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Nowhere Man を読む

友達が note で音楽紹介をしていたので、私も真似して好きな曲について語ってみることにした。今回はご存じビートルズの "Nowhere Man"。メロディーもさることながら、歌詞が素晴らしい。若きジョン・レノンの哲学的な深みを覗ける名曲だと思う。

(一応断っておくと、私はそんなにビートルズに詳しいわけではないし、私のこの勝手な解釈が正しいなんて言うつもりは毛頭ない。ただみなさんがこの曲を知り、ご自身なりの意味を見いだすきっかけになれれば、とても嬉しい。)

He's a real nowhere man
あいつはどこにもいないんだ
Sitting in his nowhere land
どこでもない場所に座り込んで
Making all his nowhere plans for nobody
だれでもない人たちのために、どこにもない計画を練ってる

The Beatles (1965), 筆者訳

英語に 'nowhere man' なんていう表現はないから、ジョンの造語なのだろう。そのまま訳せば「どこにもいない人」というような意味だが、明らかにそこにいるはずの「あいつ」が「どこにもいない」とは、どういうことなのか。

この曲の邦題は「ひとりぼっちのあいつ」である。訳者はきっと、「どこにもいない」を「どこにも居場所がない」と解釈したのだろう。あいつはいつもひとりぼっちで、他に居場所がないから自分の空想の世界に座り込んで、誰の役にもたたない計画を練っている。確かにこの歌詞をそう捉えることもできそうだ。

しかし私は、少し異なる読み方をしてみたい。そもそも、ひとりぼっちだと言いたいのなら alone や lonely を使えばよかったはずだ。わざわざ nowhere man などという不自然な表現を使ったのには、もっと深い意味が込められているのではないか。

私がこの曲を聴きながら思い描くのは、自分を見失ったままで生きている男の姿だ。彼は自分のなんたるかを知らない。自分がどういう人間で、この世界の中でどうやって生きていきたいのか、分かっていない。だから、彼は確かにこの世界の中に「いる」のだが、特定の「どこ」にいるわけでもない。この世界の中に明確な住所を持たず、「どこでもない場所」(nowhere land) にぼんやりと座り込んでいる。つまり彼は「どこ」にもいない (nowhere)。

彼の周りには多くの友達がいるかもしれない。しかしそのうちの誰ひとりとして、彼にとって本当に特別な存在ではない。自分をしっかりと持っていない人間が、自分が本当に一緒にいたい相手を見極めることなどできようか。友達は彼にとって寂しさを紛らわすための存在だから、別に誰でもいいのだ。つまり、その友達たちは彼にとって「だれでもない」(nobody)。

彼はひとりぼっちではない。むしろ、自分がないから「ひとり」ですらないかもしれない。周りの価値観に流され、他人の視線に囚われ、他人とうわべの関係を築き、でもきっと、心のどこかに癒やされない寂しさを抱えながら生きている。

Doesn't have a point of view
自分の意見なんてものはなく
Knows not where he‘s going to
自分がどこに向かっているのかも分からない
Isn't he a bit like you and me?
君も僕も、あいつと同じなんじゃないか?

彼に意見を求めればきっと一丁前に答えてくれるだろう。でもその意見は、他人の意見の使いまわしだったり、逆に天邪鬼のように他人の意見に反対したりしているだけで、彼が心から感じたり一生懸命考えたりして辿り着いたものではない。Point of view は普通「意見」などと訳されるが、要するに「どこから物事を見るか」ということだ。彼は「どこにもいない」のだから、「どこから」物事を見ることもない。

彼に将来のことをを聞けば、きっと非の打ち所のないライフプランを語ってくれることだろう。でも彼はただ社会から求められるものに合わせているだけで、自分がどうなりたいかなんて分かっていない。彼はやっぱり「どこにもいない」。

「僕も君も、あいつと同じなんじゃないか?」

この一言でジョンは聴く人をハッとさせる。彼を遠目で見ている私(たち)も、実は自分がどうしたいのかなんて分かっていないんじゃないか?ただぼんやりと一般的な価値観に追従して生きているだけなんじゃないのか?

