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読書メモ:「エレクトリック」(千葉雅也、『新潮』 2023年2月号)

1995年から今日まで、経過した時間は同じなのに、作品に描かれた記憶の瑞々しさと、自分の記憶の曖昧さとの落差にふと気づいて愕然とする。
描かれた1995年は主人公達也にとっての17歳の年だが、僕にとっての17歳はおよそ半世紀も前になる。僕は1995年の記憶と同時に、17歳の年の記憶を辿っていた。

千葉雅也の文章は叙景的だといつも感じているのだが、この作品ではそれ以上に描かれたものの物質性が印象的だった。
オーディオ装置 ー アンプ、スピーカーやその部品 -、工具、カメラ、インターネット、Mac.、ゲイであることを意識し始めた肉体、etc.。皆マテリアルな、実体としての手触りを感じる。
そしてどれもが始まりの相にある。
その中でも、父に、そして他者によって配線を組み直され、ともかくも誰かに届けられるアンプというのは一体何だろう、と考える。
始まったばかりの主人公の感性、思考、思想の組み直しが、移動、贈与されるアンプと何やら並行に思えてくる。
この作品に描かれた時間の後、”達也”が"◯◯"になる、anonymousでありながら、他の誰でもない何者かになるのであるとしたら、そのための回路 electricity の萌芽がここにあるのでは、と。

◇ ◇ ◇

以下蛇足。
・肉体とエレクトリックということで思い出したのが Weather Reportの"I Sing the Body Electric"。 
タイトルの由来など面白そうだ。

"I Sing the Body Electric" Weather Report, 1972

・𝑾𝒆𝒔𝒕𝒆𝒓𝒏 𝑬𝒍𝒆𝒄𝒕𝒓𝒊𝒄
 僕が勤めていた会社の親会社は日本で最初の外資系合弁会社としてWestern Electricの出資を得て設立(1899年)された会社だった。
CIブームの頃に変更されるまでのロゴはWestern Electricのロゴの字体に倣ったものだった。本文(p.20)の"Western Electric"がイタリックになっているのを見て、思わずニヤっとしてしまった。

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