寄る辺の道に

 新居浜いずなとそのマスターと別れて三日目。みろくのサポートがあるとはいえ、文字通り『人間』が一人になるとやはり何かと不便ではある。勿論、みろくと二人で旅する時間の方が圧倒的に長いし、『でんこ』なんていう超常的存在からもたらされる多大な恩恵を受けている身でこんな事を言うのは贅沢であるのだが、そこはソレ。
 そもそも、俺たちマスターが旅をさせられているのは、このみろく達の親玉ーー未だ責任者の顔すら見せないどうにも胡散臭いーー協会とかいう奴腹のせいなのだから、文句の一つを垂れても許されるだろう。
 そんな俺の高度に計算された芸術的な思考をよそに、隣に浮かんでいるみろくは妙に機嫌をよろしくしていた。俺の思い違いでなければ、ご機嫌鼻歌交じりになり始めたのは、北の方へ向かうという新居浜たちと離れてからなのだが、それについて何某かの複雑怪奇な因果関係があるのか……俺にはわからない。みろくにしたって、でんこが増えればその分、常時展開しているエリアレーダーの負担が半分になるんだし、そもそも同じでんこに会えるなんて滅多にない。
 道中一緒にいた時は新居浜とみろくは仲良くしていた……と思う。「なぁ、新居浜の事、好きか?」と聞くと、不思議そうに「うん?もちろんだよ!」笑顔で答える。
 本心から言っているように見えた。女心はよくわからん。が、まあどうでもいい。次の最寄り駅まで楽観視でもあと二日。早足でみろくに並んだ。

 本音を言えばしばらくは新居浜たちと行動を共にしたかった。
 既に相互の情報が隔絶して久しいこの世界、背中を預けられる同輩というのは、ある意味でどんな金銀財宝にも代え難い。なにより、新居浜いずなというでんこ。正直に言ってド好みのタイプなのだ。ハナタレ学徒だった時分、級友どもと好きな女性について語った際に、なんとはなくボンヤリとイメージしたのが、正に新居浜いずなそのものだった。当時は未来から来た電子妖精の存在なんて知るわけもなく、新居浜いずなと出会った時は、腰を抜かしそうになった。みろくが現れた時よりも驚いたかもしれない。まさか協会のやつらが俺の頭の中を覗いてそこから造り出したのではないか……とすら、半ば本気で考えてしまった。そんな意味でも特別な新居浜いずなとアッサリ別れるなんて選択肢を採用するくらいには、俺は北の方に対してトラウマを抱えていた。

 ちょうど今から二年前ほど前。
 比較的温暖な田舎出身の俺は、雪が見たいという理由で北回りに舵を取ったのだが、それは大きな間違いだった。
 時代の遺物と言っても過言ではないような列車から降りて、懸命に引き留める駅の駐在員を振り切って山へ入った翌日。目が覚めると雪に埋もれていた。比喩ではなく。昨夜、数百年は生きているであろう巨大な針葉樹(エゾマツの亜種だろう)に寄りかかって仮眠をとっていたはずなのだが、一晩で数メートルほどの高さまで雪が積もったらしい。あのままみろくに掘り起こしてもらわなければ、俺は雪解けの時期まで埋もれたまま退屈な時間を過ごしていたのは間違いない。えっちらおっちら地上に戻ると、世界は白の嵐に包まれていた。あまりの猛吹雪に、片手を伸ばすと自分の手のひらすらが見えない。口をマフラーで覆わなければ満足に呼吸ができなかった。みろくと回路がつながっているお陰でとりあえず生きてい入るが、それでも身体は芯から凍るように寒い。おおよそ全ての生命を否定する世界の中、俺は脳へ直接電波を送って道案内してくれるみろくの声を頼りに、重たい足取りでひたすら前へ進んだ。あの時は本当に参った。七度死にかけた。いや、実際に何度かは死んでいただろう。その都度、みろくに何とかしてもらった。何をしてもらったかは深く聞けないが、少なくとも両手両足の指が凍傷で落ちた数は、あきらかにヒト属が備えている数よりも多いことは気にしない。
 ほうほうの体で辿り着いた目的地の駅では、俺の姿を発見した駐在員とまた一悶着あった。
「おい、お前はどこからきた。まさかあの山からじゃないだろうな。そんなはずはない。この時期の山にはワシたちですら近寄れない。ましてやそんな恰好、数時間で凍え死んじまう。……なんだそれは。ふざけるな。この日付の駅スタンプはありえない。山越えでもしない限り……。おい、手袋を外して靴を脱げ。いますぐだ。ああ? 早くしろ。……指を動かしてみろ。なんだこれは。生身じゃないか。どうなってる、くそったれ。義体でも対冷オイルが凍って動けなくなる山だぞ。どうなってる。……いや、ああ、そうか。そうだったか。まさかお前ぇさんがそうか。……思い出した。ガキの頃、爺さんが言ってたな。駅を巡って旅するやつらがいるって。ワシには見えねぇが、小せぇのも『そこ』にもいるのか? ……なるほどな。ああ、わかった。しばらくは駅舎の空いた部屋に泊まってけ。この吹雪だ。次の列車が来るまであと数日はかかる」

