DANCE OLYMPIAについて書き残しておきたいこと

ロスである。完全にロスである。

公演が終わって1週間…その間にNOW ON STAGE、稽古場映像、初日映像、WOWOWのプルミエール映像、スカイレポート、千秋楽映像、を繰り返し見てるだけの日々。なんなら宙組も2回観た、というのに、束で買った舞台写真に、足りない場面がある、とブツブツ文句をたれたりしている。そんな日々の鼻歌は、ウエルカムトゥ トゥエンニートゥエンニー ダンダンダーンなことが多い。

昨日は頭の中でずっとクンバンチェロが鳴っていた。優波くんが歌い出し、ほのちゃん、ひとこが歌い継ぎ、マイティが歌い上げるところまで、フルセット。

本日は「そーの名はーアキレウスーアキレーウスー」がずっと鳴っていて、その先の「ぎーりーしゃのー、しゅーごしーん」の辺りまで行って、後はプログラム見ないと歌詞がわかんないからずっと演奏を歌っていた。だっだーだ、だっだだだだ、みたいに。そしたら頭の中で戦士たちが踊り出したし、このまま最後まで歌えるんじゃない?と思ったレベルで演奏も歌えたので、それでは。オープニングから、脳内上映を始めたいと思います!!!いつになるかわからないBlu-ray化、スカステの放映を待っていられない!!!

その前に。長い前置きを始めます。1年の半分が雪に埋もれた北国の田舎に純粋な日本人として生まれ幼少期を過ごし、ある程度大人になってからも新潟という寒い土地で今の仕事につき生きてきた私が、なぜこんなにこの公演に心を動かされてしまうのかというお話。

和太鼓の音に関してははきっと、幼い頃から聞いてきたねぶたのお囃子だと推測される。それはねぶたであっても、ねぷたであっても同じく、地の底から響いてくる、湧き上がるような生命力を感じさせる力強い音。その音と共に、ラテンの匂いすら感じさせるあの軽快なリズムが、私の身体の奥底に眠る土から沸き立つビートみたいな、そんな感覚を焚きつけてくるのではいかと。ねぶたとねぷたの違いについてはこれまた長くなり本筋外れそうなので、興味ある人はググってみてください。ひとことで言うなら動と静、って感じ。

フラメンコの高揚感については、長くなりますが、これを機に、以下の様に考察した次第。
叔父が社交ダンスのお教室をやっていて、弟が3歳くらいから従姉妹とペアで習って、踊ってまして。ちびっこペアって、可愛がられて重宝されて、あちこちのパーティーとか引っ張り出されるんですよ。我が家はおばあちゃんも、お母さんもワルツやルンバの基本ステップは踊れる家族で、屋根裏の納屋や長持の中には、子供がすっぽり入れそうなくらいにおっっっっきな巾着袋に、社交ダンスの色とりどりのふわっふわのドレスが入った丸い物体がいくつも転がっていて、その物体に埋もれて遊ぶ様な家でした。(変な家…)
で、私はというと、昔から見るのが好きで。自分がやろう、踊ろうなんて微塵も思わなかった。前述の社交ダンスのドレスも、戯れて遊んでたものの、着たいとも思ってなかった。週に一度の弟のレッスンについていって、ダンススクールの隅っこで、毎週一冊だけ買ってもらえるマンガの単行本を、セリフ覚えるレベルで読み込むマンガヲタクだった。(その頃買ってもらって大事に読んだマンガが「はいからさんが通る」だったりする奇跡についてはいつか書きたい。ベルばらもセリフは全部頭に入ってるレベル(女優かよ!)のマンガ読みに育ちました。)

