見出し画像

たまには読書を。そしてやっぱりたまにでいいなと思った。

先日ウェブニュースで流れてきたどなたかの書評を読み面白そうだったので
『おいしいごはんが食べられますように』
をKindleで読んだ。
昨年の芥川賞受賞作だ。

芥川賞受賞作、と聞いてある程度覚悟しておくべきだったと後に後悔することとなった。

いや、大変面白い作品ではあった。
しかし、抱腹絶倒というわけでは全くない。むしろ笑いの部分はない。あるとすればニヤニヤとした、下世話な笑い。
人の心の仄暗い部分を容赦なくえぐって白日の下にさらしていくので、思わず歯を食いしばってしまうような、でも怖いもの見たさで次々とページをめくってしまうような、そんな作品だった。

ホラーでもサイコでもない。
どこにでもある価値観のすれ違いから起こる人の心のきしみがやがて大きくなり、
崩壊していくのを見せつけられる感じなのだ。

この価値観の差というのが絶妙だった。
食事に対する優先度とか情熱の濃淡だったり、
あるいは誰とどんな食事をするか、自分で作るか、
だれかから手作りのものをもらったらどうするか、
そんなところにそれぞれちょっとずつ違う価値観があって、なんだか面倒くさくなるというのは、けっこうあるあるだと思う。

あるなあ…わかるなあ…このずれ、けっこうしんどいんだよなあ。

例えば私の食事に対する価値観だけでも、ちょっと書くだけで

どうせ食べるならおいしいものがいいけど、安全でまずくなければそこまでこだわりはなくて、
人生における食事のおいしさ優先度はそこまで高くない。予約の必要な食事や、食事だけを目的にした遠出はほとんどしない。
お酒はほとんど飲まない。少し嗜む、食事に合うお酒を楽しむ程度に。酒を飲みたくなることは基本的にないから、何かにつけ呑みに行こうというのも理解しがたい。
料理するのはやぶさかではないが、食べることにまして、作ることに関してはこだわりがない。それなりにおいしくて、そのうえ簡単なら尚よい。凝ったことはしない。レシピをアレンジもしない。それほど料理上手になりたいとも思ってない。失敗しなければいい。
人に積極的に振る舞いたいとは思わない。
振る舞われたらうれしいかというと、それも時と場合による。ケーキとかのハイカロリーな大物は、けっこう困る。ああ、これ食べたら一食抜かなきゃな、とか、考えるし、もらったものってなんかその場で食べておいしいことを伝えなきゃいけない空気があるし、タイミングによっては勘弁してよ、ってときもある。

と、ずらっと出てくる。

そして、この『勘弁してよ』ってのがこの作品にも出てくるわけだが、
私にとっては最高に『勘弁してよ』なタイミングで、
読んでいてフィクションの世界なのにイライラしてしまって、まあ、きつかった。
でも、これもまた、あるある。ああ、こういうよかれと思ってやってるのはわかるけど、頑張る方向が全力で間違ってる人いるよね、と。

この小説は最後の終わり方が、なんだかまた、疲れる。
でもこれもまた真実なんだろうなあと、引き受けてしまわされる。
曖昧に、なんだかずれた絡まり方で物事が進んでいく感じが、妙にリアルで、虚無感に満ちている。

1時間もかからず読めるのだが、どっと疲れた。
神経磨り減らして考えすぎて息が詰まる。

そもそも芥川賞だ。
芥川龍之介と言えば、『唯ぼんやりとした不安』という言葉を残して自ら命を絶った人だ。
そんな人の名を冠した賞なのだから、そりゃー、神経磨り減る純文学に決まってる。
迂闊に手を出したら思い詰めて寝込むような内容だと、覚悟が必要だったのだ。

決めた。
次芥川賞を読むのは3年後くらいにしよう。
私のメンタルにはそれくらいのインターバルでいい。

いや本当に、小説自体はおすすめです。
でもたまにでいいです。
あんまりこの現実突きつけられ続けたらしんどいや。


https://bookclub.kodansha.co.jp/product?item=0000363638










この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?