1964年との清らかさの差を端々に感じてしまった日 (加筆済み)

ちょっと待ってよ、

いじめで小山田氏が降板したなら、
何故、
それよりずっと最近に
酒場でコップの水を頭から被せる暴行事件を起こした海老蔵氏は出演OKなの?

なんだこの判断。。

五輪開催の経緯には問題が多々あるけれど、

せめて選手は応援したいなと観た開会式だったけれども、

観ていて、なーんか日本政府関係者の自画自賛的な気持ちの駄々漏れが鼻につく開会式で、
内心気が削がれてしまったところに、
そんな場面が。。

選手達の意気や各演者の努力は素晴らしかったのだけれども、
妙にベトベトした後味の悪さの退かない開会式に感じられてしまった。。

以下は冗談になりますが、

この五輪の組織運営経緯は、「陰陽師」からさえ残念と思われる様なものですから。

各選手や演者の努力は全く別として。

2021.7.23筆

P.S. 小林麻央氏は、海老蔵氏の嫁でなくても、あの治療法を選択したのだろうか?、という疑問が、私にはなんとなく消えない。。

もし、小林麻央氏の悲劇の件で海老蔵氏の件がチャラになるのだとしたらば、そうした風潮の国は、幼稚な理性と判断力の国にしか見えない。とてもじゃないがそのような国は「風(水瓶座)の時代」には発展はしないだろうと思う

(水瓶座は論理性優勢が特徴。その結果として、良く進んだ場合は「人間の叡知による慈悲の世界」に達するという事であり、ズブズブなぁなぁな曖昧による「ま、いっか」的な「慈悲を騙る怠惰」と同じなのでは全く無い。又、論理優勢でも「論理を騙る言い訳」三昧では、到底、慈悲の世界へ達する事も無い。昨今「論理を騙る言い訳」三昧の水瓶座系が非常に多くて気にかかる。それを支持する若者も時々見かけるが、それらは山羊座時代の悪癖である物質名声主義にズブズブに漬かっていた者たちが、時代の変化に必死に誤魔化しをかけている姿そのもので、大変嘆かわしく思う。真に正しい論理かを検証するには、偏った情報のみでは誤答必須である。その為にはネット情報漁りに浸るのではなく、ネット上のリアルをリアルとするのでもなく、自然物と多く接し自己の正常な直感力を得ておく必要がある。相対しているように思えるかも知れないが、真理や広域を瞬間的に深く把握するには正常な直感力も多く必要になるからだ。人間は所詮生身であるし、又ゆえに、頭脳論理だけでは上記の様な誤答や、感情を交えた「損得勘定含み」も多くなる。ゆえにAI以下なのだ。AIの正確性の部分を人間が補うのが、人間の「正しい直感力」であるのだ。正しい論理で開拓すべき時代であるからこそ、人間には今「正しい直感力」も、より必要なのである。「人間国宝だから、ま、いっか」「上級国民だから、ま、いっか」「ネット民が、著名人が、皆言ってたから、ま、いっか」ではない論理的判断力が強く必要な時代が訪れた訳だ。)

。。 本来、それはそれ、これはこれ、の筈だ。


P.S.② 所詮五輪開会式の「ダシモノ」については、「上級国民」の売込みやマウント誇示や自己満足に見えなくもない点も多く。。観ている側は疎外感さえ屡々感じてしまいました。。 末端国民が疎外感を感じる祭典って、ナンだろうか?