で、私の話は置いといて。叔父さんの元で長くレッスンを続けた弟は、学生時代は東日本の様々な大会を高校生ながらに荒らし、卒業後一度は就職したものの、社交ダンスを続ける事を決心し、プロの資格を取った。叔父さんの教室を継ぐつもりだったのだと思います。(この辺の真意は聞いたことないし、ペアを組んでた従姉妹中学生で愚れてダンスやめたので、まぁその辺は後日)
競技ダンスの世界で、プロとして少しの間、東日本ではまぁまぁの成績を残したようです。(離れて暮らしてたのでよう知らん。)よう知らん中でも、弟が小さい頃からラテンが得意で、ラテン部門で受賞していた事はなんとなくわかってたし、私も見てるだけなのにラテンの種目が好きだった。妖艶なルンバ、弾けるチャチャチャ、サンバ。ジャズのテイストを感じさせるジャイブ、床を打ち鳴らすパソドブレ。オーレ!!!どれも弟は得意としてて、トロフィーがたくさん並んでた。私自身は、モダンでもタンゴはもちろん、クイック、スローフォックスも大好きだけど、やっぱりラテンを見ると、血がたぎる。芸能人ダンスなんとか、もキンタロー。がラテンで世界に挑んでるのだけは、こんなにスカステしか見ない人生になってるのに、必ずチェックして密かに応援してた。キンタロー。のダンスはあんまり好きなタイプではないのだけど。弟が、チャチャとかジャイブ踊るときの音楽を洋楽の中から探してた姿とか、覚えてて、これも自分のルーツかな、とも思う。(ちなみに弟、不慮の事故でもう踊れないけど。かろうじて生きてます)

私のもう一人の贔屓、今はもういない彼は、こういった振り付けが得意だった。自分が踊るのはヒップホップだったくせにね。同じグループの盟友が雪組や宙組を振り付けている今、先生と呼ばれたりなんかしちゃってる今、もしも、もしも彼が今この世界にいたら、きっと花組に、柚香光に、振り付けしていたに違いない、と思ってこの文章を書きながら、泣き始めたので誰か止めてくれ、この涙を。

いや、ここだけの話、私は本気で彼がいつか花組の振付をすると、心のどこかで思っていたのだ。宝塚ではなく、花組の。
根拠は、ない。
強いて言うなら、柚香光に、彼の振付で踊って欲しかった。
彼の頭の中の訳わかんない世界観を、柚香光ならば表現できるのではないか、と。
だからそれは今回の舞台を観ていてもずっと、引きずる想いなのだ。

今回のDANCE OLYMPIA、フラメンコのあの長い場面を観ている間ずっと、彼が所属していたグループのリーダーが得意としていたダンスが、踊る姿が、脳をチラついて仕方なかった。
リーダーと呼ばれる彼はいつも、踊りだすと同時にその場の空気を支配してしまう。世の振付の諸先生方からしたら、そのリーダーの踊りは、振りに正確なダンスではなかったかもしれない。でも誰もが、目を離せない。あの鋭い視線と、指先と足の爪先まで使ったしなやかな身体の流線は、脳裏に焼き付けられてしまって観客の目を捉えて離さない。現に私も、いつも釘付けだった。息をするのも躊躇うくらいに。

彼らのグループはタンゴを得意としていて、よく取り入れていたし、なんなら大浦みずきさんとも、タンゴを主体とした舞台で共演している。主に舞台構成・振付を手がけていた彼自身がきっとタンゴが好きだったのだろうし、サパテアード踏みながら横を向いて手拍子する、みたいな振りが、まぶたに焼き付いて離れない。振りというか、あのシルエット。少し視線を下に落として、白いシャツでカマーベルトを着けて踊る7人が大好きだった。いや、過去形ではなく、あの7人は今でも好き。その気持ちには変わりはない。ただ今はまだ、いろいろ確認したいのだけど、とてもじゃないけど映像を見るのはまだ無理なので、誰か替わりに確認してほしい、あんな振りもこんな振りもあったよね、って。本気でよろしくお願いします、これ読んでわかるそこのあなた!そう、あなたよ!特に、アンドロメダとか、リベルタンゴの辺り、お願い!!

