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バランス

僕は11歳からバスケットボール選手をはじめて22歳までの11年間続けてきました。元々運動能力の低い僕が11年もの間続けることができたのは、本格的にはじめた13歳ごろの努力があったからだと思います。チームでの練習時間以外にもシュート練習やランニング・筋トレなど毎日当たり前のようにしていました。最初はバスケットリングが家の近くになかったので、道路標識の看板にボールを当ててシュート練習していました。
真剣さや情熱、努力といったものは素晴らしく、自分にとってかけがえのない経験をもたらせてくれます。僕の場合はたまたまバスケットボールを選びました。バスケットボールを通して努力する道を選んだわけです。

一生懸命に努力することは素晴らしいですが、気をつけないと時にハードワークはまわりを見えなくしてしまいます。家族、友人や恋人との時間、勉強や趣味思考など、社会に意識を向ける時間を失ってしまえば、自分を見失ってしまうからです。何かに特化して集中し努力することは褒められがちですが、決して何かに優れた人が違う分野ではそうと言い切れないことはよくあるでしょう。

僕は大学でバスケを続けることを決めた時に、5部昇格を目標にしていました。以前書いた通り、僕たちのチームは人数が揃い学連に登録し直したばかりで6部(当時は全6部制)最下位からのスタートでした。昇格するためにはリーグ戦で総合2位までに入る必要があり、シーズン全10試合ほどの中で負けが許されるのは1度きりと険しい道のりでした。しかし4年間のチャンスがあれば可能だと思っていました。

問題が起きたのは2年目でした。当時、昇格するために大学生活の多くの時間を費やしていました。練習は週2.3ほどしかできなかったのですが、部の運営や練習メニューの作成、対戦相手のスカウティングとコーチや監督とのミーティングさらに後輩が入ったことに対してのケアとほとんどの業務を一人で抱えていました。今思えば到底不可能なことですが、当時の僕は目標達成が全てだったので気持ちでこなしていたと思います。

結果が出れば、それでよかったのですが残念なことにあと一歩及ばずその年は5部まで届くことはありませんでした。試合に負けて泣いたのは中学校の引退試合ぶりでした。シーズンが終わって僕は相当落ち込んでいました。色々なシーンが頭の中で甦り、あの時こうしていれば、と自問自答を繰り返していました。悔しかったのは100%を出しきれず、やり方を少し変えていれば目標に届いていたからです。そうと決まれば、やり方を変えればいいだけです。

ですが全てをバスケットボールに向けていたツケが帰ってきました。学校の授業への遅れだったり、バスケットボール以外への興味が向いていなくてオフの過ごし方がわからなかったり、何か大きなきっかけがあったわけでもなく徐々に引きこもってしまうようになりました。

3年目に入ったタイミングで流石にまずいと思って学校を休学しました。引きこもっていた間に部の運営や練習を進めたりするのは後輩が変わりにしてくれていました。連絡をひとつでも入れるべきでしたが、そのことは今でも反省しています。とにかく全てを一旦リセットして心を落ち着かせる時間が僕には必要でした。

入学して以来行ってなかった川沿いを散歩したり、進路について考えたり、趣味について時間を割いているうちに少しずつ落ち着いて考えられるように戻ってきました。不思議なことそうやって自分と向き合う時間を作ると、普段は見えてなかったものが見えるようになります。道端に咲いた花や、天気の匂いや人の表情だってそうです。

一度何も言わず出て行った僕をまたチームは迎え入れてくれました。僕は多くの業務をこなすのに必死で、チームメイトと会話する時間が足りなかったことを反省していました。なので移動時間や食事、できる限りの時間をチームメイトと共有するようにしました。特に4年間一緒に続け、本音で喧嘩してくれた友人とは多くの時間を一緒に過ごしました。

結果的に3年目に目標であった5部昇格を果たすことができました。これはチームメイトのおかげや他にもさまざまな要因がありましたが、1番はまわりとコミュニケーションを前年より取れていたことが大きかったと思います。なによりも、失敗を受け入れてもう一度チャンスをくれたチームに感謝しています。ありがとう。

この4年を通して、自分のリズムで呼吸すること。自分のバランスをとって、広い視野を持って物事を見ることがいかに重要か学べました。これは他の局面でも同じことです。バランスを取ることでいかなる分野においても、きっと本領を発揮することができるでしょう。

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