音楽飽きた、クソつまらねー

戸惑うほど売れ、勘違いするほどモテて、うんざりするほど求められたら、どうすると思う?
何年か前のライブの打ち上げでそんなことを、高田馬場の居酒屋で朝方真剣に話し合っていた日のことを思い出した。
その場の全員が酔ってたし、自分も当然酔ってたから各々の意見なんて覚えてないけど、なぜかふと思い出した。

「音楽飽きた、クソつまらねー」
いつか言ってみたい言葉のひとつ。
天才なんて居ないって言ってた人は嘘つきだった。
とんでもない才能を持った人はいる、限りはあるけど、確かに存在する。
でも心のどこかで全然負けてないなって思ったりする。
勘違いなのか、鈍感なのか、脳が麻痺してるのか、わからないけどそういう自信に根拠はいらないなとも思う。
10代の頃の衝動は取り戻せないことは知ってる。
代わりにどうしようもない喪失感に名前をつけられるようになった。
嬉しくはない、でも悲しくもない。
それでいいよなーって思う、生きてくことの宿命だなーって思う。

歌を書くこと。
生活の一部?ライフスタイル?違うと思った。
腹が減ったから飯を食う、眠くなったから寝る、これと同等じゃないと思った。
使命感?違う、そもそも始まりは誰も居なかった。
諦めが悪いのか、単純に好きなだけなのか、もうそんなことわからなくなった青春の続き。
気付くと脳内で鳴っている、なんかいい感じだから曲にする。
言葉がないと寂しい気がするからメロディに乗せてみる。
聴いて喜んでくれる人が居たから幸せだなと思えた。

あの日ステージで輝いてたあいつのこと。
もう歌は書いてないってさ。
幸福でも不幸でも、生きててくれたらそれでいいって思う。

アーティストって肩書き、どうにも呼び名がしっくりこないから、ただの人間でいい。
ただの人間に向けて歌っているのだから。
音楽家って名乗るのは、ちょっぴりの強がりだけど可愛らしいからよしとする。

今日も鳴っている。
ゆるやかに、誰も気付かないスピードで確実な最期に向かいながら、飽きもせず音楽は鳴っている。
泥酔しても忘れない言葉と共に心中する様な。
覚悟なんていらないから飛び込めって背中を押された言葉がある。
衝動を徐々に取り戻してる、やっぱり自分で書いた歌を自分で歌う時間が好きだ。

夏ですね。

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