それから彼が別で構成・演出していた季節をテーマにしたシリーズの舞台では、和太鼓・尺八・三味線奏者と共演していたので、ここでも勝手に和太鼓に親しみを持っている。仕事で和太鼓を演奏する集団とご一緒することもある。なので、それがどんなに大変なことか、多少なりともわかった気でいる。いろんなダンスナンバーをみせるグループで、オリエンタルなナンバーもたくさんあった。カポエイラまではやらなかったけど、そんな彼らのステージを、8年くらいは見続けたのかしら。いろんなものを私の脳と身体は彼らのステージから吸収していたのだな、と改めて今回振り返ることができた、そんな体験をさせてくれた舞台でもあるDANCE OLYMPIA。

さて、やっと脳内上演が始まります!前置き、長っ!

オープニング、鎧に盾を構え、白いマントをまとった姿がすでに、彫刻そのものだった。居並ぶ戦士たちの先頭で剣を手に取り、果敢に敵に挑む姿、それだけで高貴な身分なのでは、と感じさせるたたずまいが、彼女の役作りなのだと思う。戦場ではパトロクロスと共に闘い、パトロクロスはアキレウスをかばって倒れる。名前を呼ぶというセリフしかないこの数分で、きっと2人にあったであろう友情や共に戦いに挑むまでの流れ、そういった景色をみせてくれるのが今の花組であり、水美舞斗と柚香光の関係性なのだと、冒頭からいきなり思い知らされた。

場面がNYに変わると、いきなり華やかにヒップホップを踊るほのちゃん、ひとこ、マイティのダンスグループ、シグナルズ。この時点で私の目はひとこに惹きつけられていた。シャープで鋭角なマイティのヒップホップも、良い。長い手足で大きく見せようとするほのちゃんの努力も見て取れる。でも、緑のジャケットで空気を含むように軽やかに踊るひとこの放つ存在感ったら、ない。
私がひとこのに存在気づいたのは、グレイテスト・ヒッツの中詰後の一人で任された銀橋のソロだった。袖と足元にたっっぷりフリルをあしらった、ラテン特有のギラギラしたあの衣装。細い身体にヴォリュームたっぷりの真っ赤な衣装を着て、おそるおそる銀橋に出て来た姿を応援する気持ちで見守ったが、渡り切る頃には「よくやった!」という気持ちで拍手していた。それ以来雪組を観劇するたびに、どうしても目に飛び込んでくるのがひとこだった。いつの間にか舞台写真も何枚か買っていた。そんなひとこは、ここでも、この舞台でも輝きを放っている!ようこそ花組へ!

しかしですな、ここにアキレウスが加わると更にその華やかさが増す、という恐ろしさ…言葉がわからないアキレウスの気持ちは、録音されたセリフでモノローグで流されるのだが、アキレウスの戸惑いの表情と共になんとも絶妙な間でこぼれる言葉に、次々と笑いが起こる。客席もとても「楽し、かった…」ですよね、みなさん。さっきまで盾に鎧だったのに、今この瞬間は白いサルエルパンツが全世界最強に似合うアキレウス。心なしか、彫刻感が薄まっている… シグナルズの3人にやってみろ、とけしかけられた振りを、少し天を仰いだだけで踊り出すその姿、天から何かを召喚したみたい、と思ってたらやはりあそこでは神が降りてきた、と後日おっしゃってましたね。ということで、4人になったシグナルズはさらに輝きを放ちはじめる。なんだろう、なんでヒップホップなのに、円を描くようにしなやかに腕が弧を描き、なのにしっかりリズムを取っていて、ヒップホップの手法ではない踊り方でヒップホップを習得した、というか。空気を切るマイティのシャープさと対になる、空気を纏った様なたおやかさ。同じ振り付けなのになんでこんなに違うんだろう。こんなグループが注目されるのも当たり前だ、さぁ、オーディションを受けに行こう、オリンピアシアターへ!ここでパトロクロスを思い出して涙するアキレウスがかわいかったな…数少ないセリフ「友の御霊を祀った…」

