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Confidence is the most important thing!①

私は現在、英国の通信事業者のMobellという企業で働いています。ヨーロッパ、アメリカ、日本を中心に、SIMカードをメインとした通信関連のサービスを提供している会社です。この会社は、Doing Charity by Doing Businessというコンセプトのもと、運営されている会社で、売り上げの大部分をチャリティに充てるというチャレンジをしながらも、利益を生んでいく企業として成長を続けています。こうしたMobellのビジネスの姿と、チャリティへの思いを、創始者のTony Smithの人生、そして従業員の山田真人の体験も含めて、皆さんにお伝えができればと思います。

・生い立ちとMisson 
社長のTony Smithは、イギリスの田舎町で農業を営んでいる家庭に育ちました。その後、学校の先生として働いていました。彼はキリスト教のカトリックの信仰の中で育ち、ある日友達からボスニアの巡礼地であるMedjugorjeに行こうと言われたそうです。彼は当時仕事も忙しく、あまり巡礼など興味もなかったのですが、なんとなく行くことにしました。その後、現地で彼は大きな回心にも近い体験をしたと述べています。彼は、Medjugorjeの山(Krizevac)に登った時、自分の生き方を見直し、自分の仕事をもっと世の中のために使うことを考えました。そこで考えたのが、"Doing Charity by Doing Business"(ビジネスの手法で、チャリティを実施する)ことでした。

このチャリティを実践する上で、彼がビジネスマンとして優れた背景があると感じるのは、「①生活環境から誕生したビジネス」をものにしている点と、「②レンタル事業から生まれた人脈力、応用力」によってそれを拡大させて点と考えています。それをご説明した上で、③でチャリティとの繋がりを深めていきます。

①生活環境から誕生したビジネス
これは、彼にとって大きな決断だったと思います。まず、彼の生活環境の中で、広大な農地で人々がお互いに連絡を取ったり、登山をしている人々がお互いの通信手段を必要としていたりという状況が分かっていました。さらに、旅をして人と会うことが好きな彼は、もっと人々が簡単に、旅先で連絡が取れる方法がないか考えました。

当時の携帯は、内蔵しているSIMカードと、携帯の本体の端末は、もちろん一緒に販売されていました。しかし、彼は、その中のSIMカードを取り出し、これらだけを売ることでもビジネスになることを思いついた人間の一人です。それぞれの旅先の国に合わせたSIMカードを挿入することで、私たちはその国の電波、電話番号を取得することができます。そのため、旅に合わせて端末は同じでも、SIMを変えることでその国ごとのコミュニケ―ションを、安価に手軽な形で実施できます。

Tonyは、自分の生活環境、そして自分の興味関心から、世界のニーズを導き出し、それをサービスに変えることを考え出しました。

②レンタル事業から生まれた人脈力、応用力
Tonyは、もともと重機の貸し出しなどを始めとして、レンタルビジネスの経験がありました。様々な分野の商品を必要な人の手に渡し、循環させていくシステムを作っていたことが背景にあり、SIMカードを始めとする携帯電話のビジネスも、日本を含め、様々なネットワークを作っていきます。Mobell以外にも、レンタル事業を会社を興していて、Paragonというスクリーンの貸し出しのビジネスも、その一つです。

後に、世界的にはレンタルではなく、購入型の携帯サービスの値段が下がってきたため、レンタルから購入型に切り替え、世界的なトレンドに合わせて変化をさせてきました。しかし、こうしたレンタルビジネスの背景が、小尾品を必要なマーケットに落とし込んでいくスキルの土台になったのかもしれません。

④マラウイとの出会い
Tonyは、こうしたビジネスの拡大の最中、マラウイという世界最貧国の一つに訪問します。(彼は、ビジネスの成功とMedjugorjeの訪問の前後関係をあまり明確にしていないのですが、マラウイで出会った人のために自分が何かすべきであるという使命感-Missionは、強く感じたと述べています)彼は、現地の女性たち(Tonyによれば50代程度)に、現地では何が必要かと尋ねたそうです。そこで彼女たちは、"Jobs for young people"(若い人のための仕事)と答えたそうです。最貧国のマラウイで、なぜ食べ物などその場ですぐ必要なものではなく、「仕事」なのでしょうか。そして、自分たちのことを考えるのではなく、「若い人」のためなのでしょうか。Tonyはそれにとても感動したそうです。現地の人々は、国の将来を真剣に考えていました。最貧国であっても、先を見て可能性にかけることができる、大きなリーダーシップを感じたに違いありません。

