見出し画像

子離れ

わたしの両親は、お互いのことを名前で呼ぶ。さちこ。健ちゃん。

そのことが、いろんな家族の在り方がある中で、決して当たり前のことでないことを最近知った。

「結婚してすぐはお互い名前で呼んでましたけどね。子どもが出来てからは、お互いにパパママ呼びになっちゃった。だから俺もう何年も嫁の名前口にしてないです。」
わたしの髪を染めながら美容師さんは言う。

確かに、弟はわたしのことを「お姉ちゃん」と呼ぶし、わたしは両親を「お父さん」「お母さん」と呼ぶ。名前で呼ぶことはほぼない。

古い考えかもしれないが、家族という集団のなかにいると、名称による役割を求められるように感じることがある。父として、母として、女として、長子として……

けれどだからこそ、固有名詞で夫婦が呼び合うのは、唯一無二の人間あることの承認になるのかもしれない。

わたしの両親は、お互いを名前で呼び続けることを、人生どこかのタイミングで話し合ったのだろうか。

もしそうだとしたら、どんな経緯で、お互いの名前で呼び続けることを決意したのだろう。

自分の両親の、わたしが生まれる前もしくは生まれる頃の関係性に想いを馳せる。

……全くイメージがつかない。
それだけ、わたしは両親を「両親」として見てきた。健ちゃんさちことして、ではなく。(きっと普通のことだ。)



「子離れって大変なことで。おぎゃあって抱いてた子が自分の元から離れるわけですから。やっぱりどこかでこっちから踏ん切りをつけなきゃならない。」
「LINEの連絡なんかも、なるべく用事ないときはこっちからはしないようにして。本当はもうちょっと連絡したいんだけどなあ、とか思ったり。そんな感じですよ。」と父。

「この子は大学から家を出ましたけど、その時は夫婦ふたりで、なんだかもうお嫁行っちゃったみたいだねえ、なんて話してました。」と母。

親としての、親同士の会話。

全然知らなかった。
わたしが上京するとき、両親揃って「行ってらっしゃい〜!」なんて笑顔で言ってたくせに。

ひとっつも淋しさを滲ませず、わたしと接していてくれたくせに。

30.40代の子どもに親がべったり付いて世話焼きしている関係も見てきているからこそ、自分の親がしてくれている応援の形が、簡単なことではないことがわかる。

小学生の頃、突然救急車乗ることになって心配させたり、中学生の頃、一時期登下校を車で送迎するような両親なのだから、過保護なのだ。元来は。

それなのに、自身の淋しさを隠して、「離れる」という形でわたしの自立を陰ながら応援してくれていた。


歳を重ねるにつれ、両親が自分にしてくれたことあるいはしてくれていることの思いの深さを知れるようになった。

あと2年で、わたしは母が出産した歳と同じになる。

わたしは両親から受け取ったものを、これからどう周りに還元していけるだろうか。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?