ここから場面はブロードウェイ、オリンピア・シアター。優波くん率いる4人の青いドレスの娘役さんがかわいくて…特にずっと見てたのが三空凛花ちゃん!!!ショートカットのウィッグが最強に似合い、丸い目をクリクリとさせて目まぐるしく変わる表情が史上最強にキュート。とか目を奪われてる間に、アキレウスはブリーゼに出会ってしまったが、驚かせて逃げられてしまった時の、ブリーゼの逃げ足の早さよ…よっぽど怖かったんだね…
シックな濃紺のスーツで再び颯爽と現れるシグナルズは、ビッグバンド風の演奏に合わせてラインダンスまでこなしてしまって、いつしかブリーゼが熱いまなざしを階段の上からアキレウスに送っているのに気づいたのは、かろうじてライブビューイングで、のみ。遠景で捉えてくれたライビュカメラ、ありがとうございます。いかに生の観劇ではアキレウスしか見ていないか、という証拠ですね… そしてその視線を捉えたアキレウスは、ブリーゼの手を取って劇場を飛び出す…そこからの2人のお芝居が私の心から今も離れない。
「痛い、そんなに強くつかまなくても、ついて来てるわよ。」
華ちゃん演じるブリーゼのこのセリフひとつで、役柄の設定が伝わる大好きなシーン。少し強気で、アキレウスより、きっと少し大人。それに対するアキレウスの「姫君」って言葉の選び方もとても好き。姫君をエスコートしようと差し出したアキレウスの手を触るふりして交し、ふわりとスカートを翻してダンスに誘う。どこまでもお姉さんで、からかわれてる、と思いながらもその関係性を楽しみはじめたアキレウスとの、ここから始まるデュエットダンス。2人の心と心が寄り添い、愛おしい時間を過ごしているのが、その空気からも表情からも手に取る様に伝わってきて、毎回デュエットダンスの最初から涙がこぼれてしかたなかった。2人が過ごす刹那の時間、その最後のリフトこそ、信頼関係がないと出来ないリフトで、ただ高ければ、ただ高速であればいいのではなく、あの夜の公園の少しひんやりした空気と、2人の心のやりとりから生まれた温度感を表現していた事を、まぶたにもしっかりと焼き付いてはいるのだけれど、ここに書き残しておきたい。この文章を書いている真意の半分はこのシーンにある。

そして支配人にスカウトされたパットだけが、オーディションに臨む。そうか、今気づいたけど、アキレウスとブリーゼは脱走したから、スカウトされなかったのね、あんなに踊れたのに。ここでパットを囲むダンサー達の中に、またもや目を惹く娘役さんが登場、二葉ゆゆちゃん。上半身の使い方が尋常じゃない。絶対、オーディション合格したはずよ、ゆゆちゃん。手練れのオーデション参加者達の踊りに心がくじけそうになるパットに、言葉を知らないはずのアキレウスが声をかける。「友よ、おのれを信ぜよ」というようなセリフだったか、と思う。その言葉に折れかけた心を取り戻したパットはオーディションを踊り抜き、ついに合格を手にした。

さて、ご都合主義な設定の一幕なので、その後のそれぞれの展開などは特に描かれない。ただ、朝日に向かってはしゃぐ3人のあの空気と、笑顔と、ブリーゼの遠心力だけが心の中に残った。そしてそれ以上に私の心を捉えて離さないのが、踊る喜びを手にした、一幕最後のアキレウスの表現、だ。遠くに「アキレーウス、アキレーウス」と戦士たちが自分を探す声が聞こえるが、自分の身体に残る、踊った時の体温、友と手を取り合った朝日の中の感触を確かめながら、古代ギリシャの陽の光を浴びて再び踊り出すアキレウス。その全身からほとばしる喜びは舞台をより一層、明るくしたようにすら感じた。役からは少し離れてしまうのかもしれないが、あの表現はきっと、柚香光が「踊ること」から得る喜びそのものなのではないかと感じ、再び涙が落ちた。

