背徳感と罪悪感の違い
背徳感と罪悪感は
誰に向かっているかによって違う。
背徳感は自分、罪悪感は他者や社会に。
先日妻と離婚話をした最後は
一昔のような穏やかな夫婦の語り合いになりました。
その時妻は私に
もしかしたら私は貴方に殺されるかもしれないと思ったこともあった
と語りました。
なぜそう思ったのか?と理由を聞いたところ
少し前までの貴方の眼は狂鬼じみて見えたから
と言ってました。
はて?
言っている意味が全くわかりませんでした。
少し前までの私を見た子供たちの率直な感想は
お父さんあんなに頑張っているのに
報われなくてとにかく可哀想 でした。
まあ子供というものはどんな親に対しても
基本中立なものと昔から私は思っていて
お母さんと話せばお母さんの肩を持つし
お父さんであれば肩を持つのはお父さんに
というのが子供というものだと思うのですが
中立的にみている人からみて
頑張っているのに報われなくて可哀想な人が
狂鬼じみた果たして眼をするだろうか?
考えました。
そんな眼をするとはとても考えられなかった。
ではなぜ妻にはそう見えたのか?考えてみました。
答えは出ました。
妻が抱く罪悪感からくるものなのだなと。
浮気していた妻は
子供たちにまず自分の気持ちを理解してほしいからか
浮気していたと正直に話して泣きながら詫びたそうです。
子供たちからそう聞きました。
罪悪感は誰にでも抱き得ること。
それで人の善悪のすべては決まらない。
むしろ罪悪感がある人ほど
感性や自責の念が人一倍強い人とも言える。
家族にうそをついてしまい罪悪感にさいなまれる
自ら犯した過ちによる、罪悪感が消えない
罪の意識で自分を責めていたのでしょうね。
罪の意識があるからこそ
夫に私は殺されても不思議ではないと感じていたなら
私との時間は恐怖だった
そう子供たちに話したかどうかは分かりませんが
しかしわが3人の子達は
法律的にもはや成人以上でした。
泣き落としなど通じるはずもなくでした。
なんと無計画で感情的、つまり自分のことしか考えない
信用することはできない
子供たちからはそう感想を抱いたと聞きました
民法上の不法行為を自分は犯しましたと
妻自らが不利になることを話してしまったという
だけの結果に終わりました。
罪悪感。
せめて背徳感に留めることはできなかったものか
思いを馳せざるを得ないですが。。