見出し画像

チャットという秘密基地

自宅で時給5,000円

 2020年の3月、寒い日の日曜日。
 世間では、コロナ・ウイルスのニュースが騒がれ始めていた時期だった。昼間はコンサルタントの事務所に勤める傍ら、週2~3日・銀座でホステスをしていた。コロナの影響で夜のお店は1か月休業すると連絡をもらっていた。いつもなら、翌週の集客の事を考えて頭が痛い日曜日だが、気が抜けたようにソファで今後の事をぼんやり考えていた。

 ホステスは当分NG。昼職だけでも生活は出来るけれど、今後の事を考えると不安が残る。
 ipadを片手に、とあるアフィリエイトサイトでネットショッピングをしていた時だった。


「チャットレディ・自宅で時給5000円~」


 思わず、広告をクリックしてみる。動物の可愛いキャラクターと共に、パソコン前で楽しそうに微笑んでいる女性の写真が出てきた。『おしゃべりするだけで誰でも簡単!』そんな、ノリの良い内容だった。しかも、このアフィリエイトサイトを通して登録&稼働をこなせば、5,000円分がバックされる仕組みだった。「ふぅん・・・、面白そうだなぁ・・・」
 ごくごく軽~い気持ちだったと思う。それが、私とチャットレディの世界の始まりだった。

事務所・初潜入


 面接の場所は、繁華街のど真ん中を指していた。普段は警戒して、足を踏み入れないエリアだった。全く緊張していなかったし、好奇心100%しか無かった。午後12時。事務所のあるビルは古かったが暗い印象では無かった。同じフロアにはコールセンターの会社が入っており、日曜日ながらに活気があった。受付に入ると、沢山のパソコンと雑多な衣装やウィッグが目に入って来た。壁には写真付きのランキングが派手派手しく、貼り付けてられていた。


(あちゃ?おちゃ??まちゃ???何の略だ?)

 疑問符一杯のまま、目の前にいた女性に名前を告げると、奥の会議室に通された。部屋の中にはすでに、20歳代らしき女性が2人既に座っていた。渋谷や新宿で遊んでいそうなギャルだった。私を含め3人。初対面同士特有の、重ためな雰囲気が漂っていた。この子たちも、好奇心でここにやってきたのだろうか・・・。5分後、若めの、もさっとした男性が書類を持って入って来た。個人情報やサイト登録に当たっての様々を記入し終えるまで40分経過していた。
 この段階で、既に帰りたい自分がいた。怪しい物事に関しての”カン”は冴えている自信があった。”普通ではない出来事”に対面しようとしているのではないか・・・。
 男性は何度か入退室を繰り返した後、ようやく仕事内容の説明に入った。開口一番、目の前の3人の女性にこう言い放った。


「今日は皆さんに1万円持って帰って頂きます!」

 登録ボーナスというシステムがあり、初日~5日目までは毎回2,000円が加算される仕組みらしい。チャットレディの報酬システムは以下の通り。

■通勤チャットレディ→1分100円×30%の報酬
■自宅チャットレディ→1分100円×50%の報酬

 当時は頭が働かなかったが、10,000円を稼ぐとなるとボーナス分を差し引いて、8,000円分のポイント(24,000pt)を稼げと言うことだ。次に、禁止事項の説明に入った。アダルト要素を全く予想していなかったとは言わない。だが、性器のクダリに入った瞬間に、身体が憎悪感で拒否反応を示していた。水商売歴20年の経験があっても、そんな言葉を他人様の口から聞いた事は無かった。


(と…とんでもない所に来てしまった…。何とか言い訳して帰ろう)

 だが、既に2時間近く経過していた。一点、時間が無駄になる事の悔しさが私を思い留まらせた。ここまで来たら人生勉強だと思って、ネタにしてやる! そんな想いと共に、のっそりと戦場に向かった。

 事務所のあるビルから5分程離れた場所に、チャットルームはあった。
広いフロアの中には、細かく仕切られたブースが沢山あり、それぞれがメルヘンなインテリアで飾り付けられていた。一緒に面接したギャル達が、先にレクチャーを受けていた。2人とも、ゲンナリしたやる気の無い雰囲気を漂わせていた。
 唯一救いだったのは、女性スタッフの明るい対応だった。パソコンやカメラの設定方法など、慣れた手つきで教えてくれた。ただ実際に、男性とどんなやり取りをするのか迄は深く触れなかった。聞こうか迷ったが、時間が勿体無かった。

 (サクッと終わらせて帰ろうーっと!)

 チャットサイトにはいくつか種類がある。まず最初に登録したのは、”人妻カテゴリ”だった。アラフォー年代の女性の多くは、ここに振り分けられる。独身の自分は、釈然としなかったが、どうでも良かった。何が何だか分からないまま「お仕事スタート」のボタンをクリックする。矢継ぎ早に、ピコピコ音が鳴り始めた。

初めてのチャットの成果は

 “チャーン♪”
 鐘のけたたましいチャイム音と共に、チャットログ表示欄に男性の名前が表示された。イヤホンと、マイクを必死に握りしめていた。起こっている事に追いついて行くのに必死だった。目の前の画面に映る自分の姿。私じゃない私。あっという間に、時間が流れて行った。気がつくと、時計は18時を差していた。

 大急ぎでルームを片付け、事務所に戻った。衣装を返却し、お給料を精算してもらった。16,000円と印字された書類にサインをし、封筒を受け取った。

 寒い帰り道の中で、不思議な高揚感が身体に宿っていた。単純に楽しかったのだ。紳士的な会員ばかりがインしてくれたおかげだった。「このサイトもうやめようと思ってたんだけど、君と話せてほんと久々に気持ちが盛り上がったよ。また、来るね。」初対面の人にこんなに感謝される事があるのか。
 私の初めてのチャットは、不器用ながらも無事に成果が出た。何よりも、自分の中に新しい秘密基地を持つことが出来た。


 そろそろ2年が経過しようとしている。私の秘密基地は、大きく育ちながらも、ひっそりと息をしている。チャットという世界の歩き方も、随分と深まった。一ヶ月で大半のチャットレディが辞めていくという中で、ベテランの域には入るだろう。それでも、鐘のチャイムの音に高鳴るドキドキ感は、まだあの日のままだった。きっと、それはこの先も変わらないだろう。

秘密基地への入り口に入る儀式の様に、その音は存在する。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?