二幕。まさかのチョンパに、客席が一瞬どよめいたが、舞台に漂う凜とした空気を感じてすぐに静まり、はぁっっ!いう声と共に、太鼓が打ち鳴らされた。丸々一曲、舞台にいる全員で演奏をする、これが、どんなことか、お分かりか? そもそも、宝塚の舞台で、本人たちが全てを演奏する場面なんて見たことがない。昔はあったのかもしれないが、新参者の私は把握していないし、まあつまり、そんなシーンは見たことがない。そして、タカラジェンヌには、バレエ出身の方が多い。リズムやビートで育っている人は少ない。そんな彼女たちが、楽譜だけでは表現しきれない和太鼓に挑むのは、少々過酷ではないか…と思ったが、このあと二幕が進むにつれ、新たなシーンが展開されるにつれ、その過酷さについて同じ事を何度も思ったから、本当に大変だったと、思う。しかしながらタカラジェンヌの得意分野であろう「一糸乱れぬ」動きから繰り出される演奏と隊形が、この和太鼓のシーンを更に見応えのある場面にしていた。真ん中に立つ柚香光の前には、五連の太鼓と、後ろに大太鼓。一人だけ、皆とは違う節を奏でねばならない。その演奏に挑むまなざしの強さに、驚いた。今まで見たことのないまなざし、だった。お役ではない、柚香光として演奏に臨むその視線の強さ、鋭さが宿った表情は、初めて見た。5年ほど彼女のことを見続けて来たが、ここにきてまだ新しい表情を見せてくれる喜びに出会えた。気になって仕方ないのがその視線の先。それまではこれから叩く太鼓に視線を落とし演奏していたのに、一人だけが挑む五連の太鼓の一番左、ひとつだけ高い音が出る太鼓を鳴らしながら、ゆっくりと、右に視線をやるのだ。私が4回観劇した中で4回とも、演奏がこれからクライマックスになるというその時、視線は右に動いた。あの視線の先には何があったのか。これから一緒に歩む組子達に、信頼してるよ、さあ、と語りかけたみたいに、勝手ながらとらえています。

さて、テーマソング。振り付け講座の映像、ひとことほのちゃんの高さに負けないぞ、とばかりに、びょーんと伸びて全身でタオルを突き上げていた華ちゃんがかわいくて何度も見たものです。しかしですね、大体が私、こういう一緒に踊る、とか客席参加型があまり好きでない天邪鬼さんなので、踊るのかぁ、と思ってたんですよ、最初は。ところがですね、目の前であんなに全力で踊る組子たちと、ものすごい歩幅の横スライドでイキイキと動く柚香光を見てたら、ちゃんと準備していたタオル、私も投げましたよ〜!そしてその客席を見て満面の笑みの柚香光はワンコみたいでした。

からの、東京の屋根の下。こういう昭和テイスト、本当に似合うなぁ、好き。で、何がどうだったか、細かいことは記述しませんけど、これだけは書かせて。柚香光の喉がつぶれた、ってブログとかに書いてる人さ、ちょっと出てきてもらっていいですか?観てないですよね、舞台。その曲の、とある音が出なかっただけで、喉つぶしてなんてない、そもそもそんなに歌ってないし、一幕はほぼ台詞なし。つまり、朝から喉は使ってない、だから喉の筋肉がまだ起きてない。現にその前のテーマソング、普通に歌ってたし、ラストまで他の曲も声は普通だった。初の2回公演に臨むにあたって、ペース配分が整ってなかったと思われる、初日からの数日の出来事。いざ本番で2回公演ぶっ続けたら何が起こるか、こんな前人未到のハードな舞台では想定外のこともそりゃあるでしょう。私が見てるだけでも、ステージ上で演出とは違う部分で手が加えられたとこが二箇所あるので、この舞台を成立させるためにいろんな工夫と対策が日を追うごとになされた訳ですね。ということで、他人のツイートみて勝手なこと書いた人たちさ、3日目にして声が出なくなったとか、プロならばどうのこうのとかさ、全部歌えてなかったら事実だし書いていいけどさ、観てもないのにSNSで拾った話を元に偉そうにご意見してくださってる人たちさ、ちょっと出てきてもらっていいですか?
そこ座れ。
懇切丁寧に説明させていただきます。ちなみにプロなら云々、てお話に関しては、他の曲も含めて最初っから最後まで歌えてなかったら、どんなに自分の贔屓でも「金返せ」とか「劇団、対策せえよ」と思ったかもしれませんけど。私さ、舞台で歌い出していざその音が出ないとなった時に、最後の歌詞を咄嗟に、まるでセリフの様に語って曲をまとめ上げたその機転に感動を覚えたんですよ。決して歌が得意な人ではないのに、そのテクニック、どこで覚えた、誰に教わった!!!とすら思ったのです。次の日はキーを変えた、と聞きましたが、それはきっとプロのアドヴァイスがあったのではないか、というのは私の想像です。やだ、ネガティヴなことは書かない、って決めてたのに、ちょっと説教しちゃった…

