コミ力がない!
コミ力という言葉がある。コミニュケーション能力のことであるのは言わずもがなである。現代色々な分野で成功する若い方で、自分の強みとしてコミ力をあげる人がいる。就活等で自分のアピールポイントとしてコミ力をあげる人がいる。もはやコミ力とは成功する為の必須アイテム化している気もする。
朝日の文化欄に出ていたのだが、ある精神科医が、最近の傾向として「多数派の為のコミニュケーションが過剰に優先されている」と言っている。元々日本社会は、コミュニティの中で空気を読むことが求められてはいたが、そのことは古い日本の閉鎖性を現すことだと思われていたが、最近更に助長されてきた気がする。
いつのまにか、空気を読めない=コミ力がないという図式になってきて、コミ力がない者が排除される様になっている気さえする。
そういうお前はコミ力を持っているのかと問われると、他者に誇れる様な力は持っていない。初対面の人間と淀みなく話せる自信も皆無である。当意即妙な受け答えも出来ず、相手の問いに対し、突拍子もない答えを返して呆れられたりする。仕事上はなんとか平静を保っていると思うが、常に薄氷を踏む様な思いとなることもある。
コミ力の無いことに悩む人は、病気に近いところにいると思う。自分はあまり長く悩まないことにしているので病にはならないと思っているが、時々昼間の出来事を夢で見て追い詰められたりすることもあるので、深層心理までコントロール出来ているとは限らない。実は自分も要注意かもしれない。
ところで鬱になる人というのは、職場の電灯を最後に消すタイプが多いらしい。要するに最後まで職場にいる様な責任感があり、几帳面な人がそのタイプ。そういう方は、地味な仕事でも黙々とするので、なかなかその人の価値を気付き難いかもしれない。
ある意味でコミ力のある人とは対局にある人々であるが、地道にコミニュティを支えている人々でもある。
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