でした。

私が思う ひちゃんは雨ニモマケズのような人
人に優しく、欲はなく、人のために北へ南へ、雨でも風でも誰かのために尽くす ひろちゃんの周りにはいつも人が集まっていました。

そんなひろちゃんには彼氏がいました。
船乗りさんだと聞いていました。
めったに家には来ないし 来ても2日ほど過ごしたらまた何ヵ月も会わない状況。
ひろちゃんの彼氏、おいちゃんからお年玉やお小遣いをもらって私も懐いてました。
大人になってから それが不倫だったことを知りショックというよりも ひろちゃんも恋をしてたんだって不思議な気持ちと嬉しい気持ち
不謹慎でごめんなさい。
帰ってくると毎回いるちゃつみを おいちゃんはどう思ってたんだろ…
邪魔だったろうけど 優しいから追いかえせんかったんかな?と母に話したら、母が無理矢理に連れ帰してたらしくて笑った。

ひろちゃんとの交流は娘の葉っぱが誕生してからも続いてた。
孫ができたみたいだと葉っぱをとても可愛がってくれ、動物園や植物園や水族館もあちこち ひろちゃんを誘って行った。
葉っぱもとっても懐いてジュースのおばちゃんと呼び慕ってたいました。
ジュースっていうのは、いつも実家に帰るとアンパンマンのジュースをひろちゃんと葉っぱ 2人で買いに行くのが恒例になってたから。

書ききれないほど沢山の思い出…

最後に会えたのは  私でなく葉っぱ…
病気で出歩けなくなっていた ひろちゃん
実家に帰った時に葉っぱと母は買い物に行き、葉っぱがどうしても ジュースのおばちゃんに会いたいと言い出し、病気でむりだからと事情を話したら、家の前を通るだけでいいとひろちゃんの家の前へ〜
すると、体調がよかったらしくひろちゃんが偶然外にいて葉っぱは対面できた。
泣いて喜んで葉っぱを抱きしめて…
小さくなったひろちゃんの手をとって葉っぱもウルッときたと。
会えてよかったーと帰ってきた葉っぱ
会えて嬉しかったと連絡くれたひろちゃん
その時の私はひろちゃんが余命宣告されてたことを知らなかった…
奇跡のような時間を葉っぱは過ごせました。

今朝、母から電話がきた
12月16日
深夜にひろちゃんが亡くなったと
家族葬で母をその中に入れてくれていたようで、お別れできると泣いていました。
私は家で静かに ひろちゃんを思い出しながら、ここでこんな話をしています…

これを公開するのは きっと先になるだろうけど
今はここで 優しい優しいひろちゃんのこと
葉っぱと2人で写真を見ながら話しています

ひろちゃん
沢山の愛をありがとう
またね、ひろちゃん

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?