自分の中で育つ呪い

岡村隆史さんの発言に関して思ったことは他人事と思うなおれ、ということだ。トランプ政権支持者たちの心の中に小さなトランプが棲んでいるように男性の心の中には大小様々な岡村隆史さんの発言的な女性蔑視が宿っていて油断しているとそれが顔をのぞかせポロッと見逃しに出来ない言葉を発してしまう。

自分が発するだけでなく男同士あるいは男女を交えた会話の中で岡村さんの発言に通ずるような発言があった時にそれに気づかないとか気づいても特に咎めだてしないという行為も同類である。時代、という言葉を使うなら昔の刑事ドラマの中では男性中心の職場であった刑事部屋にお茶くみというだけでなく「刑事」として女性が入ってきた時に「男性とは違った女性ならではの細やかな気遣いが捜査に役立つ云々」という意味の発言が普通に使われていた時代もあった。過去形で書いたが男性優位を前提とした発言というのはリアル、創作に関わらず今でも世の中に溢れていて多くは聞き流されているだけだ。

岡村さんは大人だから公の場での発言の責任はご自身で取るだろう。自身の判断でなければ意味もない。岡村さんとほぼ同世代で(貧富の差はあれ)似たような境遇の自分には他人事とは思えない「男」の醜さが鏡に映ったようにも感じた。

ミソジニーもインセルもおれの中でおれと一緒に育ってきたのだ、と。

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