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縁側

TwitterのTLを眺めていたら様々思い出してしまったので書いておきます。

父の実家は農家で、広い中庭と納屋があった。納屋には牛がいた。父が高校生の頃には馬も飼っていて、その馬で通学したとか言っていたが、何についても話を「盛る」父の言うことなので真偽は不明だが。ただ、それが充分に可能な田舎ではあった。
その広い中庭に面した縁側は子供の頃の私には少し高くて、庭からはよじ登る感じだった。大きな踏石に乗ってから上がった。
板張りの下には金網が張ってあって、鶏を飼っていた。
一端は直焚き式の風呂(所謂五右衛門風呂)のある風呂場に繋がっていて、外から家の横に回ると焚き口があった。

母の実家には狭いながら祖父の趣味満載の小さな庭に面した短い縁側があった。
週末ごとに遊びに行って、庭でとれた枇杷や無花果を食べたり花火をしたり、アニメやテレビドラマで描かれるステレオタイプそのままの過ごし方をしていた。下にはやはり鶏が居た。
縁側の奥は祖父の部屋で、帰り際に「じいちゃん、帰るよ」と挨拶に行くと、小遣いをくれた。晩年、アルコール依存症もあって理性に相当霞がかかっていた頃にも、100円玉を何枚か渡してくれて、歯のない口を開けて笑んでいた。

大学の英語の講義時間に縁側の話題になって(脱線するのが好きな先生だった)、縁があるというのは縁側があって触れ合うから、みたいな、ありがちなフォルクスエチモロギー的な展開になったので、何か意見を述べた記憶がある。
その頃の私は世の中の広さを余りにも知らない、生意気でナイーヴな奴だった。まぁ今でも変わらないが。
家の中と外を曖昧に繋ぐ空間を、今ならそんな風に言う事にも頷ける。

周縁のグラデーションを許さない、ぶっつりと切断されたように見える言論空間からは少し身を退いておこうと思う。

Thanks to joryco for the photo. 

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