永遠と自動手記人形みた!
ヴァイオレット・エヴァーガーデンの映画に誘われたはいいが、アニメはおろか何もかも未履修だったので、最近既存作品をひととおりみた。
アニメの第6話、第7話、第10話のよさもさることながら、『ヴァイオレット・エヴァーガーデン 外伝 -永遠と自動手記人形- 』が個人的には、美しくて大変好きなタイプの作品だったので、完全に壁打ちですが、小学生ぶりに感想文を書こうと思う。
映画の考察めいたものを書くのは人生初めて。
※後半はネタバレ含みますので未視聴の方はご自衛ください。
とにかく前半30分の話がしたい
※画像はヴァイオレット・エヴァーガーデン公式Twitterより
前半30分は、良家の令嬢が通う全寮制女学校に入学させられ絶望するイザベラ・ヨーク(イラスト右側)と、本職は手紙の代筆(自動手記人形)だがヨークの家庭教師として派遣されるヴァイオレット・エヴァーガーデン(イラスト左側)の出会いと交流が描かれるのですが。
深窓の令嬢と家庭教師であり、お姫様と騎士姫様であり、お互いの初めての友達であるふたりの関係性の描かれ方がとても耽美でうつくしい。
初めて見たとき、百合という概念にあまり馴染みが無いのに、前半30分で「上質な百合だ…」とため息をついてしまった。
個人的に、好きなシーンふたつ。
①薄暗い部屋で咳込むイザベラにヴァイオレットが薬差しで薬を飲ませるシーン
②デビュタントの舞踏会のシーン
セリフはほぼ無いけれど、映像で十分に語られていて、京アニの力にひれ伏した…本当に好き…
人類、ここのシーンだけでも観てくれ…
前者はここを境に、つんけんしてたイザベラがヴァイオレットに対して明らかに心を開き始めるターニングポイントなのと、エロさえ感じるほのかな色気のある空気感がすごいので、多くは語らないので観て……としか言えないのですけど、
後者の舞踏会シーンも含めたふたりの対比についてもう少し語らせてほしい。
ふたりの対比について
①閉じ込められたイザベラ、どこへでも行けるヴァイオレット
イザベラは全寮制の女学校に物理的に閉じ込められ、有力者の妻になるという運命に閉じ込められている。
ヴァイオレットはお客様がお望みならどこでも駆けつけるドールなので、世界中どこへでも行けるし、将来も自由で何にでもなれる。
対照的な運命をもつふたりを舞踏会で一緒に踊らせているの業が深い……
舞踏会のシーンの中で、イザベラがダンスホールの天井に描かれた、青空を飛ぶ白い鳩を見上げる場面があるのですが、イザベラにとっての白い鳩ってどこへでも行けるヴァイオレットなのでは…と思ってしまった。
ヴァイオレットの真っ白な衣装の裾が、ダンスで翻った形が羽ばたいている翼のようにも見える気がする。(強引ですが…)
踊りながら鳩の絵を見上げるイザベラの表情の移り変わりが、憧憬のまなざしもあり、自分の運命を受け入れたかのようでもあり、ヴァイオレットとの時間を惜しんでいるようでもあり、ピアノのメロディと相まってたまらなく美しくて良い…
②舞踏会の衣装について※衣装バレあり
※ストーリーに関わる重大なネタバレはありませんが作中に登場する衣装の話をしています
言うまでも無いんですけど、デビュタントの舞踏会のふたりの衣装のデザインが最高…
※参考画像として公式Twitter様の上映当時のツイートからお借りしました
ふたりの髪には白椿が飾られていて、イザベラは白い椿の花束を手に持っているのですが、白い椿の花言葉が「完全なる美しさ」なの完全に強い。
イザベラがAラインの白いドレス、ヴァイオレットが白い燕尾服のような丈の長い上着に白いパンツドレス?と白のハイヒールを合わせていて結婚式を思わせる衣装。
イザベラのドレスの裾はもちろん、ヴァイオレットの長い上着の裾は踊ると翻って広がるので、アニメーションでの画面映えが美しいのです…
そして個人的に刺さったこと。
イザベラが花嫁を模したような、女性らしい可憐な衣装で、ヴァイオレットが花婿を模したような、男性に近い、きりっとしたかっこいいかんじの衣装なわけですが。
