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気持ちを言葉にする

気持ちを言葉で伝えるのが苦手だ、ということに改めて気づいた。改めて? では前から気づいていたのか?、、、そう、多分気づいていた。いやもしかするとよくわかっていた。

なぜだろうか。なぜ気持ちを言葉にしたくないのだろうか。照れくさい? いや違う。よく考えてみるとこれは、気持ちが正確に伝わらないような気がして相手が正しく受け止めてくれないのではないかという恐れからきているような感じだ。

気持ちといっても大雑把な誤解のしようがないもの、例えば万歳!とか、ひどい!とか、そんなものは言葉にするのは簡単だ。これは苦手とは思わない。ただ日常の中で湧き上がる様々な気持ちはもう少し細やかだ。嬉しいけれどちょっともったいないなとか、そんなにしなくてもいいのに、ま、いいかとか、少しずつ様々な感情がブレンドされている。

これらを間違いなく言葉で伝えなければと思った時点でもう面倒くさい。いきおい、態度で表現してしまう。だが態度というのはそもそも細やかな表現はできない。できないし、気持ちをちゃんと表しているのかも怪しい。単に感情に任せて、流されているだけなのだ。

複雑な気持ちというのは自分の固有のものであり自分の固有の価値判断にもとづいてできている。とすれば言葉であろうとなんであろうと自分と異なる価値判断を持っている他人に全て正確に伝えることはできないわけだ。それをやろうとするから苦手だなどと思ってしまう。

私の老後に向けてのトレーニングは、まずここから始まるような気がする。言葉は全体のほんの一部しか伝えられない。だから複雑な気持ちを簡単な一言で伝えることなのだろう。嬉しい、悲しい、驚いた、などなど。そして正確に全てが伝わらないことを覚悟して伝えることだろう。伝わり方がわかってくればおそらくもう少し言葉を選んだり、抑揚をつけたりして効果的に伝えられるようになるのだろう。言葉というのはこうも奥深く悩ましいものだなあ。

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