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#019 ~音楽を始めたきっかけ そうだった!~

とうとう19話になった〜!
100話までは頑張ります。

今回この自叙伝を書いているにあたり、私も知らないことを教わった。
それは、星野さんというPA & レコーディングエンジニアの方からの直接の連絡だった。

星野さんは私の自叙伝を読んでいてくれて


チャーリー、ちょっと内容が違うよ〜


って、メッセージをくれたのがきっかけだった。

私がGoodManでHot WaveやEastWestのテープ審査をやったように
A-JARIも当然テープ審査用のレコーディングをしていたのだ。

それは、池袋にあったMIBスタジオで録音をしていたのだそうだ。
MIBスタジオは、その当時リハーサルやレコーディングスタジオのマッドスタジオというチェーン店と言ったらいいのか分からないけれど、マッドグループのスタジオだった。

星野さんは、目黒マッドや六本木マッドのエンジニアであったのだが、たまたま池袋MIBスタジオでA-JARIのコンテスト用に録音をやって頂けたとのことだ。

もちろん、その当時のA-JARIには私はいなかったので、この事実が書き損じられていたのだが、

私がA-JARIに参加した時には、当たり前のように星野さんがいたので、良く分からなかったけれど、星野さんはA-JARIの救世主だったのだ。
星野さんはA-JARIの録音に携わって、とても気に入ってくれたというのが始まりだったのだ。

レコードメーカーや、プレイフォーメーションのダディの段取りなど、色々と動いてくれていたというのを、今となってはそうだったんだ〜!と、この辺りを殆ど知らなくて大変申し訳無い事をしてしましまいました。

前回の、合宿から関東近郊のライブサーキットのPA(エンジニア)は、星野さんが一緒に回ってくれていたことも思い出した。

本当に記憶は曖昧だった。

各レコード会社からのオファーもあったと前回書いたけれど、星野さんのメッセージで

こんな事もあったじゃん〜

ってコメントをもらって、忘れていたとんでもない腹が立ったことも思い出した。
これは流石にここでは言えないけれど、ホントに色々とあった。

ダディを我々に紹介してもらったのも星野さんのおかげだってのも、今回初めて知った。

そこまでの経緯は私はその時 A-JARIでなかったので知らなかったことでした。

結論:星野さん! A-JARIを見つけてくれて、本当に有難う!

ちなみに2016年のA-JARI 30周年 Egg ManのPAはもちろん星野さんでした。


つづく〜

次回は、ライブサーキットと合宿の笑える話しが待っていますwww

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