ジョンもきっと同じことを自分自身に問いかけたのだろう。「どこにもいない人」は「彼」であり、ジョンであり、当時のイギリスの人々であり、この曲を聴いている私(たち)自身のことでもあるのかもしれない。

Nowhere man, please listen
どこにもいない人よ、聞いてくれ
You don't know what you’re missing
お前は自分に何が足りないか分かっていない
Nowhere man, the world is at your command
どこにもいない人よ、世界はお前次第なんだ

サビでジョンは彼に語りかける。お前は自分に何が欠けているのか分かっていない、お前が変わればお前の世界も変わるんだ。力強い言葉だが、具体的な内容に欠ける。何が足りていないのか?どう変わればいいのか?一番教えて欲しいことが書かれていない。

きっとジョンも分からなかったのだ。彼もまた「どこにもいない人」のひとりだったから。それでも彼は「何が自分に足りないんだろう」と自身に問いかけようとした。そして、そんな自分や、自分と同じように悩む人々を励ますためにこの曲を書いたのだ。

He's as blind as he can be
あいつはどこまでも盲目で
Just sees what he wants to see
見たいものだけを見てる
Nowhere man, can you see me at all?
どこにもいない人よ、お前には私のことが見えているのか?

「どこにもいない人」は盲目で、自分に都合の悪いものには目を向けようとしない。果たしてこの曲のメッセージは彼に届くのだろうか?それとも彼は、何か分かったような気になって、しかし心から受け止めないまま、ただやり過ごしてしまうんだろうか?これを書いている私は、(これを読んでいるあなたは、)このメッセージを心から受け止められているだろうか?

Nowhere man, don't worry
どこにもいない人よ、心配しなくていい
Take your time, don't hurry
急ぐことはないさ、ゆっくりやっていけばいい
Leave it all till somebody else lends you a hand
いつか誰かが手を貸してくれるから、それまで待っていればいい

そんな彼に、それでもジョンは暖かい言葉をかけ続ける。急がず焦らず、ゆっくり行こう。これはジョン自身へと向けられた言葉でもあるのだろう。

最後の一文が印象的だ。きっといつか、自分にとって大事な人が現れる。それが誰かは分からないが、その「誰か」 (somebody) は、少なくとも以前のような「だれでもない人」(nobody) ではない。その人は、彼が心から共にいたいと願う、彼にとって意味のある人だ。その人が現れたとき、彼はもはや「どこにもいない人」ではない。

「誰か」は今まで会ったことのない人かもしれないし、何かのタイミングで今まで「だれでもなかった」人と出会い直すことになるのかもしれない。いずれにせよ、こちらもただ「どこでもない場所」にぼんやり腰を下ろして待っているだけでは駄目なんじゃないか、という気もする。

「誰か」と出会うために、彼は、私(たち)は、変わらなくてはいけない。少しずつでいい、自分が本当に心動かされたことから出発して、自分について考えていこう。自分とは誰で、どんなふうに生きていきたいのか。自分は世界の「どこ」にいるのか。

はっきりした答えがでることはないだろう。時がたつにつれ「自分」はその形を変える。だから今は、ただ悩み続けるだけでもいいのだ。そのうち答えらしきものが見えてくるかもしれない。その答えを心の片隅に置いて生きているうちに、また別の答えが見つかるかもしれない。時には他者の力も借りながら、そんなことを一生繰り返していけばいい。社会の価値観に追従しないからといって、存在しない「究極の自分」を求める必要もない。

「どこにもいない」わけじゃなく、世界をあっちこっち点々として、そのたびごとに「どこかにはいる」。そんな 'somewhere man' くらいになれれば、上出来ではなかろうか。


蛇足だが、最後に一言だけ付け加えさせてほしい。「私(たち)」などというまどろっこしい書き方をしたのには理由がある。私は、誰もがこのように生きるべきだと思っているわけではない。「押しつけてくんな、余計なお世話だ」と思う人もいっぱいいるだろう。それでいい。けれども、もしかしたらどこかに、この文章を読んで何かを感じてれる人がいるかもしれない。私はその人に向かって書いている。だからすべての人をひっくるめた「私たち」ではなく、「私と、もしかしたらあなたも」という意味での「私(たち)」なのだ。


追記
村上春樹がこの曲を訳したことがあるらしい… 一体どうやって訳したんだろう、気になる………
https://www.tfm.co.jp/murakamiradio/index_20220529.html

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