 結局、数日どころではなく一か月ほど待たされてしまい、好物だった塩じゃがバターのスープを受け付けなくなるという多大な犠牲を払い、俺たちの素敵な雪山見学ツアーは幕を閉じた。

 かように素敵な体験をしたせいで、俺は麗しの新居浜いずなよりと泣く泣く袂を分かったのである。
そしてなによりも、
「ねえ、さっきからいずなさんのこと考えてない?」
 こういうことにだけは勘の鋭い愛おしの相棒が、いつの間にか眼前に迫っていた。
「いえまったくそのようなことは」
「嘘。絶対に嘘。マスター、顔がだらしないもん」
 誠意をもって答えたマスターに対して酷過ぎる言い草ではないだろうか、と断固として抗議したいところをぐっと抑える。
「みろくのことを考えてたんだよ。今日も可愛いなって」
「っな!? ……も、もう。なにそれ。ふ、ふぅん? ま、まあ、それならいいよ。許してあげる」
 思想の自由は何物にも束縛されてはならない。俺が頭の中でどう思おうと許されるも何も無いのだが、また拗ねられても面倒くさいので、誠にありがとうございます――とお礼を伝え、なんとか穏便にすませることに成功した。平和が一番。
「で、本当はいずなさんの何を考えてたの?」

 予定通り二日目の朝に目的の駅へたどり着いた。でんこの本能だろう。隣のみろくは上機嫌になり、鼻歌なんぞ唄っている。もちろん、この二日間、ひたすら恋浜女史に尽くしたという――こちらは予定にはなかった――涙ながらの努力も忘れてはならない。
 先ずはいつも通り、駅舎へ向かう。
 暇そうにしている窓口のお姉さんへ駅長に挨拶したい、というと怪訝な顔をされたが、協会の手帳を見せるとすぐに態度が豹変した。ここら辺の流れはいつも同じだ。どこでも変わらない。
 ほどなく現れた恰幅の良い駅長から滞在と調査の許可をもらい、宿泊の手配もしてもらう。
「あいにくと用意できるのは駅員が使っている宿直室になりますが……一応、個室ですので」
 と、申し訳なさそうに言ってきたが、こちとら軒先三寸借りられれば十分にありがたい。
 丁重にお礼を言って、駅舎に併設してある宿直室まで案内してもらった。 

 宿直室へ荷物を放り投げて、俺たちはすぐに街へ繰り出した。駅長の話では、次の列車が来るのは一週間後。ホテル代はかからないとはいえ、それまでのおまんま代は自分たちで稼がなければならない。みろくが駅にアクセスして得た情報を整理する。
 当駅は近隣に軒を連ねている工場の生産品を輸送するために作られたらしい。常在人口はおおよそ五百人前後。そのほとんどが工場の労働者とその家族で、既に三世代ほど続いていた。小さいながら一応は学校もある。娯楽施設は数件の飲み屋と、手書きでスコアを記入するアナログなボーリング場。 
 ほくそ笑む。これならいつもの手が使えそうだ。
 それから俺とみろくは飲み屋を何件か周り、話を付ける。どこの店も快く承諾してくれた。ここまでくれば仕事の八割は終わったも同然だ。あとは稼ぎ時である夜の時間まで、ブラブラと街を彷徨って時間を潰した。 