サロメ。少しほんわりした舞台の空気は、美花さんの声でまた凜とした空間に変化を遂げた。あの舞台、階段が両サイドふたつに割れたセット、どうしてもマスカレードを思い出してしまって、私の頭の中では黒いドレスのポーシャが階段の上に立ってこちらを見下ろしている。いや、これサロメだから、と言い聞かせないと違う世界に持っていかれそうな私の心をこれまた引き戻してくれるのがひとこのサロメ。ひとこ、いつもありがとう。静かに、音も立てずヨカナーンのいる方へと伸ばされていくサロメのつま先。時間が止まったかの様に、ヨカナーンも動けずにいる。なんとしてもヨカナーンをその手中にしようという執着がジワジワと客席にも伝わってくる。必死で後ずさるヨカナーンもいつしか、サロメから目を離せずにいる。語り部である美花さんの「私はお前に口づけするよ」の声が、闇を引き裂くように響く弦の音とともに、今も耳から離れない。発してる人が違うのに、なぜあんなにもサロメの表情と声がリンクするのか… 3人で作り上げた名シーン。ヨカナーンの首を抱えたサロメの恍惚の表情もまた、忘れられない。

シャンゴ。あの、目。どこを見つめているのか、遠くなのか、近くなのか、それとも虚無か。焦点をあえて合わせていないような、あの目。またも、今まで知らなかった柚香光の表情に出会えた場面、シャンゴ。2人の妻が登場しても、軽ーく見やるだけでその目の空虚さは変わらない。かわいらしく寄り添ってくるオシュン、風を操り激しく求愛してくるイアンサン、2人の妻の争いなんてきっと、彼にとってはどうでも良いのだろう。2本の斧を持ち、ほぼ動きがない中、そしてリズムというリズムがない中で姿勢を保ち続ける柚香光の体幹も賞賛に値するし、後半急にリズムなきリズムが激しくなり、正面を見据えて踊り出す神の目。そして地面をしっかりと捉える、開かれた裸足の両の足の指が、脳裏に焼き付いている。映像では千秋楽までシャンゴのシーンがほぼ流れなかったのだけど、切り取りづらい場面だったのかもしれない。ところで私はイアンサンの舞台写真が欲しいのだが、なぜないのか。私が敬愛する肩から二の腕のラインと同じなのだよ、イアンサンの肩は。ああ、それから、エシュの6人。男役の6人が中性的な設定で場面を作っていたことと、はなこ・たおしゅんのカゲソロが秀逸だったことも書き残したい。よくこんな歌歌えるものだよ、もはや歌かどうかも難しいのに、どんだけお稽古したんだよ…と思うと泣けるレベル。こんな下級生達が揃っていることが誇らしい。(私が誇らしく思う必要はない、です…)

