桜坂しずくとチャールズ少年、および青年
ごきげんよう
チャールズです
久しぶりのnote投稿になります。ようやくネタが見つかりました。というか、早くホトボリか冷めぬうちに、お酒の酔いが覚めぬうちに話したいことがある
しずくと俺はクリソツ。異論は認めない
これはチャールズ青年が、ラブライブ 虹ヶ咲学園スクールアイドル同好会「しずくモノクローム」を鑑賞して本気で感じたことです
僕は、第一印象ではしずくが好きでした。それが、第二印象でもしずくが好きで「しずくモノクローム」を見てついた第三印象では、しずくに親近感みたいなものを覚えました
正直、しずくを好きになった第一印象が雰囲気と見た目と、いかに稚拙なものだったかと悔やんでいるほどです
ではなぜ、そう思ったのか
まず、「しずくモノクローム」の回を要約してみます
虹ヶ咲学園のスクールアイドル同好会と、同高校の演劇部を兼任する桜坂しずく。演劇部で主演となった劇の主役を「自分をさらけ出して欲しいのに、さらけ出せていない」として、降板させられることを告げられてしまう。「自分は周りと違う」として、嫌われることを恐れて本来の自分とは違う自分を演じるしずくは、かすみの説得により自分をさらけ出すことを決める。無事、主演を決めるオーディションに合格し、主演に返り咲くのであった
今回のキーワードは
「周りと違う自分をさらけ出すこと」
それから
「自分をきちんと認めること」
これではないかなと思います
しずくは、子供の頃から昔の映画や小説が好きだった。だけれども周りにはそんな人はおらず、自分は周りとは違う、過激な言葉を使えば「変わり者」だと思った
そして、「普通の人間」の仮面を被るわけです
私も同じでした
私は、小学生の頃、F1ドライバーを目指していて、レーシングカートをやっていました
しかし、皆さんご存じの通り、F1ブームを過ぎてもなお、F1は我が国ではマイナースポーツ、それどころか「ただ、同じところをグルグル車が走っている」という認識さえされています
その時、私は「自分は周りとは違う。同じ人間の仮面を被りたい」と思いました。それで、小中高と、自分を殺して生きてきました
なお、中学の途中でF1ドライバーの夢は諦めたので、若干ながら関わっていたモータースポーツの世界から一度去ってもなお仮面を被っていたことになります
そんな中、転機になったのは大学時代。F1がメジャースポーツとされるヨーロッパからの留学生たち、またモータースポーツの話を興味深く聞いてくれる人たちと出会い、F1の話をすることで「自分をさらけ出しても理解してくれる人がいる!!」と思い、ここから自分を出そう!!と思うようになりました
僕が思ったのは
「周りと違っていようが、この魂がある以上、自分は自分」
でした
古い映画や小説、演劇が好きだけれども理解されなかったしずくと、モータースポーツが好きでレーシングドライバーを志していたが全く理解してもらえなかった僕。共通するのは
自分を理解し、受け入れ、表現する
そういうことなのかなと思います
最後に、周りと違うと思って悩んでいる人たちへ
僕もそうです。モータースポーツという「ただ同じところをグルグル車が回っている」と言われた。それで自分を隠してきた。でも、隠しても、本当の僕は心の底で確かに存在しているのです。しずくも同様に、古い映画や小説、演劇が好きだけれども理解されなかった。そこでしずくは自分を隠すようになった。それでも、そんな本当のしずくは心の底に存在していたのです
だから、どれだけ自分が変わり者だと思おうが、自分が周りから理解されなかろうが、世界は意外と広くて狭い。誰かしら理解してくれる人は、どこかしら、しかもなんと意外と近くにいるものです
だから、本当の自分を否定せずに、理解してあげて欲しいと思っています
生意気を言って大変申し訳ありませんでした
チャールズでした
ごきげんよう