舞踏会に至るまでの描写をみていると、イザベラは一人称が「僕」で、過去の髪型もショートカットだったり、淑女らしい所作が苦手そうだったり、映画のポスターをみても、ヴァイオレットと比較して中性的な印象を受けた。
一方、ヴァイオレットは容姿について「人形のよう」とささやかれ、髪の美しさをイザベラに褒められ、イザベラの世話をする様子や所作をみていても、女性らしさを感じさせる描写がイザベラと比較して多かった印象を受けた。
なので舞踏会に至るまでの印象でみれば、イザベラはかっこいいかんじのドレス、ヴァイオレットはお姫様のようなドレスが似合うようなイメージを抱いていたし、もしくはイザベラもヴァイオレットも2人ともひらひらのドレスを着てもとても可愛かったと思うのだけど、
あえてそれまでの印象を逆にひっくり返して、ヴァイオレットを花婿のような衣装、イザベラを花嫁のような衣装にすることで、新鮮な驚きがあったし、お互いのドレスアップ、いわば変身の効果が格段に増した。
なによりもイザベラとヴァイオレットが完全に「お姫様と騎士姫」になったのがめちゃめちゃ良かった……
ここまで8割りくらい、映画の中で数分しか尺がない舞踏会の話しかしていない。
その他雑多な感想と考察書き散らし※ネタバレ
・イザベラとヴァイオレットの共通項は
①孤児として親の顔を知らずに育った
②大切な会いたいひとに会えない状況にある(ヴァイオレットは少佐と死別(?)している、イザベラは過去を捨て妹と生き別れ)
③友達という概念の存在がいなかった
だなあと思うなどした。
・この映画の本筋、イザベラとヴァイオレットの関係性というよりは、エイミー(イザベラ)とテイラーの義姉妹の絆だと思うのだけど、生き別れた2人を手紙によって繋いだのはヴァイオレットであり、手紙を届ける行為を通して2人の間に立ったのがベネディクトであり。手紙を通じて生まれた4人の関係性が尊い…
・イザベラはテイラーのためにエイミーとしての人生と過去を捨ててしまったけど、テイラーに手紙を残したことでエイミーとしての人生と存在は残ったのだな。手紙、言葉を物質として残すことができるため、形のないものを保存できる力がある。手紙とは素敵なものですね
・自動手記人形(ヴァイオレット)の書いた手紙によって、生き別れて消えてしまいそうだったエイミーとテイラーの関係は永遠になったのだ…というタイトル解釈
・たぶん指摘され尽くしているけれど、ヴァイオレットがテイラーの髪を結びながらの「2つだとほどけてしまうけれど、3つで交差するとほどけないのです」のセリフ、三つ編みの話ではあるんだけど、エイミーとテイラーとヴァイオレットの3人の話でもあるし、エイミーとテイラーと手紙の3つの話でもある。
・イザベラがヴァイオレットの髪を結び、ヴァイオレットがテイラーの髪を結んでいるのでイザベラはテイラーの髪を間接的に結んでいる、という考察をTwitterでみてはっとなった。ヴァイオレットがテイラーの世話を焼くのも、イザベラとしたことやイザベラがしたかったことをかわりに間接的にやっているのだろうし、ヴァイオレットがイザベラに与えた優しさはヴァイオレットが少佐から受け取った優しさの真似だろうなと思う。愛はめぐってゆく…
・ミス・ランカスターのこと絶対嫌な女だと思っていたのに、家柄ではなく人柄でイザベラと仲良くしたいと考えているだけの良い子だったし、ほんとうに嫌なやつがひとりも出てこない映画だった。
・この手の物語、生き別れた姉と妹を出会わせたクライマックスを作って感動させるのが鉄板のような気がするけど、最後までイザベラとテイラーが対面しなかったのが良かった。再会しなかったからからこそ、手紙の価値が高まったし、草陰で泣いてしまうテイラーが切ないし、いつかテイラーが一人前の配達人になった日に2人は会えるのだろうという前向きな予感を残して終わる…
劇場版は、自分にとっての少佐にあたる存在の人を想いながら(元上司を未帰還扱いにするな)、ホッジンズ中佐にあたる存在の人と観る予定です。楽しみ!
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