STAR WARSと私

ついにSTAR WARSが完結すると聞いた時、最後の三部作が制作されると聞いた時、信じられなかったし嘘じゃないかと思ったりもしていた。
いや、でも私好きなの4〜6の旧三部作だし、ルーカス・フィルムはもうディズニーに身売りしてるし、そんなにSWヲタクって訳でもないし、と天邪鬼ぶりを発揮してお祭り騒ぎには乗っからないようにしていた。
しかし、やはりepisode7が公開されたその日その時間、仕事で行けなくてソワソワしたのも覚えてるし、早速翌日映画館に行ってしまい、泣きながら見たものだった。
そして見た人を探し出してはこの話がどこに向かうのか、興奮しながら話し合ったものだ。
新シリーズに関していろんな説を妄想したのも楽しかった。
だいぶ早い段階から、私は双子説を推していた。レイとレンは生き別れた双子なのだ、だからレイには家族がいない。AB型の近くにはAB型が多いって良くいうじゃないですか、あんな感じで双子は双子を呼ぶ、ルークとレイアの様に、という私の説。

そんな私のSTAR WARSの入り口は、大学生の時のepisode4特別篇公開のタイミングだった。映画館で見て、VHS(!!)で本編を買い、ハズブロ社のフィギュアとペプシのボトルキャップ集めに熱中した。
どの位熱中したかというと、新潟のトイザらスの新作フィギュアの入荷日が火曜日である事を突き止め、火曜の午後には仲間の誰かが入荷状況を確認しにいく、というレベルだった。
フランス版のレイアは生産数が少なくレア物で、古着屋をハシゴして見つけた。当時で¥6,000だった。
ペプシコーラは、もちろん箱買いした。コンプリートに足りない分は、ヤフオクで買った。そのために初めて、Yahoo!のアカウントを作って、ヤフオクを利用した。それらフィギュアとボトルキャップ、ペッツやケンタッキーのノベルティ、雑誌達はいまだに我が家のトイレの壁を埋め尽くすコレクションである。着信するとR2-D2の声で応答する電話機もあります。(使ってないけど)

私にはやはり旧三部作がバイブルであって、episode1〜3の公開の時点で既に、変な盛り上がりと喧騒には巻き込まれまい、という気持ちは生まれていたのだが、スカイウォーカーのルーツを知るべく、もちろん、見た。いまいちのめり込めなかったのは自分にとって魅力的なキャラやドロイド、クリーチャーが現れなかったからだろうと今になって感じている。造形としてもトルーパーやスピーダーは洗練されすぎ、登場する街や惑星もスタイリッシュにすら思えた。イウォークやジャワの様な可愛いコ達もいないし、ジャージャーに至っては魅力を見つけるどころか今でも好きじゃない。なんとかならんかったんか、あれは… 一番好きなクリーチャーやドロイド、キャラクター、果ては一番好きなトルーパーとか、の話になるとやはりほぼ4〜6の中からしか出てこない。

ちなみに一番好きなトルーパーは、ストームトルーパー。ボディスーツはないけど、マスクなら持ってます。シャープではないラインが良いので、サンドトルーパーも好きです。あのラインは、全てのトルーパーの起源だと思います。好きな乗り物はミレニアム・ファルコンとAT-ATです。先日の寺田倉庫でも、そのふたつの写真ばかり撮ってました。

でも、自分が生きてるうちに完結するなんて、episode9までリリースされるなんて、ねぇ。長生きもするもんですわ…
サッカーのW杯だって、自分が生きているうちに日本で開催されて、この目でイングランド戦を観戦するような事が起こるなんて思わなかったし、東京オリンピックで出会った体育大の学生だった両親から生まれた私が生きてるうちにまたもオリンピックが開催されるなんて思わなかったし、やっぱり長生きはするもんですね。オリンピックは家で見ますけどね。

しかしepisode8を見た時には愕然として、泣きながら映画館を後にした。
次は見るものか、とまで思ったし、事実あれから一度も見なかった。
DVDの類も購入していない。そんな私がepisode9にこんなに興奮してるのは、再びJ.J.エイブラハムがメガホンをとると聞いてあっさり前言撤回してそそくさと見にいったヲタクの意志の弱さの現れとでも言いましょうか。←言い訳

まあ、好きではあるがマニアでもない私が、私なりに大切に愛でてきた作品なのだ。導入でこのくらい語れるほどには好きな私が、なんでepisode8を受け入れられなかったのか。映画館で深夜に泣いたのか。
episode9にいたく感動した私は、それを確認すべく、二度と見るまいと思ったepisode8を、iTunesで入手して、ゆうべ見た。

やはり同じところで引っかかってならない。
あそこでヨーダ出てくる必要、あったのだろうか??フォースって、いつからそんなに自由自在だった?そんな簡単にテレポーテーション出来たっけ?次々に浮かび上がる数々の疑問…

ディズニーが権利を得てからというもの、コミックタッチのグッズが次々と販売されるのも何だかイヤだったし買わなかったし、その上映画という本編で、過去のキャラクター、設定を好きに使われた、冒涜された様な気持ちになってあの夜、泣いたのを思い出した。
episode7は、J.JのSTAR WARSという作品そのものに対する愛情とリスペクトの塊そのものであった。これまでシリーズを愛してきた人と同じ視点、新シリーズへの喜びがあふれていた。
episode8から感じたのは、STAR WARS好きなら、こういうのいいでしょ?ヨーダも出しといたよ??フォースってすごいよね、こんなこともできるよ? みたいな、これでいいでしょ?的なご都合主義で慢心にあふれた設定と展開。

episode9にも、もちろんそういった観点は見られる。episode8であれをやってしまっているから、J.Jとてある程度はフォースを彼らに操らせないといけないだろうし、だからレイとレンはワープしまくるし、空気感で死んだと思ったチューバッカ見つけるし、死んだはずのハンソロもルークもまあ、何度も出てきたっていいわな… 

あ、ハックス将軍のスパイは意外だったけど、ご都合主義と言われたらそれまでか。あんな状況でポーとフィンとチューバッカが逃げ出せる訳が、ない。
それから最後のキスにどんな意味があったのか、解せない。
要る??

だがそんな疑問を上回る程に感動的な邂逅を次々と繰り出して来たのがこの完結作だった訳だ。
まさかここで、という懐かしきランド・カルリシアンの登場、記憶をなくしそうなC-3POとみなの友情、レイアの亡骸に響くチューイの悲しい叫び、ルークの乗っていたX-ウィングの登場とあのヘルメットを被ったレイの姿。
ランドが見覚えのある大勢の顔とクリーチャー達を引き連れてやって来た時には涙でスクリーンが霞んだ。

しかし今、この時代にepisode9が最後に届けてくれたのは、このセリフだった。

「光を見つけて、レイ」

今、私が、このセリフに出会わなくてどうする、っちゅう話で。

柚香光がトップスターに就任した、2019年。思えば、続三部作が製作されるという報が届いたのは、私が柚香光を知った頃であった。それから2015年、2017年、2019年と三部作が公開されていくにつれて、柚香光は静かに歩みを進めて行き、私もまた、静かに足音も立てずにその歩みに連れ添っているつもりである。
完全にこじつけてるし、私自身がこじれている感もある話ですけどね、そんな訳で、私とSTAR WARSの関係性は、そろそろ完結しそうである。
おとなしく、旧三部作を愛でながら人生を送ろうと思っています。

私が追い続けたSTAR WARSを完結させてくれてありがとう、J.J。双子じゃなかったけど。

これ、私のキャラクターです。ワンパとチューイに囲まれて、やんちゃなレジスタンスのファイターです!


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?