中詰、ラテーン!とバカ丸出しな感想を書きたいところですが。あの茶色い衣装の登場で記憶がスパークしたので、ちょっとなんでしょうね、残像しか残ってないのですけど…下級生たちが、頼もしくて素晴らしくて… 数人の真ん中をつとめあげるはなこちゃんとか、一人で空間を埋めるドヤ顔のらいととか、愛嬌を振りまく娘役たちとか。Explosionという場面だとプログラムを読み返したらわかったのだけど、まさに全員が爆発してた。小惑星のひとつくらい、あのパワーだったらぶっ飛ぶレベル。ひとりひとりが輝く場所を与えられて、そこで余すことなく各々の光を放っている。これが、柚香光が目指す花組なんだろう、と改めてこの場面で感じた。
前後するが、当の本人はといえば一人、クンバンチェロも歌わずに、腰を揺らして空気をただまとってそこにいただけなのだが…あれはちょっと言葉にできない時間だった。なぜあんな動きが出来るのか… 動と静でいえば静なのだが、でも空気はきちんと動いていて、うごめいていて、そこにいるだけといえばいるだけ、そして少し動くだけ、なのだけど、少し気だるそうに開いた唇とゆっくり動く視線と。うん、それだけだった。それだけで十分だった、こっちが倒れるのには。あと、あのラテンのお衣装の時、華ちゃんの後頭部に手を添えて見つめ合うシーンがあるのですが、そのまま口づけしてしまうのではないか、とその近さと2人の密度というか濃度に毎回気が狂いそうだったことをここに告白しておきます。

フラメンコ。文字にするだけで心がざわつくのはなぜだろう。静寂の中に、一人で立つ姿にもうこちらが気圧されていたからか。上着の先から出る手、腰に添えられたその手が、今まで感じたことがないほど、大きく見える。そんなに手が大きい人ではなかったはずなのに、濃いピンクのサテンのカマーベルトに添えられたその両手が、ひときわ大きく感じられる。鳴らす靴音と、シャープなターンが、空気を切る。フラメンコシューズのつま先が床をなぞる音は更にその先を客席に期待させ興奮を煽り、ファルーカの終盤には、ターンを切る度に飛び散る汗が、綺麗に弧を描いていた。静寂の後の日常は、男たちの打ち鳴らすバストンと、マントンを翻す女たちによってもたらされる。腹から声を出し、心底楽しそうな男たち。マントンを両腕に纏ったかと思えば、いつの間にかくるりと首元に巻き、見つめ合う街の人たち。微笑みを交わしながら鮮やかに描き出された日々の後に、クライマックスはやってくる。一人群舞を離れ、舞台を下手から上手まで横断するシェネに打ち鳴らされるパルマ、あちこちから届くハレオ。クライマックスの後にやってくるクライマックスに、身体も心も持って行かれてしまって、抜け殻となった私の目からはただ、液体が流れ落ちる、そんな場面だった。命と体力を削って踊っている舞台の気迫が、会場の全てを支配していた、そんな空間だった。そんな抜け殻になった私を、毎度この世に呼び戻してくれたのは、ひとこの歌声だった。全ての生命を讃え生き返らせるような、力強い歌。ひとこ、いつもありがとう。

花組の100周年を讃えるメドレー。組子たちが次々と歌い継ぐ名曲たち。私は新参者のファンなので、リアルに聞いてきた曲はほとんどないのだが、名曲だらけなのでさすがに聞いたことがある。それにしてもジャンクション24から「Dance With Me」を選曲するというセンスが最高だし、水美舞斗が歌う「心の翼」で踊る柚香光には泣けた。これが新しい花組なのだと、実感して泣いた。泣いてばかりいたけど、本当に何度泣いたかわからないし、初見の日は一幕も二幕も友人と二人、泣いて席を立てなかったし、なんなら終わって語り合って思い出してまた泣いた。

こんなに客席が泣いているのに、毎回挨拶をする時の柚香光は、もう、泣かない。私は、舞台のご挨拶で涙することは全く否定しないし、新人公演の主演のご挨拶とか、やりきった美しい涙で、いつももらい泣きする。
でも、真ん中で花組のトップとしてお話する姿を見ていて、全員の気持ちを背負っていて、自分の口で伝えたいことがあるから、泣いていられないんだ、この人は、100年の歴史の中で28人しかいないトップになるってそういう事なんだ、とまた泣いた。もういいよ、私が代わりに泣く。これからも、たくさん泣くわ。

さて、本日は集合日でした。もう、花組は次の公演に向かって走り出した。私もいつまでもロスっていないで、そんな彼女たちを精一杯応援しよう。集合日までに書き残せてよかった。

本当の上映会は、Blu-rayが発売されたら盛大にやろう、見て欲しい友人たちを巻き込んで。
みんな、誘うね!


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