健康と創作をする話のこと

7割くらいまやかしの話です。霧が晴れたら無くなるよ。

ここ数年で2度ほど転職をしました。
転職の話というか「健康に創作活動できることって素晴らしいよね」という内容に落とし込みたいんですがさてどうなることやら。

近々の職業2つを、挙げておきます。

Aという職業に就いていました。
不満もあまりなく人間関係も良好、多少癖の強いなんやかんやはあり心と胃の壁をすり減らしつつも穏やかに職務を遂行していました。

この時点で今までやっていた創作は小説、絵、短歌です。(この途中で小説は書かなくなったのですが)
この頃は本をたくさん読み、寧ろ余程のことがない限りや好きな店に行くくらいしか出掛けないまま本を読む引きこもりだったので「ものを作るための引き出し」は多かったのです。
また絵も本当に内輪に見せるだけというようなごくごく閉じたネットワークにいました。(短歌ツイッターは無かった)
ちなみに短歌で顔を出し始めたのは、この職業を辞する直前くらい。
短歌の投稿は以前からしていましたが今は亡き祖母から新聞歌壇に載るのは難しいよと言われていたので載ったらラッキーみたいなお気軽な気持ちで投稿していました。(筆名も全く違っていました)
短歌イベントに参加して以来、Aという職業は土日休みでは無かったので今後イベントなどに参加するならちとキツいかなぁという理由が出てきたり、ずっと同じところで人も流動しないし、成長はしないのかしらと思うようになり、Bという会社に転職をしました。
さてこれで日曜日は確実休みだからイベントも参加できるぞーと思っていたのが甘かった。

Bは少数人数。擬似家族!アットホームな職場!24時間365日経営者と一緒でなければ人にあらず!
日曜日休み?言ったっけそんなの?平日休み?そんなの俺のために出勤するの当たり前だよね?
なんの説明もないまま「見て覚えろ」で机で地蔵12時間勤務!
昨日は右だった?誰もそんなこと言ってない!左だ!
終業後2時間玄関棒立ち当たり前!あれ?給料みb(以下略)
……的なところでしたので、自分の甘さや社会性の無さとかそんなことを反省しつつも、まぁすり減りますよね体脂肪とか。(業種的には当たり前のことだったのですが)
しかしこの頃は、割と律儀に毎週金曜日に歌壇に投稿していました。そしたら掲載されることがちらほら出てきました。

祖母はこの頃すでに他界していたので載ったよおばあちゃん……!と見せたくても見せられず。しかしちょっと嬉しい気持ちもあり。
仕事以外で動くことや本を読むことなどの気力がバンバン削れていたので投稿に集中できていたのかもしれません。
そして、まだ「ものを作る基礎」と「現実」がちょうど良い釣り合いが取れていたので短歌もそこそこに出来ていたのでしょう。

声または悪意のようなやるせなさ剃刀の刃を眉毛に当てる

という短歌が遺言めいていてこの短歌以降確か歌壇投稿辞めてしまったような気がします。

さて、まぁ、こんなことが続くはずもなく。
事細かな色々はありますが、そんな事は些細なことで女の闘い、女のシャドウボクシングって怖いなーこわいなーと思いながら退職しました。

そして現在、「読んだことによって培われた基礎」が痩せ細ってきたことと、現実の方に目をやることの時間が多くなったこと、短時間睡眠などによる集中力の低下、そもそも本を読む時間が減った、などの複合的な理由により本がほとんど読めなくなってしまいました。

本を読む時間があったら眠って体力と気力を戻さなければならない(お医者さまから言われた言葉)

現在はどうしたものかなーと思いつつ、色んなお兄様お姉様に首根っこ掴まれながら現世に留まり、とりあえずA'という職につき、気力体力を回復させようとしているところです。

空想や非現実というのは現実から生み出されているもので、それは決して健やかではない心から生まれるものではない、と私は思っています。
「病む」とか「心の闇」のようなスラング的に表現される負の部分はどんな人にもあるもので、それは物を作るにあたり少しの塩胡椒のようなもので決してこちらも悪いものではない、と思っています。
そういった「現実を見て体験したことへの引き出し」と「非現実・空想・遠いところから与えられる体験」というものの釣り合いが取れていることがもの作りにおける健康的な状態なんだなーとしみじみと思う次第です。思います3連。

いや、ほんと。皆様身体も心も健康が一番ですよ……本当……。