立ち位置
今回はこの一週間で考えさせられたことを
忘れないように書きます。
最近、学年合同授業で悩んでます。
私より若干若い先生が授業をするのですが、指示が不明瞭で児童が嫌がっているのです。高学年なのでいろんなことを見抜いています。
・何を言っているのかわからない。
・中身が面白くない。
・言われたことをしないと怒られる。
これが私の学級内で聞こえた話です。
こちらも若い先生に話をしないといけないので話しますが、まあプライドの高いこと。
態度と返事はよく見えますが、実践を見ると私の色を消したいのか、自分を押し通しているため、形はよさそうに見えるが、中身はボロボロ。
挙句の果てには、こちらが教えた内容を自分が考えたかのように子どもにも話し始めたので、カチンときました。
ただ、考えたわけです。
若い先生からしたら、子どもの前でいい姿を見せないと信頼されないと不安なのではないかな、と。
全体の前では、その先生の名誉に関わるので指導はしませんが、子どもはやはり見ています。
その方は『俺についてこいタイプ』
・私のやり方でやってください。
・私の考え方に合わせてください。
・私が正しいやり方です。
・何で私の考え方と違うのですか。
・わからないのは子どもたちのせい。
こんな人に、私は何と言ったらいいのか、もうわかりません。逆ギレされそうで恐ろしい。
わからないと聞かれたことは伝えていますし、
私なりのメソッドと目的も伝えていますが、本人の教室での立ち位置や高いプライドによって湾曲し、子どもに悪影響な方向で行き渡っているようです。
幸い私には自分の生き方にプライドなんてありません。これまで人生曲がり道ばかり歩んできました。私みたいな人生は稀有です。
そう考えた時に、最後は立ち位置なのかなと思います。
自分が教室のどこに立っているのか。
物理的にも心理的にもどこにいますか。
私は授業を1つの冒険ととらえていて、子どもたちがどのように、前に進むか考えています。
・あの曲がり道、難しいルートに行きそうだから、道標を1つ作っておくか。
→子どもにわかりやすい教師の言葉かけ
・あの道は草が生えているから、草刈りをしておくか。
→学習前に解決のためのヒント提示や思考の流れを説明
・動きやすい服装を用意するか。
→学習の土台づくり(学習規律、ICT活用、基礎の定着)
仕掛けと伏線。
こんなことばかり考えています。
ドラマやアニメの伏線回収って面白くないですか?
だから授業も仕掛けと伏線を、裏方で淡々と作るだけです。先頭には立ちません。
高いプライドもないので、授業中にわざと間違ったりして子どもたちにツッコまれたり、本当に間違っていた時は素直に謝ったり、子どもの『わからない』は、概ね教師の力不足だと受け止めてきました。
年配の方と同学年で合同授業するときは、それはそれは私も怒られていました。
ただ、その先生から学びたい一心でした。
子どもにも、「あの指示はわかりにくかったね、ごめんね。」と普通に言ってました。
プライド?
若いうちはそんなものありません。
プライドはない
と言ってましたが
1つ言うなら
『子どものことを考えて授業をしていること』
ここに、無意識的にプライドがあるのかもしれません。
若い先生のクラスの保護者の間で、下のような話が出回っていると昨日わかりました。
『pascal先生のクラスのお友だちのノートを見せてもらうように、家の子どもに言っている』
若い人たちの、変に高いプライドって
百害あって一利なし、だなと思いました。
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