恥を捨てる

デンマークに行ってみて、言葉は本当に面白いとつくづく思った。面白いにも沢山ある。発音、表記、文法、その背景にある文化、歴史。だが私が受けた強烈な出来事は意外にもシンプルだった。

意味だ。日本語と同じ意味の言葉が存在するという大きな誤解を痛感した出来事があった。それは一月の特別コースの最中だった。最終発表が終わり、全員がコースを通して感じたことを付箋に書いて模造紙にいくらでも貼って行くという作業中、私は何気なく「恥を捨てて取り組んだ」というようなことを書いたら、隣の学生が急に怒り出した。「お前はどんな悪さをしたんだ?!」というわけだ。こちらはキョトンとしてその訳を訪ねると、恥(shameまたはskam)は、犯してしまった罪のことをいうのであって、それをいうなら「恥ずかしい(shy)」だろうというのである。へえと思って他の学生の顔を見ると皆そうだという顔だ。

現代の機械翻訳は素晴らしいレベルに達している。恥をかかずにかなり適切な翻訳文が即座に手に入る。私もデンマーク語でスピーチするときなどは機械翻訳にはずいぶん助けられたつもりだった。しかしそれをデンマーク人に見せて直してもらうとまだまだ赤が入る。言葉はその場その場で生きている。文字の他にある情報が加味されてその場の言葉になる。そう考えると私は相当な恥をかいてきたのだろう。あ、いや、恥ずかしい思いをしてきたのだろう。

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