 惑星をあまねく照らす恒星が地平線へ沈みゆき、高く昇る煙突が影を落とし始めた頃。街に向かって沢山のトラックやバンが土煙を上げながらやってきた。工場に勤務していた労働者たちのお戻りだ。適当な空き地に滑り込んだバンから、ツナギに作業帽姿の男たちがゾロゾロと溢れ出してきては、それぞれの店へと雪崩れ込んで行く。
 頃合いだ。俺たちは昼間の打ち合わせ通り、本日の商売処へ向かった。
 店に入ると、すぐに店長が現れた。
「準備はできている。始めてくれ」
 その言葉の通り、店の一角、壁沿いのテーブルとイスが取り払われ、既に客で一杯のフロアに、ぽっかりとスペースが作られていた。壁には皺ひとつない白いシーツが張られている。スペース中央には小さな机が1台。打ち合わせ通りにしてくれているようだ。
 みろくと共にスペースの机に向かう。周囲の客の視線が刺さる。俺は懐から、以前の街にてワンコインで買った玩具のカメラとそれっぽいブリキの空き箱を取り出して、なるべく大げさに、慎重な手つきで机に設置した。俺は店長に手を挙げて合図を送る。壁に貼られたシーツ周辺の照明が消え、そこだけ薄暗くなった。
 なるべくウヤウヤシイ手つきで、玩具のカメラのシャッターボタンを押した。
 ――おおお!!
 客から歓声が上がる。
 シーツに浮かび上がるカラーで動く人物。ブリキの箱から響いてくる異国の声。俺は邪魔にならないよう、早足でカウンターの方へ戻った。

 物語が後編へ差し掛かるころには、噂を聞きつけた客が大量に押し寄せ、既に入店規制が敷かれている。やはりどの場所でも映画は鉄板だ。少し古めのアクション映画でも流しておけば、たとえ共通言語の習得率が低い客層の場でも楽しんで満足してもらえる。映画自体はみろくがデータを拾ってきて流しているだけなので元手はかからないし、何よりも楽だ。これに尽きる。最初に映写機のふりをしたカメラのボタンを押して、壁に映画データを張り付けるだけで俺たちの仕事は終わり。あとは上映終了まで、みろくと話しながらチビチビと飲んでいれば良い。
 いま飲んでいるのはベリーやオレンジがこれでもかと詰め込まれたフルーツティー。本当は一杯やりたいのだが、みろくも一緒に味わうので二人の時は吞まないようにしている。実際、彼女がアルコールを摂取したところで即座に分解されて影響はないのだが、気分の問題なのだ。気分の。
 フルーツティー自体は元々の果実の甘さに加えてシロップがこれでもかと入れられていたため、最初の一口を嚥下するのが中々にしんどかった。すぐにライムをもらって一個丸々絞ることにより、なんとか脳が美味いと思えるまでにはなった。正直、果物だけ味わいたかっただが、みろくが食べたいといったので、献上した。実際、このアルバイトはみろくがいないと成り立たないので、是非もない。
 みろくは俺の肩に座り、自分の両手よりも大きいベリーへ嬉しそうに噛り付いている。その顔を見たら、まあ、良いかと思った。

 帰り道、店にいたであろう赤ら顔の三人組に囲まれて、さっきのカメラを無償で提供してほしい、となんとも素敵な提案を受けた。俺は笑顔で「かまいませんよ、ただこの街を出発するまでは飲み屋で上映する約束をしているので、それまで待ってください。でしたら帰りによろこんで差し上げます」と頭を下げると、彼らは「わかりました。もし約束が履行されないと大変なことになりますのでご注意願います」と要約したがそう受け入れてくれた。なんとも慈愛に溢れた人たちなのだろうか。こんな、みろくの謎技術がなければただの玩具であるカメラを無料で引き取ってくれるなんて。   
 その代償として、隣のみろくさんが本気でキレていたので、それを必死に目線だけで抑える仕事がここ最近で一番の重労働だった。

 ようやくやってきた列車は『断絶前』の車両をなんとか動かしているという、一番遭遇するタイプのものだった。幸いにも空調機能は稼働していたので、久しぶりに味わう涼しげで清潔な空気に感動する。
 独特のモーター音が響く席に着くと、すぐにホーム側から窓をノックされた。窓を開けると、片手に大きなバケツを抱えた少年が「アイスはどうですか?」と言うので、試しに買ってみることにした。なるほど、バケツの中にはバニラアイスがギッチリとつまっていた。少年は大きなスプーンでアイスをすくい、コッペパンにタップリと塗りたくる。俺は共通コインと引き換えにそれを受け取り、すぐにみろくがアイスに噛り付いた。手が、いや、口が早い。俺も続けてかぶりつく。素朴な甘さ。美味い。

 ほどなく列車は重たい車両をきしませて進みだした。
 アイスを食べ終わるころには、新居浜たちと歩いた距離よりも、列車は遥かに進んでいた。
 みろくは窓の外を眺めている。
 俺もつられて車窓の外へ目を向ける。
 遠くに海が見えた。
 列車は進む。
 次の目的地まで。

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