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気持ちの変化

非常に関係ない話なのだが、この絵を知っているだろうか?
これはクリムトの「接吻」という絵で、私が非常に気に入っている絵画の一つである。崖っぷちを舞台にしている(私はそう解釈しているが違うかもしれない)という危うさや、周囲にある花々の美しさは言葉では表現しきれない。だが、私が一番好きなところは、人物たちの骨格である。滑らかに描くのではなく、身体の骨格の曲線を細かく描いていて、なんとも言えない感情が浮かんでくる。
…さて、絵画についてはこのくらいにしておこう。
今日は大きな課題がいくつか片付いたので、久しぶりに何か書いてみようと思う。

ここ最近であった大きな変化は、恋愛への価値観だ。
言語化するのは難しいのだが、少し気持ちが楽になった。冷静に物事を見れるようになったというか…。ああこんな考え方もあるんだ、と思えるようになったし、自分を大事にしようとも思うようになった。自己中になるのは良くないのだが、自分が幸せかを問い続けよう、といったところか。

先週高校時代の友達と電話したことで、私の気持ちは固まった。
友達からの「10年後もその相手と一緒にいる未来が見える?」という問いに対し、私は「うん」ということができなかった。そういうことだ。
相手の気持ちを考えるということはとても大事なのだが、自分本位で考えてみれば、今の状況は私にとって最善の状況だと言えるのだろうか、と思った。
私は、自分が相手を全て受け入れることができなかったことを悔やむだろう。ただ、悔やむだけで実践に移せない自分は愚かだなぁとも思うのだが。

そこで同時に思ったことについて話そう。
確かに相手の性格を受け入れることは大切だが、果たして自分が苦しんでまで受け入れる必要はあるのか?相手の迷惑にならないようにと遠慮して発言を控える必要はないのでは?ある程度の(迷惑にならない程度の)我儘なら言っても良いのではないか?と思うようになった。

なぜ私が気を使う必要があるだろうか。いやもちろん、相手には礼儀を通すべきであることは分かっている。だが彼氏とは、ある程度気を遣わずに自分の気持ちを正直にぶつけても良いのではないだろうか?
電話は嫌だろうから、、日常の世間話するのは嫌だろうから、、と思っていたが、別にやっても良いのではないか?だって彼女なんだから。

恋人、という関係は非常に複雑であると私は思っている。彼氏には友達には通常求めないものを求めてしまうからである。全幅の期待を寄せるだけに、その期待が弾かれた時の反動は計り知れたものではない。
だから、友人との関係は楽しく、恋人との関係は辛いのだ。勿論、友達といるときとは違った感情に溢れる時は多く、幸せな時もたくさんある。
だが、やはり辛いものだ。
付き合う、という行為を軽く行うことはできないと思う。
付き合うということは恋人になるということであり、恋人になるということは自分が縛られるということである。
行動が縛られるというわけではないが、精神的に縛り付けられると言ったところか。確かに幸せだが、同時に非常に辛いのである。
友達であれば許容できるものが、彼氏であると許容できなくなる。
異性と話しているのを見ると少し気になるし(誰彼関係なく可愛いよねそういうのって)、LINEの返信に一喜一憂するし、自分への行動に対して敏感になる。友人に対しては全く出てこない感情である。

さて、ここで疑問が生まれる。私はそこまで苦しい思いをして、恋人を作りたいのだろうか?恋人といる時間はとても幸せで、お互いに想いあっている時と言ったら幸せ以外の何者でもない。ただ、その代償は非常に大きい。友人以上恋人未満、の意味も分かる気がする。
その代償があることを知っていても、果たして付き合いたいのだろうか?

私はこの問いに対する答えを出すことができない。だって、やっぱり恋人は非常に心強い存在だから。その代償を知っていてもなお、欲しいとは思ってしまう。
恋愛経験は1回しかないが、学ぶことは多かったなと思う。

付き合うなら絶大な信頼をおいていたいし、終わりがあるなんて考えたくないってのが理想だけど。難しいなぁ笑
まあ生きていくうちに、これからもどんどん新しい考え方にあっていくんだろうな。将来の自分が最終的にどんな考え方をしてるのか、楽しみだ。

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