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さようなら大阪日日新聞

 大阪日日新聞が7月31日付紙面の発行をもって休刊しました。

「大阪の地元紙」標榜

 1911(明治44)年創刊の『帝国新聞』を源流とし、戦時中に一時休刊しますが、1946(昭和21)年に夕刊専売紙として復活。大阪に多数あった夕刊紙の一角として、暴力団抗争をめぐる熾烈な報道競争を演じました。

 しかしバブル崩壊後は経営難に追い込まれ、2000年、鳥取県で日本海新聞を発行する新日本海新聞社による買収を受け、これに伴い朝刊専売の日刊紙に衣替えしました。以来「大阪の地元紙」を標榜して、ローカルネタの報道に注力しました。

 とはいえ紙面編集や印刷は鳥取で行っているため、締切時間も、競合紙よりも遥かに早い時間で設定。地方紙の主戦場とも言える地方選挙の結果も、投開票翌日の紙面にはまず載りませんでした。

共同の記事が読める貴重な媒体

 また自社取材による大阪ネタは一部の紙面にとどまり、大阪の事件事故の話題であっても共同通信の配信記事に依存することが多くありました。

 在阪の一般紙でも、毎日新聞大阪本社と産経新聞大阪本社は共同に加盟していますが、言うまでもなく全国紙であり自社記事が中心。近隣の京都新聞や神戸新聞は、さすがに全国紙よりも共同記事の利用率は高まるものの、この2紙は自社による記事展開もしっかりしているほうの地方紙です。

 翻って大阪日日新聞は、共同記事の利用度が高く、生ニュースだけでなく解説記事や大型企画等の掲載も頻繁に行っているため、大阪で共同の記事にアクセスできる貴重な媒体としてよく購入していました。

 もちろん、非主流だからこそのユニークな編集もみられ、OSK大阪歌劇団に関する手厚い情報や、市内の街ダネのほか、最近は大阪・関西万博や、カジノを含むIR(統合型リゾート)関係の報道に力を入れていました。

 また、森友学園問題にからむ財務省文書改ざん問題を担当していたNHK記者の相澤冬樹氏が、2018年に新日本海新聞社へ転籍し、大阪日日新聞で関係記事を報じるといったこともありました(その後2021年に退社)。

かつては部数誇大も、近年は約5千部

 宅配エリアは、一時期は府内全域に拡大したこともあったようですが、近年は大阪市と北摂地域に限られていました。即売は大阪市内の市中コンビニ、しかもファミリーマートと一部のデイリーヤマザキのみという限られた販売網で、駅売りはありませんでした。

 新日本海新聞による買収後しばらくは公称部数を約11万部としていましたが、2008年に運営会社が新日本海新聞社に吸収されると、大阪日日新聞も日本ABC協会による部数公査の対象に入り、実態は約8千部に過ぎない実態が明らかになります。その後も部数は退潮傾向で、最近は約5千部にまで減っていました。

最後はOSK、浜村淳、寄せ書き

 休刊号となった7月31日付紙面は、1面トップで高校野球大阪府予選で履正社が優勝したというニュースを大きく扱いました。最後にふさわしい、さわやかな話題です。

 1面コラム「潮騒」は、通常は記者による交代執筆ですが、最終回は各記者が短く別れの言葉を記した、まるで寄せ書きのようなコラムでした。

 エンタメ紙面は、長らく大阪日日が追い続けたOSK大阪歌劇団のスターらへのインタビュー。

 日本海新聞と共通紙面となる、論説委員室によるインタビュー企画「Voice」は、ラジオパーソナリティーの浜村淳さん。MBSラジオ『ありがとう浜村淳です』で、「けさの大阪日日新聞によりますと」と話題を紹介するのが名物でした。

 さらに、各記者による回顧をまとめた特集紙面も設け、別れの淋しさと読者への感謝に満ちた休刊号となりました。

この日をもって休刊となった、『大阪日日新聞』2023年7月31日付紙面から(一部加工しています)

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