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私とフランス

中学生の頃、少し引きこもっていた時期がある。
といっても学校には毎日通っていた。
なんというか、心理的な引きこもり状態だったと思う。

入学時に新入生代表の言葉を読み上げるという役目を担った私は、入学してすぐに上級生に目をつけられた。まだヤンキーが学校に存在していた時代だ。

私服だったので、着ているものについて呼び出しされて生意気だと言われたり(ちなみに着ていたのは赤いタータンチェックのスカートと白いセーター)、休み時間にバレーボールをしていたら上から野次が飛んだり…。
自分がなぜそういう目にあっているのか、理由がわからなかった。

そんな中、私と仲良くしてくれていた友人が教えてくれた新しい世界があった。
それは雑誌の「Olive」。
その世界に衝撃を受けた。
そしてその中に出てくるパリジェンヌたちのかわいいことといったら!
そして、パリの美しさ。
今では当たり前な、暮らしを大切にしていく価値観も、私が初めて出会ったのはOliveだったかもしれない。

そしていつしかフランスやパリは私の憧れとなった。

とはいえ、ではすぐにフランスかぶれになったわけではなかった。当時の私は英語が喋れるバイリンガルになるのが夢だった。
高校受験も帰国子女が大勢通うような学校を希望していた。

そしてその第一希望だった高校に落ちて、記念受験で受けた学校に奇跡的に受かり、そのちょっと敷居が高い高校に通い始めた。そこそこ英語教育が熱心な学校ではあったけれど、そこでの英語の授業は古びたおばあさんが教える英語で、私が求めていた生きた英語とは程遠く、高校生活ではすっかり英語に対する興味を失った。

友達もいたし、都心に通う学生生活をある意味では楽しんではいたが、高校生活をものすごく楽しんでいたかというと、周りに完全には馴染めずにいた自分もいた。学校の周りの子は私よりも勉強はできるし、みんな良い子で、そこそこ裕福、しかも可愛い子も多い。
そんな中で私が他の人との違いを感じられる世界は、自分の好きな世界、つまりOlive的世界しかなかった。

そんな自分の世界になんとかもっと近づきたくて、エスカレーター式で上がれる高校だったけれども、服飾系の専門学校への進学を希望した。私が憧れるあの世界を作れるようなスタイリストになれたらいいなと思っていた。

もちろん親に話したら猛反対を受けた。
「せっかく大学にいけるのに、もったいない。」
「今まで塾代にお金を払ってきたのは専門学校に行かせるためではない」…云々。

それで挫けてしまった。
今思えば、もっと自分に情熱があれば何とかなったのかもしれない。
でも、その当時の私は親の反対を押し切れるほどの自立もしていなかった。

それならば付属の大学でいちばん文化的なものを感じられる学科はどこかだろうと考えて、文学部の中にあったフランス文学を専攻することにした。

大学に入学したての1年生の授業は、フランス語のabcから始まり、フランスの文学の歴史やら文化やら、とにかく専門の学科ではフランス漬けになった。出欠をフランス語で取る先生もいて、フランス文学科の教授なんてものはある意味のオタクで、一般的な社会から外れたフランスかぶれのおじさんたちだった。

その先生たちから語られるフランスのエピソードに憧れて、いつか自分も行ってみようと思っていたら、その機会は意外と早く訪れた。

訪れたというか、自分から飛び出したというか…。在学中に友達と行けたらいいな、なんて思っていたけれど、待っていたらいつ行けるかわからないと思った私は、大学生2年の夏休みにパリへのひとり旅を決行した。

格安の航空券を予約して、宿はお料理などもできるようにコンドミニアムを取った。海外旅行は行ったことはあったけれど、1人で行くのは初めてで、今のようにスマホがあるわけではないから、ガイドブックや本を読み込んで行きたいところをメモをして下調べをたくさんした。そして大学2年の夏休みの終わりにフランスに飛び立った。

旅立つ少し前に自分の乗る航空会社で別ルートではあるが飛行機事故が起き、出発直前は眠れない日々が続いたのも懐かしい。

そうして旅立ち降り立ったフランス、パリ。
雑誌や写真、映画で見ていた世界が目の前にあった。街並みが本当に美しくて、公園もたくさんあって、私がいつも雑誌で憧れていた世界が本当に目の前にあってビックリした。

フランスパンのサンドイッチを食べながら歩いている人がいたり、市場で色とりどりの野菜が売られていたり、カフェのテラスでのコーヒー。どれもこれも新鮮だった。

人々も気取らないのになぜかおしゃれに見えるのも素敵だった。どうしたらあんなにさりげなくシャツとジーンズを着こなせるのか。女性の無造作にまとめた髪の毛や犬を連れて散歩する人々や、公園での読書など、何を見ても心が躍った。

クロワッサンをどうしても現地で食べたくて、フランスでは日本のようにトングで商品を取る形ではなく、売り子さんに欲しいものを注文していくスタイルで、しかもフランス語のクロワッサンの発音は難しいから、お店で通用するよう何度も何度も練習した。
通じるかな、と不安ながら注文したクロワッサンは、目から鱗が落ちるくらい別物だった。今では日本でもサクサクホロホロのバターたっぷりなクロワッサンが食べられるけれど、当時の日本で売られていたクロワッサンは、ふわっとしてちょっとつぶれていて、三日月形ではあるけれど、サクサクしたものではなかったのだ。

スーパーには見たことのない食材や商品がたくさん並んでいて、料理が好きな私はそれを眺めるだけでも楽しかった。たくさんの種類が並ぶオイルの瓶を眺め、ハシバミ(ヘーゼルナッツ)のオイルを買ったり、こんなにあるのかと驚くくらいのバターやチーズの種類に見惚れた。

とにかくそこには私が生まれてから体験したことのないような味や香りがあった。フランス語の会話もラジオから流れる音楽のようで、1人で街を歩きまくり、お腹が空くとフランス的なファストフードでパリではグレックと呼ばれる、いわゆるケバブのフライドポテト山盛り載せや、ひよこ豆を挟んだファラフェルサンドなどを頬張った。フランスの伝統だけでなく、異国由来の各国文化もパリに自然に溶け込んでいて、それが調和しているのが美しいと思った。

フランス人は美意識が高いと言われるが、私もフランスで学んだのは、「美しいかどうか」かもしれない。その組み合わせが美しいか、在り方が美しいか、目に見える物質的なものから精神性に至るまで美しさがフランスでは大切にされていると思う。

フランス人は誇り高く、特にパリの人は冷たく高慢なんて言われたりもするけれど、自分のその感覚に誇りを持っているからこそなんだと思った。

旅行中は、偶然知り合ったアルゼンチンのおばさま旅行者と一緒に1日観光をしたり、現地に短期留学をしていた友人とセーヌ川のボートでディナーをしたり、観光的なことも満喫しつつも、やはり私の中に残っているのは、パリの人々の暮らしの風景や日常的な食べ物だ。そこに豊かさを感じられた。

そんな風にフランスに魅了され、私の20代は幕を開けた。それから長いことフランスと関わって生きてきた。30代半ばで私の人生のファーストシーズンがおわるまでは…。
だから、たとえ今はフランスというものに全く関わっていなくても、私を作っている構成要素の3分の1くらいはフランス風味だと思っている。



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