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信じる・期待

私は、人を信じることが苦手だ。
というか、全面的な信頼をおくことはできる。いやできている人は結構いる。しかし、まあ無理なこともある。

私は、防衛本能というのだろうか、自分の期待に沿わない行動をされた時に、相手のことを突き放すことで自分の心の均衡を保とうとする性質がある。
良くない、と言われて否定することはできない()確かに酷い性質だ。
例えば、自分が嫌われたかもしれない、と思ったとしよう。その時、私は相手に対して執着するのではなく、「この人に嫌われてもそれはそれで仕方がない、人生こういうこともあるよね。仕方ないね。」と思ってしまう。
なぜなら、もし本当に嫌われてしまった時に傷つきたくないからである。最初から諦めてしまえば、私が傷つくことはない。
ただ、嫌われた原因については真摯に向き合うべきだとは思うのだが()。嫌われても仕方ない、と最初から思うことによって、受け入れやすくなるようにしているのである。
何事も、期待しないのが1番なのだ。というか、そもそも私は友人に対して強い期待を抱くことはない。あ、高校の友達に対してはそもそもそういうことをあまり考えていないのだが。ということは、まあ信頼できている証拠なのだろうか。
でもとりあえず、一般的には「まあそういうもんだよね。」程度に受け止めることが多い。ただ一旦期待を抱いてしまうと厄介である、その期待に執着してしまう。

やはり私は傷つきたくない。辛いのは嫌なのだ。
だから、私は相手の行動に期待しない。どうせ何も変わらないと思うことにして、傷つかないように自分の身を守っている。
変わると信じていても、もし何も変わらなければ自分が絶望するだけだからだ。
期待が実現しない時の絶望感、やるせなさといったら、耐えきれたものではない。
もしやってくれたとしても、いつかこの期待に応えなくなる時が来るのだろうな、と思ってしまう。
なんて卑屈なのだろうか。

私は、そんな卑屈な自分が嫌いだ。もし相手が、私の期待に応えようとして行動していた場合、この思考は失礼に値する。相手がせっかく歩み寄ろうとしているのに、私がその譲歩を否定してしまうことになるからである。はぁ…申し訳ない。
どうしたら完全に期待できるんだろう。こういうことが考えるようになったことは、成長したということなのだろうか。
自分が傷つかないために相手を突き放すことは愚かだと思っている。
だから、相手にある程度の行為を求める際は自分も期待する必要があると思っている。…でもやっぱり苦手だ、難しい、、泣 最終的に、どうせなんとも思ってないから、自分が期待するのはやめよう、と思ってしまう。
私に興味があるわけがない、などと思ってしまう時もある。これは流石に卑屈すぎる、多分テンションによって変わる…。

くだらないことを送る際も同様だ。
くだらないLINE、愚痴LINE、どうでも良い日常LINEを送ることができる人は限られている。この人は私のこのLINEにも動じることなく、ハイハイ笑と受け止めて、まあ返信してくれる、あるいは返信が来なくてもと思っている人にはボンボン投げることができるのだが、自分がこのLINEを送った時に返信が来る想像ができない人に送る際は、少々躊躇ってしまう。「だから何?」と思われてしまうのでは?と思うからである。
これも期待や信頼が関わっていると感じる。
…それで「だから?」とか、「あそ」とか言う人は無理だと思えばいっか。今はそれしか思いつかない…。


少なくとも、高校の時と比べてより複雑なことについて考えることができるようになったことは間違いないだろう。
なんでこんな卑屈になっちゃったんだろう…泣 はぁ、、、

どうやったらこの性格治るのかな。困っちゃうな、、、。

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