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「泥臭いこと」を受け入れると物事が面白くなる

私はいつかセラピストとして独立したいという目標があるので、今は都内のマッサージ屋さんで働いています。

そこそこ高価格帯のお店なので、高めのクオリティが求められる中で、とにかく場数を踏めるのがすごくいい経験になるなと思っています。

マッサージ屋さんの仕事というと、マッサージばかりやってるのかというと、そんなことはありません。

忙しい日は立て続けにお客さんが入るんですが、暇な日は半分以上「雑用」をやってることもあります。タオルを畳むとか、施術着を洗濯するとか、食器を洗うとか、部屋のリセットとベットメイクとか、掃除とか、地道な仕事も多いです。

私は頭の中で考え事をするのが好きなので、タオルをひたすら畳むとか、脳のリソースを奪わないで淡々とできる仕事は好きです。掃除や片付けも気分がスッキリするし、目に見えた成果が出るので結構楽しいです。職場の方々からは、「なんで東大まで出てここで働いてるのか」と不審がられていますが(笑)

最近思うのは、こういう「一見誰にでもできそうな仕事」を気分よくやれるって意外と大事なんじゃないかなということです。誰にでもできそうなことって意外と誰にでもできないんですよね。

今日、『プラダを着た悪魔』を久々に観ました。めっちゃおもしろかったです。

華やかなファッションの世界で働く人たちも、めちゃくちゃ地道なことをコツコツやってるんだなとみていて思いました。

泥臭いことはやりたくないと思って華やかな世界に行ったとしても、多分そこでもやってることって結構泥臭いと思うんです。

「インスピレーションでビジョンを思い浮かべて実現していく」とか、「個性を発揮して自分にしかできない仕事をやる」みたいなことって大事だと思うんですが、それだけで何とかなることってあんまりないと思います。

一度決めた道を進むためには、地道で泥臭い努力の積み重ねをやっていくしかないんじゃないかとも思います。

「個性」って、最初からピカーンと発揮されるようなものではなくて、地道な行為の中に、少しずつ滲み出てくるみたいなことなんじゃないかと思います。

前までは、「自分らしさって何だろう」とか、「自分にしかできないことがやりたい」とか「単純作業に人生の時間を使いたくない」とか思う気持ちもなくもなかったですが、最近は考えが変わりました。

地道なことをコツコツやってる中で自分らしさが滲み出てきて、それが自ずと次の道に繋がってくるんじゃないかなという気持ちでいます。

そもそも生きていくこと自体が泥臭いというか、地道なことの積み重ねで、その現実から逃れようとすればするほど、理想と現実のギャップに対する不満は消えないんじゃないかと思います。

私自身は、生きることの泥臭さをポジティブに受け入れてられてからの方が、むしろサクサク面白いことが起こっていくようになったと感じています。
音楽イベントを開催したり、間借りのマッサージ屋さんを開いたり、自分で買った森を開拓したりとか。かと思ったらIT企業で就活したりとか。変なことばっかやってますね。

変なことをやっていても、一個一個を見ると結構地道なんです。泥臭いことから逃げないからこそ、一歩ずつ着実に進んでいけるという感覚です。

別にどんな仕事をしたって泥臭いし、どこを目指すかを決めたら今目の前にある仕事を淡々とやっていくのみだなという感じです。「何を目指して」「どこで泥臭くやっていくか」という選択は大事だと思いますが、何を選ぶにしても、選んだ先の泥臭さは前提として考えるんです。

泥臭さを受け入れるようになってからは、「クソつまらなそうな仕事」にも面白さを見出すのが上手くなってきた気がします。逃げるという選択肢がないので、自分で面白くするしかないんですよね。

他の人を見ていても思うのは、「泥臭さ」を受け入れている人の選択には説得力があります。この人は多少の面倒くさいことからは逃げないからこそ結果もついてくるだろうな、みたいな。

とはいえ、目の前の「泥臭さ」に追われて自分が大切にしたいものを見失ってしまうのも勿体無いので、結局のところ「バランス」なのかもしれません。

インスピレーションとコツコツのバランスが大事だなと思うこの頃です。

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