不登校問題もアドラー心理学で解決
アドラー心理学では不登校という状態はどうとらえるのか
アドラー心理学による不登校の捉え方
アドラー子育てはゴールが明確
どこを目指して子どもと関わるのか、そのためにはどうしたらいいのかの集積がアドラー子育てです。ゴールは「自立」、そしてそこにたどりつくための方法がアドラーの子育て法です。
不登校ー親も自分の自信を無くしている
「自分はダメな親なんじゃないか・・。」
お子さんが不登校になったことでお子さん自身も自信を無くしていると考えられますが、自信をなくしているのは子どもさんだけではありません。
親御さんももちろん自信を無くしてしまっています。
「子どもが学校へ行かなくなったのは自分のせいではないか?」とか
「子どもを学校にさえ行かせられないように育ててしまった自分が悪いんだ。」とかです。
またアドラー心理学では本人の行動はあくまで最終的に本人の自己決定と考えます。ですので
あなたがご自分を責める必要はありませんし、あなたが自分を責めても事態は何も変わらないのだということをお伝えしておきたいと思います。
不登校でなぜ親も子も辛くなってしまうのか・・
家族とは、血のつながり、切っても切れない運命共同体です。
その家族の誰かに何かが起こると、その共同体そのものが崩れてしまうことがあります。
親御さんの失業、離婚もそうですし、お子さんの不登校もそうでしょう。
特にお子さんにとっては、親御さんはこれから人生を生きていくためのモデルになります。
お子さんの不登校は「勇気を持てないでいる状況」
アドラー心理学では、子どもの不適切な行動は勇気を持てていないからと考えます。
学校に行けなくなった不登校という状況は、学校に行くことにお子さん自身が困難を感じているからです。
その困難にどう立ち向かったらいいのかわからないのです。
お子さんが困難と感じる状況はこれから先の人生にいくらでもあるでしょう。
親が変われば子どもも変わる
アドラー心理学では「他者を変えようとしない。でも、自分が変わることで相手が変わることはあるかもしれない」という基本となる考え方があります。
今不登校という現実に直面して、あなたは子どもが学校へ行くようになってくれたら・・と考えておられると思います。
アドラー心理学で考えると、それは他者を変えようとすることになってしまいます。
不登校という現実から目指すゴール
明確である
子どもは不登校に限らず大人からすると不適切な行動をすることが多いかもしれません。
未熟であり経験に乏しく、大人が助けてやらなければ立派に成長できないとお感じになっておられるかもしれません。
まして学校へ行かないとなれば、大問題であるとお感じになっておられる親御さんは多くおられます。
アドラー心理学では子育てのゴールが明確にあります。
まず子ども自身が精神的にも社会的にも自立すること。そして自分は社会のお役にたっているという感覚を持てるようになること。社会に暮らす他者が友であり仲間であるという感覚が持てていること。
アドラー心理学による「不登校」の捉え方
アドラー心理学は子供をめぐる教育や子育てに活かしてこそ本来の役目を果たすと言えます。
アドラー心理学を「不登校」の解決に活かさない手はないと言えるでしょう。
特に子どもへの働きかけとして「勇気づけ」という方法を使います。褒めるのでもなく叱るのではないアドラー心理学特有の方法です。
この方法を使うと子どもが自ら考え自ら行動を起こすようになることは、アドラー心理学の多くの臨床家が認めるところであり、アドラー東北でもお子さんの問題について大変好ましい効果を得ています。
解決しない「不登校にありがちな対応」
なぜあの子が不登校に?
お子さんが不登校になった・・・その時あなたは・・
「何とかして学校へ行かせなければ」
「うちの子が不登校だなんてそんなことは絶対に認められない」
「学校へ行かないなんて許せない」
「学校へ行かないなんてこの子の人生は終わりだ」
***********************
「なんとかして学校へ行かせなければ」という考えの底には何がありますか?
⇒「学校へ行くのは当たり前・当然・行くべき
うちの子が不登校だなんてそんなことは絶対に認められない」
⇒「子育てに失敗があってはならない・普通でなければならない・完璧でなければならない」
「学校へ行かないなんてこの子の人生は終わりだ」
⇒「学校が人生を決める・学校がすべてである」
これらの考えは本当にそうでしょうか?
今のあなたの人生は学校ですべてが決まっていますか?
確かに不登校という事態はリスクが大きいでしょう。今後の人生に多少の影響はあるでしょう。それでも決定的な要因とは言えないのではないのではありませんか?
もしもお子さんが不登校という選択をする前に「生きることが辛いと感じるほど学校へ行くのが嫌だ」と感じていたとしたら、お子さんの命と学校とどちらを選択するのが賢明なのでしょうか。あなたのお子さんが命をなくすことを考えたら「一時の不登校」とは引き換えになりません。時には「学校へ行かない」という選択肢も現実的にはあるはずです。
大事なのは本人の気持ちであり私たち大人はそれを尊重すべきです
夫婦関係専門