彼はその後、Beehiveという職業訓練センターをつくります。そこには、現在も多くの「共同体開発」(Community Development)のためのソーシャルビジネスがたくさんありますが、その多くがTonyが背景としていた、レンタルビジネス、共有によって成り立つ経済の姿でした。イギリスから輸入してきた中古のパソコンを修理するスキルと、それをレンタルで売り出し、自分の力で起業することができる人物を育てるIT & Leadership学校を設立しました。そして、マラウイ全国で使用できる重機の貸し出しも開始し、フォークリフトなど、Tonyの農業の背景なども生かして、アフリカでビジネスを開始したのです。マラウイは、コミュニティ意識が強い国です。それを生かしたレンタルビジネスは、大きな力を生みました。

⑤Charityの発展
Tonyは、このBeehiveの土台を使って、多くのチャリティも始めました。それは、Krizevac Projectと呼ばれるもので、マラウイの共同体開発のために事業を、現地の教育、雇用、文化、宗教に合わせて進めています。このKrizevacという名前は、Tonyが自分がCharityを始める精神的なきっかけになった巡礼地にあるボスニアの山の名前を取っています。

Tonyが始めた現地の巡礼

その際始めたチャリティが、こちらから確認して頂けますが、例えばCycle of Goodは、英国の中古の自転車を買い取ったり寄付を受けたりして始めたチャリティで、自転車のチューブを用いたアップサイクル商品もあります。Tonyのユニークさは、もともとビジネスで生かしていたレンタル事業などを通して得た循環型のビジネス手法を、こうしてチャリティにも生かすことができる点です。現在は、エシカル消費やアップサイクルという言葉が定着していますが、当時は違いました。

⑥日本との繋がり:学校給食支援
ご紹介しているマラウイは、日本のJICAのボランティアを始め、日本からのボランティアは、アフリカでもっとも多く入っている国です。そして、東日本大震災以降、岩手県遠野市が、町おこしとして米粉をマラウイに送っていました。そして、もっとも興味深い事実は、2011年において、マラウイから日本に支援金が送られており、外務省からの手紙の記録もあることです。日本とはこうした深い繋がりが、マラウイとはあったのです。

マラウイの支援金を受けての日本の外務省の手紙

当時、2011年~2015年まで、マラウイでは日本のNGOによって、学校給食支援が行われていました。しかし、そのプロジェクトが2015年で終了しました。しかし、同じ年に、大洪水がマラウイを襲い、特に5歳未満の乳幼児の死亡率が増えました。Tonyを始め、当時マラウイに入っていた英国のボランティア、Beehiveのスタッフは、何をすべきか考え、学校給食支援を自分たちで始めることにしました。それが、Seibo Malawiをいう団体の起源です。Tonyはもともと、現地のコミュニティ開発のために保育園(Mother Teresa Children Center)を運営していて、さらにMary's Mealという世界的な給食支援団体の立ち上げにも関わっていました。その経験もあり、学校給食の支援の開始にたどり着くことができました。

そして日本との繋がりも忘れていませんでした。日本という国を通して、マラウイを支援することが、お互いの国にとって大きな変化に繋がることを考え、Seibo Japan(後のNPO法人せいぼ)が誕生しました。日本もかつて前後、海外の支援によって学校給食支援を受け、その後の高度経済成長で活躍する人々が生き残ることができました。また、東日本大震災の時は、多くの国からも支援を受け、マラウイもそうした国の一つです。日本がこうした与えるという体験、チャリティの精神を体験することで、日本の文化も積極的な変化を持つだろうという希望が、この当時のスタッフにあり、現在も続いています。

Seiboスタッフの届けた学校給食を食べる子供たち

⑦日本の人々へのメッセージ

①~⑥において、Tony Smithのビジネスマンとしての姿、そしてチャリティに繋がっていくプロセスをお話してきました。このような姿を追っていくと、彼が自然に人々のためにビジネス、チャリティの双方の事業を拡大していることがわかります。彼は、日本の若い学生に対して、"Confidence is the most important thing!"と語ることが多いです。それは、自分の明確な目的を持って、周りの人に還元できる事業を進めているからだと思います。「自信」を持つということは、重要なことであり、一番難しいことでもあります。その自信が独りよがりになることもあるのが事実です。そんなときに、Tonyは、Medjugorjeでの経験、チャリティで関わっている人のこと思い出し、ある意味でバランスを取りながら、長い人生を進んできたはずです。

彼は、日本にとても大きな希望を持っています。チャリティを通して世界が変わっていくとすると、日本はその中で大きな役割を持つと考えています。次回の記事では、具体的にその日本人で、入社当時大学を卒業してすぐだった、私、山田真人の例を用いながら、皆さんに日本への彼の思いと、今後のビジネスとチャリティの豊富について、お話していければと思います。

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